↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/75

第十九話 消極的試合進行

 チャリーン。


 二日前と同じ、駄菓子屋のレジみたいな音がした。


「コイントスの結果──先攻、XYチーム」


 亮は、目を閉じた。


(──最悪だ)


 こちらの作戦は、ボールを持っていることが前提だ。持っていない状態から始まるなら、まず奪わなければならない。


 奪うためには、相手の一投を捕るしかない。


「篠塚さん」


「無理です」


 篠塚は即答した。


「左が使えません。片手であの球に触ったら、右も飛びます」


 亮は、自分の右肩を見た。


 腕は肩より上に上がらない。だが、腕を上げずに捕ることはできる。


「陣形、二日前と同じで」


 亮は言った。


「前列は拾いに専念。捕るのは俺がやる」


          ◇


 天井から、赤いゴムボールが落ちてきた。


 白線の向こうで、それを受け取ったのは、雅人だった。


「うおっ、俺かよ」


 雅人は、ボールを両手で持ったまま、困ったように笑った。


「なんか、ドラフト一位みたいで嬉しいな」


 その後ろで、鷲尾が舌打ちをした。


「さっさと投げろ」


「はいはい」


 雅人が、白線に近づく。


 亮は、膝を落とした。


 二日前、この体勢で篠塚の球を受けた。あのときは息が全部押し出されて、膝が床についた。あれをもう一度やる。今度は、終わった肩で。


(グード)


(うん)


(何もするな)


(……分かってる)


          ◇


 雅人が振りかぶった。


 亮は、そのフォームを見ていた。


 美しかった。


 中学のときからずっと見てきたフォームだ。左肩の開きが早いのが癖で、監督によく怒られていた。プロに入ってからだいぶ直っていたが、それでも骨格の癖は残る。


 あれは、雅人の投球だ。


 だが、リリースの瞬間だけ。


 肘が、ほんのわずかに、跳ねた。


「ヒュッ」


 球が、来た。


          ◇


 速い。


 昨日投げていたより、さらに速い。


 亮は膝を落としたまま、両腕を体の前で組んだ。上げられない腕を、下から差し出すようにして。


 ボールが、腕と腹の間に食い込んだ。


「──かはっ」


 息が止まった。


 右肩の奥で、何かがぶちりと音を立てた気がした。実際に音がしたのかどうかは、分からない。


 亮は、床に膝をついた。


 だが、腕の中にボールがあった。


「金松さん!」


「──確保!」


 篠塚が叫んだ。


「陣形、崩すな! 全員そのまま!」


          ◇


「よっしゃあ!」


 白線の向こうで、雅人が拳を突き上げた。


「捕った! やっぱすげえなお前!」


「……お前、敵だろ」


 亮は、咳き込みながら言った。


「あ、そうだった」


 雅人は本気で忘れていたような顔をした。


 亮は、なんとか立ち上がった。


 右腕はもう、感覚が半分しかない。肘から先が痺れている。


 だが、ボールはこちらにある。


          ◇


「──回せ」


 亮は言った。


「え?」


「回すんだ。誰も投げるな」


 十七人が、戸惑いながら動き始めた。


 亮から隣の男へ。その男から後ろの男へ。後ろから前へ。ゆっくりと、確実に、ボールが十八人の間を巡っていく。


 白線の向こうが、ざわめいた。


「おい、何やってんだ」


「投げてこいよ!」


 鷲尾が前に出た。


「おい金松! なんのつもりだ!」


「時間を潰す」


 亮は答えた。


「あ?」


「こっちがボールを持ってる間は、誰も死なない。……お前らも、死なない」


 鷲尾の顔が、赤くなった。


「ふざけんな! 勝負しろよ!」


「しない」


「なんでだ!」


「殺したくないからだ」


          ◇


 白線の向こうが、静まり返った。


 十八人が、亮を見ている。昨日まで同じ部屋にいた男たちだ。名前を知っている顔もあれば、知らない顔もある。


「……あんた」


 誰かが言った。


「本気で言ってんのか」


「本気だ」


「じゃあ、この試合どうすんだよ」


「終わらせない」


 亮は言った。


「制限時間があるのかも分からない。無いなら、無い方が都合がいい。……あいつらが痺れを切らして何か言ってくるまで、俺たちはこれを続ける」


 鷲尾は、亮を睨みつけていた。


 だが、彼の後ろで、何人かが明らかに肩の力を抜いていた。


 殺し合いを二日間覚悟していた男たちだ。やらなくていいと言われて、抗える人間の方が少ない。


「……ちっ」


 鷲尾が、白線から離れた。


          ◇


 時間が流れた。


 時計はない。体感で、五分か、十分か。


 ボールは、十八人の間を回り続けていた。


 誰も死ななかった。


 亮は、その光景を見ていた。


 二百人が六十七人になった。この部屋にいる三十六人のうち、一人も減っていない時間が、いま何分か続いている。


 ──こういうやり方も、あるんじゃないか。


 そう思いかけた。


 そのときだった。


          ◇


「──消極的試合進行を確認」


 天井の声が、部屋に落ちた。


 全員の動きが、止まった。


「保持側の攻撃意思が認められない。競技の続行が困難と判断する」


 黒スーツが、部屋の隅から歩み出た。


「言っておくが、この競技に制限時間はない」


 彼は言った。


「時間で終わるものではないからだ。……だが、進行しないものを進行させる方法は、いくつかある」


 亮の背中が、冷えた。


「これより、三十秒の計測を開始する」


          ◇


「三十秒以内に、保持側から白線を越える投球がない場合」


 黒スーツは、まったく声を荒らげなかった。


「保持側のチームから、一名を排除する」


「──ふざけんな!」


 亮は叫んだ。


「これは競技の一部だ」


「どこがだ!」


「諸君は死ぬために集められた」


 黒スーツは、初めて亮を正面から見た。


「死なない試合には、意味がない」


          ◇


「三十」


 カウントが始まった。


 亮の手に、ボールがあった。


 誰かが叫んだ。


「投げろ! 金松、投げろ!」


「二十九」


 白線の向こうで、鷲尾が構えている。その後ろに、十七人が散っている。


 その中に、雅人がいた。


「二十八」


 雅人は、笑っていなかった。


 こちらを見て、ただ、静かに立っていた。


「二十七」


 亮の指が、ボールの表面を探した。


 後ろ回転。腰より下のリリース。床から五センチを這う球。


 投げれば、当たる。


 当たれば、その人間は溶ける。


「二十六」


 亮は、自分の右腕を見た。


 肩から先が、震えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。