第十四話 一名
「一名だ」
その言葉が落ちてから、部屋が音を取り戻すまでに、たっぷり十秒かかった。
「……一名?」
最初に声を出したのは、後列にいた大柄な男だった。柔道の選手だと自己紹介していた男だ。
「一名って、どういう意味ですか」
「言葉のとおりだ」
黒スーツは、手元の端末に目を落としたまま答えた。
「このデスドッジで最後まで残った一名に、恩赦が与えられる。それ以外の者に、帰る場所はない」
◇
亮は、その場に立ったまま動けなかった。
六十七人。
いま、自分たちを含めて六十七人が生き残っている。そのうち六十六人が死ぬ。
三十七人が、同じ部屋にいる。
さっきまで、この三十七人は同じ側の人間だった。拓海の号令で同じ方向へ半歩ずれて、跳ね返りを拾い合って、誰かが溶けるたびに一緒に黙り込んだ人間たちだ。
(──全員、敵になるのか)
部屋の空気が、目に見えて変わった。
誰も声を出さない。だが、視線だけが動いていた。隣の男の体格を測る目。誰が強くて、誰が弱いかを数える目。
(グード)
亮は、心の中で呼んだ。
(今の話、本当か)
(半分だけ)
◇
(恩赦をもらうのは、僕らだよ)
グードの声は、はっきりしていた。
(キデ星人が一人。人間の話じゃない)
亮は、危うく声を出しかけた。
(じゃあ、俺たちは)
(……最後まで生き残った宿主は、たぶん、そのまま地球に置いていかれる。僕らが出ていったあとの体で、普通に暮らすことになるんじゃないかな)
(一人だけ、か)
(ううん)
グードは言った。
(最後の一人が誰かは、寄生者が決めるんだ。宿主が何人残ってても、僕らの中で一人が決まればそれで終わり。……理屈のうえでは、人間はもっと残れる)
亮の背筋に、冷たいものが走った。
(それ、あいつは言ってないぞ)
(うん。言わないよ)
(なんで)
(言わない方が、人間同士でよく減るから)
◇
亮は、黒スーツを見た。
あの男は、端末に目を落としたまま、次の指示を出している。
──それ以外の者に、帰る場所はない。
嘘は言っていない。恩赦を得られるのが一名なのも、それ以外に帰る場所がないのも本当だ。ただ、その「一名」が人間の数ではないことだけを、伏せている。
亮は口を開きかけて、閉じた。
(言ったらどうなる)
自分が説明できるのは、頭の中の声から聞いたことだけだ。この三十七人の前で「実は俺の中の宇宙人がこう言っている」と話す。それを信じさせる材料は、何ひとつない。
むしろ。
(──俺が、最初に狙われるだけだ)
この部屋でいちばん人を殺したのは、亮だ。全員がそれを見ていた。
◇
「これより、諸君を待機区画へ移送する」
黒スーツが顔を上げた。
「二回戦は四十八時間後。それまで、諸君の身柄はこちらで管理する。食事と睡眠は保証される」
「保証、ねぇ」
誰かが吐き捨てた。
「安心しろ。区画内での暴力行為は禁止だ。破った者は排除する」
その一言に、何人かが目に見えて息を吐いた。
亮は、その反応を見て、逆に肌が粟立った。
(──安心した奴が、こんなにいる)
禁止だと言われて安心するということは、禁止されていなければやるつもりがあったということだ。
◇
待機区画は、地下の別のフロアにあった。
体育館の更衣室をそのまま十倍にしたような、細長い部屋。壁沿いにパイプベッドが並び、奥にシャワーと便所がある。窓はない。時計もない。
三十七人が入っても、まだ空きがあった。
亮はいちばん奥のベッドに腰を下ろした。右肩が、脈打つたびに熱を持つ。
「亮」
雅人が隣のベッドに座った。
「肩、見せてみ」
「いい」
「いいから」
雅人はシャツの襟を引っ張って、亮の右肩を覗き込んだ。
そして、黙った。
「……そんなに悪いか」
「腫れてる。めちゃくちゃ熱い」
「四十八時間ある」
「四十八時間で治るわけねえだろ、こんなの」
雅人は自分のことのように顔をしかめた。
亮は、その雅人の右腕を見た。
肘の内側が、明らかに膨らんでいる。
「雅人」
「ん?」
「お前の肘も見せろ」
「は?」
雅人は自分の肘を見て、それから、へらっと笑った。
「あー、これ? 全然平気。今日調子よかったって言っただろ」
「見せろ」
「だから平気だって」
雅人は腕を引っ込めた。
その動作が、少しだけ、遅かった。
◇
扉が開いて、担架が運び込まれた。
篠塚だった。
XV7のゼッケンを着せられたまま、左腕を固定されている。処置はされているらしい。三角巾のようなもので吊られていた。
黒スーツが二人がかりで彼をベッドに移し、何も言わずに出ていった。
部屋の男たちが、遠巻きにその様子を見ていた。誰も近づかない。
さっきまで白線の向こうにいた男だ。この部屋にいる誰よりも多くの仲間を殺した男でもある。
亮は立ち上がった。
「金松」
雅人が袖を掴んだ。
「やめとけよ」
「なんでだ」
「あいつ、敵だったんだぞ」
「あの人は、体を取られてただけだ」
「……それ、どこまで本当なんだよ」
雅人の声には、亮の知らない硬さがあった。
亮はその手を、そっと外した。
◇
篠塚は、目を開けていた。
天井を見ていた。焦点は合っている。白線の向こうで見たときのような、ガラス越しの目ではなかった。
「……篠塚さん」
男の目が動いて、亮を捉えた。
「あんた」
掠れた声だった。
「あの、球の」
「金松です」
「……どうも」
篠塚は、自分の左肩に目をやった。それから、右手で自分の胸のゼッケンを掴んだ。
XV7。
彼は、それをじっと見た。
「これ」
「……はい」
「甲本さんのだ」
亮は答えなかった。
篠塚は、しばらくその番号を見ていた。
それから、天井に目を戻して、静かに言った。
「あの人、どこにいますか」
◇
亮は、話した。
白線を越えたこと。番号を脱いでから走ったこと。あなたのゼッケンを剥ぎ取って、自分のを着せたこと。撃たれたあと、三十秒だけ喋ったこと。
篠塚は、一度も口を挟まなかった。
瞬きも、ほとんどしなかった。
「……最後に、伝言があります」
「はい」
亮は、少しだけ息を吸った。
「俺の球、まだ捕れてねえぞって」
篠塚の顔は、動かなかった。
表情がまったく変わらないまま、目の縁から水が落ちて、枕に吸い込まれていった。
「……そうですか」
彼は言った。
「あの人、そういう人なんですよ」
◇
消灯は、唐突だった。
天井の光がすっと落ちて、非常灯だけの暗さになる。時計がないので、何時なのかは分からない。
亮は自分のベッドに戻って、天井を見上げていた。
右肩が熱い。眠れそうになかった。
(グード)
(うん)
(お前、狙われてるって言ったよな)
(うん)
(この部屋の中に、お前を狙ってる奴はいるか)
少しの沈黙があった。
(……分かるよ)
(分かるのか)
(近くにいれば、なんとなく。同じ星の子だから)
亮は、闇の中で目を開けたまま聞いた。
(何人だ)
(この部屋には、三十八人いる)
グードの声は、ひどく静かだった。
(でも、僕らは三十七人ぶんしかいない)
(……篠塚さんか)
(うん。あの人の中だけ、空っぽ)
◇
どれくらい眠ったのか分からない。
照明が戻ったとき、亮は誰かの声で起こされた。
「──おい」
「おい、起きろ!」
複数の声が重なっている。
亮は跳ね起きた。右肩に激痛が走ったが、構っていられなかった。
部屋の中央に、人だかりができていた。
男たちが円を作って、その中心を見下ろしている。
亮は人を掻き分けて、前に出た。
ベッドの上に、一人が横たわっていた。
目を開けたまま、動いていない。
溶けていない。輪郭がある。体が、ちゃんとそこにある。
だから最初、亮は眠っているのかと思った。
──首に、指の跡があった。
「……誰だよ」
誰かが呟いた。
「誰がやったんだよ」
その声に、三十六人が、一斉に隣の男を見た。




