第十五話 禁止のはずだ
死んだのは、XV19だった。
昨日の作戦部屋で、七番目に名乗った男だ。ラグビーをやっていると言っていた。名前は、亮の記憶から抜け落ちていた。
首に、両手の指の跡がくっきりと残っている。
パイプベッドの上で、掛けものは乱れていない。暴れた形跡がなかった。眠っているところを押さえつけられて、そのまま終わったのだと分かる。
「──禁止のはずだ」
誰かが言った。
「区画内での暴力行為は禁止だって、あいつら言ったよな」
◇
扉が開いた。
黒スーツが二人、入ってくる。彼らは人だかりを掻き分けて死体を確認し、それから、亮たちが期待していたどの反応もしなかった。
驚かなかった。調べなかった。誰も咎めなかった。
「回収する」
一人が、そう言っただけだった。
「待てよ」
人垣から、大柄な男が前に出た。
亮は、その男を知っていた。開会式で最初に食ってかかった格闘家だ。ゼッケンはXV16。名前は鷲尾というらしい。
「暴力行為は禁止だって言っただろうが。犯人を探せよ」
「必要ない」
「なんだと?」
「排除の対象は、我々の管理を妨げる行為だ」
黒スーツは、死体を担架に載せながら答えた。
「定員が減ることは、妨げではない」
◇
部屋が、静まり返った。
亮は、その言葉の意味を、遅れて理解した。
禁止だと言ったのは、守らせるためではなかった。あの通告で三十七人のうち何人が安心したかを、あの男たちは正確に計算していた。安心して眠らせて、そのうえで、殺した者を咎めない。
「……ふざけんな」
鷲尾が唸った。
「じゃあ何か。俺たちがここで勝手に殺し合っても、あんたらは見てるだけかよ」
「二回戦に必要な人員が揃っていれば問題ない」
「何人だよ、それは」
「言う必要はない」
担架が運び出されていく。
扉が閉まる音は、驚くほど静かだった。
◇
「──やった奴、この中にいるよな」
鷲尾が、部屋を見回した。
三十六人が、互いの顔を見ている。
「名乗り出ろ」
誰も動かない。
「名乗り出りゃ、俺は殴るだけで済ませてやる。黙ってたら、こっちで探す。探して見つけたら、同じことをする」
「同じことって」
誰かが震える声で言った。
「首絞めるってことか」
「そうだよ」
鷲尾は当然のように答えた。
「一人しか帰れねえんだろ。だったら、寝てる間に人を殺すような奴から順に減っていくのが筋だ」
亮は、目を閉じた。
(──違う)
◇
(グード)
亮は心の中で呼んだ。
(あいつの中にいた奴は、どうなった)
(一緒に消えたよ)
グードの答えは早かった。
(宿主が死ねば、僕らも死ぬ。あの子は喰われたんじゃない。……巻き添えで消えたんだ)
(じゃあ、殺したのは)
(うん)
グードの声が沈んだ。
(人間だよ)
亮の指先が冷たくなった。
(僕らにとって、宿主を殺すのは何の得にもならない。喰うなら、生きたまま乗り換えないと意味がないから。……昨日の夜あったのは、僕らの争いじゃない)
(あいつは、勘違いして殺したのか)
(そうだね)
(一人しか帰れないって、勘違いして)
(うん)
亮の膝の上で、両手が握り込まれた。
昨日、亮は知っていた。
知っていて、黙っていた。
◇
人だかりが割れて、篠塚が壁際に座っているのが見えた。
彼は、この騒ぎの間、一度も口を開いていなかった。左腕を吊ったまま、床を見ている。
亮は、そこへ歩いていった。
「篠塚さん」
「……はい」
「あなたには、何か聞こえますか」
篠塚は顔を上げた。
「聞こえる、というのは」
「頭の中で。声とか」
「いえ」
彼は首を振った。
「静かなもんです。……昨日までは、ずっと誰かがいたんですけど」
亮は、少しだけ息を詰めた。
「寂しいですか」
「いや」
篠塚は、はっきりと言った。
「せいせいしてます」
◇
「金松さん」
篠塚が、声を落とした。
「あんた、なんか知ってますよね」
亮は答えなかった。
「昨日から、この部屋で一人だけ顔色が違う。……俺、十二年ドッジやってきて、味方の顔色を見るのだけは得意なんですよ」
「……」
「言わないんですか」
亮は、鷲尾の方を見た。
男たちを一人ずつ睨みつけて、犯人を炙り出そうとしている。その周りに、既に四、五人が集まり始めていた。徒党を組んだ方が安全だと、誰もが同時に気付き始めている。
言えば、この構図は変わる。
一人しか帰れないという前提が崩れれば、殺し合う理由がなくなる。
言えば。
(──信じてもらえるか)
根拠は、頭の中の声だけだ。
そして亮は、この部屋でいちばん多くの人間を殺した男だ。
◇
「金松さん」
篠塚が、静かに言った。
「甲本さんなら、言いますよ」
亮は、篠塚を見た。
篠塚は、床を見たままだった。
「あの人、いつもそうでした。言わなきゃ損することでも、言った方が誰かの得になるなら、先に言う人でした。……で、だいたい損してました」
「……」
「だから俺、あの人のこと嫌いになれなかったんですけど」
亮は、立ち上がった。
右肩が熱を持って脈打っている。腕は上がらない。ボールもない。
それでも、口だけは動く。
「──みんな、聞いてくれ」
◇
三十六人が、一斉に振り返った。
鷲尾の目が、細くなる。
「なんだよ、プロ野球」
「大事な話がある」
「大事な話ぃ?」
鷲尾は笑った。
「言っとくけどな。この部屋でいちばん人殺してんのは、あんただぞ」
「知ってる」
「あんたが四十人以上溶かすとこ、俺は全部見てた。……その口から出てくる大事な話ってのは、なんだ?」
亮は、息を吸った。
言葉を選んでいる時間はない。真ん中から言うしかない。
「恩赦の一名ってのは、俺たち人間の数じゃない」
部屋の空気が、止まった。
「あれは、俺たちの中に入ってる連中の数だ。あいつらの中で一人が決まれば、それで終わる。……人間は、もっと残れる」
「──は?」
誰かが言った。
「何言ってんだ、こいつ」
「どこ情報だよ、それ」
当然の反応だった。
亮は、次の言葉を口にしようとした。
俺の中にいるやつが、そう言った、と。
◇
その袖を、後ろから強く引かれた。
「──やめろ、亮」
雅人だった。
亮は振り返って、そして、言葉を失った。
雅人は笑っていた。
いつもの、へらへらした笑い方で。
だが、目が、亮を見ていなかった。
顔はまっすぐこちらを向いている。瞳もこちらを向いている。それなのに、焦点がどこにも合っていない。
白線の向こうで見た、あの目だった。
「言わなくていいって」
雅人の口が、そう動いた。
「──そういうの、言わなくていいんだよ」




