第十二話 敗者の扱い
「ヒュッ」
雅人の三球目が、白線を越えた。
XW側の男が横に跳んだ。跳んだ先を、球が追った。
「ボスッ」
「XW41、アウト」
三球で、三人。
「よっしゃあ!」
雅人が拳を突き上げた。
亮は、その右腕を見ていた。
振り抜いたあと、雅人の腕は体の前で止まらなかった。振り切って、そのまま左の腰の外まで流れ、行き場をなくしてぶらりと下がった。
投手の腕は、あんな流れ方をしない。
あれは、腕を制御している筋肉が、一瞬だけ仕事を放棄した動きだ。
「雅人」
「ん?」
「腕、痛くないか」
「全然」
雅人は肩をぐるぐる回してみせた。
「むしろ軽いくらい。……なんだろな、今日ほんと調子いいんだよ。プロ入ってからで一番いい」
亮は、それ以上何も言えなかった。
◇
XW側は、五人になっていた。
XW7と、その周りに立つ四人。四人はもう戦意を失っていて、ボールが飛んでくるたびに悲鳴を上げて逃げ回るだけだ。
こちらは三十八人。
数の上では、圧倒している。
「野上」
拓海が言った。
「もう投げるな」
「え? なんでですか、当たってるのに」
「代わる」
拓海は、雅人の手からボールを取り上げた。
「甲本さん、俺まだいけますって」
「あんたの肘は、もう二球でいかれる」
拓海はボールを脇に抱えて、白線の方へ歩いていった。
「野上。俺は十二年、この競技を見てきた。肘をやる直前の選手ってのは、みんな同じ顔をする」
「どんな顔っすか」
「今日は調子がいい、って顔だ」
雅人の笑いが、初めて途切れた。
◇
拓海は、前列の中央に立った。
小柄で、細身で、手だけが大きい男。ここにいる誰よりも体格に恵まれていない男が、この部屋で一番危険な場所に立った。
「金松、野上、下がってろ。俺の後ろだ」
「甲本さん、一人でやるつもりですか」
「一人じゃない。三十八人でやる」
拓海はボールを構えた。
「聞け、全員。ここからは俺が投げて、俺が捕る。……お前らの仕事は一つだけだ」
彼は振り返らずに言った。
「生きてろ」
◇
拓海の投球を、亮は初めて見た。
驚くほど、地味だった。
速くない。亮の球の半分も出ていない。フォームも大きくない。腕は肩の高さまでしか上がらず、体重移動も最小限だ。
だが。
「ドッ」
「XW44、アウト」
当たった。
当たり前のように、狙ったところに。
「──なんだ、今の」
亮は呟いた。
球速がないから、相手には十分見えていたはずだ。捕る時間も、避ける時間もあった。
なのに、当たった。
「雅人、今の分かったか」
亮が聞くと、雅人は首を横に振った。
「わかんね。……いや、待てよ」
雅人が目を細める。
「あの人、相手の足が動いた方に投げてる」
◇
そのとおりだった。
拓海は、相手が避ける方向へ投げていた。
人間は、球が来る前に体重を移す。どちらに逃げるかは、球が離れる前に足が答えを出している。拓海はそれを見てから、リリースの角度を微調整していた。
速い球を投げる必要がない。
逃げた先に置いておけばいいのだから。
「化け物だな、あの人」
雅人が呟いた。
「ドッ」
「XW22、アウト」
「ドッ」
「XW18、アウト」
跳ね返ったボールは、拓海自身が拾いに行った。白線ぎりぎりに落ちた球も、彼の大きな手が先に触れた。
XW側から、投げ返される球は一度もなかった。
彼らはもう、拾いに行くことすらしなかった。
◇
残りは、二人になった。
XW7と、震えながら立っている若い男が一人。
そして、白線の向こうの床に、篠塚がうつ伏せのまま倒れている。
「──やるな、甲本拓海」
XW7が言った。
「あんた、いい選手だ。純粋に、そう思うよ」
「そりゃどうも」
拓海はボールを構えたまま答えた。
「その若いのは、投げないのか」
「投げないよ。もう手遅れだからね」
XW7は、隣の男を親指で示した。
「こいつはただの人間だ。中身は、さっき俺が喰った」
その言葉に、若い男が振り返った。
「え?」
「知らなかったのか? 俺がこの体に移ったとき、ついでに手を伸ばしたんだよ。あんたはさっきから、ただの人間として走り回ってたんだ」
若い男は、口を開けたまま固まった。
拓海が投げた。
「XW11、アウト」
男は、自分が何を言われたのかも分からないまま、床に広がった。
◇
「残り一人だ」
拓海は、跳ね返ったボールを拾いながら言った。
「あんたが最後だぞ」
「そうだね」
XW7は、まったく動じていなかった。
「なあ、甲本拓海。ひとつ聞いていいか」
「なんだ」
「この試合、あんたたちが勝ったとして」
XW7は、床に倒れたままの篠塚を指さした。
「そこで寝てる元・俺の椅子は、どうなると思う?」
◇
拓海の動きが、止まった。
亮は、その背中を見た。
肩が、わずかに強張っていた。
「──おい」
拓海は、白線から視線を外さずに言った。
「黒スーツ」
部屋の隅に立っていた男が、顔を上げた。
「質問だ。負けたチームの生き残りは、どうなる」
黒スーツは、まったく間を置かずに答えた。
「処分する」
◇
部屋の空気が、変わった。
三十八人が、一斉に白線の向こうを見た。
そこに倒れている男を。
「処分って」
拓海の声が、掠れた。
「そいつはもう、寄生されてない。ただの人間だ」
「関係ない」
黒スーツは事務的に言った。
「敗者チームの人員は、勝敗確定と同時に処分する。これは競技のルールではなく、管理上の決定だ」
「そいつは戦ってない! 途中で捨てられただけだ!」
「そうだな」
黒スーツは頷いた。
「だが、XWチームだ」
◇
「ぎゃはは」
XW7が、腹を抱えて笑った。
「聞いたか? あんたが勝ったら、そいつは死ぬんだよ」
「……」
「逆に、あんたが負けたら、あんたたち三十八人が死ぬ。……いい問題だろ?」
拓海は、答えなかった。
亮は、その背中を見ていた。
この男は、試合が始まってから一度も迷わなかった。四十九人を四十四人にしても、三十八人になっても、次の一手を出し続けた。号令を出し、陣形を組み替え、味方が溶けるたびに黙って次の指示を出した。
その背中が、初めて、止まっていた。
「甲本さん」
亮は言った。
「勝ちましょう」
拓海が、ゆっくり振り返った。
「金松」
「勝たなきゃ、三十八人が死にます。……それは、篠塚さんも望まないはずです」
「ああ」
拓海は頷いた。
その顔に、亮の知らない表情が浮かんでいた。
怒りでも、悲しみでもない。
何かを、決めた顔だった。
「勝たせてくれ、金松」
拓海は、ボールを握り直した。
「そのあとで、俺に一つだけ、やらせてほしいことがある」




