第十七話 投げない
照明が戻った。
部屋の隅に、また人だかりができていた。
二人目だった。
昨日と同じだ。首に指の跡があり、暴れた形跡はない。黒スーツが来て、番号を読み上げて、担架で運び出した。それだけだった。誰も何も言わなかった。昨日は騒いだ男たちが、今日はもう騒がなかった。
三十八人が、三十六人になっていた。
朝と呼んでいいのかどうか分からない明かりの中で、亮は自分の右肩を回してみた。
熱は引いていない。腕は肩より上に上がらない。上げようとすると、関節の奥で何かが引っかかる。
二十四時間後、この腕でボールを投げなければならない。
(──無理だ)
(直そうか?)
頭の中で、グードが言った。
亮の動きが止まった。
◇
(雅人の肘みたいにか)
(うん)
グードの声には、何のためらいもなかった。
(あの子にできることは、僕にもできる。腱の炎症を引かせて、傷ついたところを繋ぐ。……一日あれば、投げられるところまで戻せると思う)
亮は、天井を見上げた。
三十六人がいる。二回戦で、この中の何人かが死ぬ。亮の球がなければ、たぶん、ほとんどが死ぬ。
直せるなら、直すべきだ。
そう思った瞬間、亮は自分に聞いた。
(グード。それをやったら、お前はどうなる)
◇
返事が、遅れた。
(……減るよ)
(減る)
(僕の力が。……僕らは体を持ってないから、宿主をいじるのに使えるぶんには限りがあるんだ。使えば減る。減ったぶんは、簡単には戻らない)
(どのくらい減る)
(分かんない。やったことないから)
嘘だな、と亮は思った。
この少年は、亮に対して一度も嘘をついたことがない。ただ、都合の悪いことを言わないだけだ。
(グード)
(なに)
(お前、いま狙われてるんだよな)
(……うん)
(力が減ったら、どうなる)
沈黙。
(喰われやすくなる)
◇
(断る)
亮は言った。
(え)
(俺の肩を直して、お前が喰われたら、意味がないだろ)
(でも、投げないと勝てないよ)
(そうだな)
(三十六人、死ぬよ)
(そうだな)
亮は、ベッドから立ち上がった。
(だから、投げないで勝つ方法を考える)
(……そんなのある?)
(あった)
亮は言った。
(一昨日、俺の目の前で、それをやった人がいた)
◇
甲本拓海は、この部屋の誰よりも速い球を投げなかった。
彼がやったのは、四十九人を並べ替えることだった。
誰を前に置き、誰を後ろに置くか。隙間をどこに作り、どのタイミングで動かすか。跳ね返りを誰に拾わせるか。
あの男が死ぬ直前まで握っていたのは、ボールではなく、五十人分の配置図だった。
亮は、壁際に座っている篠塚のところへ歩いた。
「篠塚さん」
「……はい」
「教えてください」
亮は、頭を下げた。
「甲本さんが、何を見て号令を出していたのか。あの人の隣で十二年やってきたあなたなら、分かるはずです」
篠塚は、しばらく亮を見上げていた。
「金松さん」
「はい」
「あんた、投げないんですか」
「投げられません」
「……そうですか」
篠塚は、吊った左腕を少し動かした。
「俺も投げられません。捕るのも無理です。……使えない者同士ですね」
彼は、そこで初めて、ほんの少しだけ笑った。
「いいですよ。付き合います」
◇
その日、亮と篠塚は部屋の隅に人を集め始めた。
最初に来たのは、雅人だった。
「なんだよ、勉強会か?」
次に来たのは、第一試合で拾いを担当していた男たちだった。雅人の指示で動いていた連中だ。彼らは、自分たちが何をしていたのかを一番よく覚えていた。
柔道の男が来た。水泳の男が来た。
十人ほどが、床に円を作った。
篠塚が、床に指で線を引く。
「まず、大前提を訂正します」
その言い方に、亮は思わず顔を上げた。
甲本拓海が、あの作戦部屋で最初に言った言葉と、同じだった。
「このゲームは、当てるゲームじゃない」
◇
「──おい」
声がした。
鷲尾だった。後ろに五人ほどを連れている。
「何やってんだ、お前ら」
「作戦を立ててる」
亮は答えた。
「作戦」
鷲尾は鼻で笑った。
「一昨日、その作戦で何人死んだ?」
「十三人だ」
亮は即答した。
「五十人が三十七人になった。数えてる」
鷲尾の笑いが、少し引いた。
「じゃあ聞くけどよ。作戦なんか立てて、何が変わる」
「五十人が三十七人で済んだ」
「……あ?」
「甲本さんがいなかったら、全滅してた」
亮は、鷲尾をまっすぐ見た。
「あの部屋で、俺たちより強い奴が向こうにいた。それでも三十七人残ったのは、あの人が一人ずつ場所を決めたからだ」
◇
鷲尾は、しばらく黙っていた。
それから、床に唾を吐きそうな顔をして、やめた。
「俺は入らねえ」
「なんでだ」
「作戦ってのはよ、誰かに『そこに立て』って言われることだろ」
鷲尾は、自分の胸を親指で指した。
「俺は二十年、自分の判断で殴って、自分の判断で避けてきた。それで飯食ってきた。……いまさら、他人の号令で半歩ずれるなんてのは、無理だ」
「死ぬぞ」
「死ぬかもな」
鷲尾は言った。
「でも、他人の言うとおりに動いて死ぬくらいなら、俺は俺の判断で死ぬ」
その言葉には、腹立たしいほどの筋が通っていた。
亮は、それ以上何も言えなかった。
鷲尾は五人を連れて、部屋の反対側に戻っていった。
三十六人が、はっきり二つに割れた。
◇
時計のない部屋で、時間だけが過ぎていった。
二回戦まで、あと数時間のはずだった。
篠塚の講義は、十時間近く続いていた。円は少しずつ大きくなり、最終的に二十四人が座っていた。
残りの十二人は、鷲尾のところにいた。
「──金松さん」
篠塚が、床の線を消しながら言った。
「ひとつだけ、言っておきます」
「はい」
「この形は、全員が同じチームじゃないと成立しません」
亮は、頷いた。
「分かってます」
「向こうの十二人が敵に回ったら、俺たちは……」
そのとき、扉が開いた。
◇
黒スーツが、三人。
部屋の男たちが、一斉に立ち上がった。
「二回戦の説明を行う」
真ん中の男が、端末を開いた。
「開始まで、あと二時間。会場は同じ地下フロア、第二区画」
誰も声を出さない。
亮は、体の横で拳を握った。
相手はXTかXUの生き残りだ。二十九人。こちらは三十六人。数ではこちらが上回る。篠塚の作戦が回れば、勝てる可能性はある。
「対戦形式を伝える」
黒スーツは、端末から目を上げなかった。
「二回戦では、チーム編成を再編する」
「……再編?」
誰かが聞き返した。
「XVチーム三十六名を、二つに分割する」
部屋の空気が、凍った。
「新XVチーム十八名、新XYチーム十八名。第一試合は、この二チームで行う」
◇
「──待てよ」
鷲尾が前に出た。
「俺たち同士で、やれってのか」
「そうだ」
「一昨日、一緒に戦った奴らだぞ!」
「関係ない」
黒スーツは、初めて顔を上げた。
「番号は、これより読み上げる。呼ばれた者から前へ」
亮は、隣を見た。
雅人が、こちらを見ていた。
その顔から、いつもの軽さが抜け落ちていた。
「──新XVチーム。XV1」
亮の番号だった。
黒スーツの指が、端末をなぞっていく。
「XV3、XV5、XV7、XV11……」
篠塚の番号が呼ばれた。亮は、少しだけ息を吐いた。
読み上げは続いた。十人。十五人。
そして、十八人目が呼ばれても。
雅人の番号は、呼ばれなかった。




