第48話:ジャラジャラ鳴る財布と、「PoC(概念実証)中止」
ハローワークで優秀な平民が集まり、王都の駆動スピードはさらに跳ね上がっていた。現場が回るようになると、アレンは次なる標的に目をつけた。市場の流通速度を上げるため、決済そのものの仕組みを変えようと、青臭い夢を見たのだ。
深夜二時。アレンが、興奮で肩を大きく上下させながら蔵の扉を押し開けた。その手には、市場の混雑状況を記した最新の報告書が握られている。
「マスター!市場の決済を根本から変える新システムです!現金を一切使わない『魔導カード決済』を導入すべきです!スリも一掃できます!」
「ほう、キャッシュレスか。大きく出たのぉ、アレン」
カウンターで、日本のポテトチップスをパリパリと汚らしく囓っていたオルドが、興味深そうに耳を跳ね上げた。
「カード決済、ですか」
坂本は冷徹なトーンのまま、静かにホワイトボードの前に立った。
「面白いですが、まずは徹底的な仕様の洗い出しが必要です。アレンさん、私の質問に答えてください」
ここから、ホワイトボードにマーカーを走らせる嫌な匂いが立ち込める中、二人の息苦しい押し問答が始まった。
「まず、商人がカードを使った瞬間、王宮のメインサーバーでリアルタイムに減算処理を行いますか?」
「それは……無理です!数万件の決済をリアルタイムで処理したら、王宮でソロバンを弾く人間たちの脳が、一秒でパンクします!」
「じゃあ、昼間はカードに支払いのログだけを記録させ、夜間にまとめて王宮で計算しますか?」
「それも不可能です!人口二十万人分の膨大な取引ログを、夜間にわずか十人の財務官で手計算したら、朝が来る前に全員が過労死します!」
「なら、前払い式はどうですか。あらかじめ現金を預けさせ、その分の魔力をカードに込める」
「大暴動が起きますよ!」
アレンが声を荒らげる。
「給料日の朝、チャージを求めて窓口に二万人の平民が殺到して、三十時間待ちの長蛇の列ができて市場が死にます!」
「では、後払いにせざるを得ない。一ヶ月分の取引をまとめて後から請求する」
「絶対にダメです!!」
アレンは髪を振り乱し、ホワイトボードを叩いた。
「引き落とし日までに、身元の不確かな商人や平民に全額持ち逃げされて行方をくらまされます!回収不能の不良債権が膨れ上がって、王宮が破産します!!」
どこを突いても、致命的な欠陥が出る。完璧なはずのアイデアなのに。アレンは頭を抱え、ホワイトボードの前に崩れ落ちた。悔しさで目が潤んでいる。
坂本はマーカーを置き、疲れ切ったアレンに冷たいコーヒーを差し出すと、ボードにびっしり書かれた文字を、雑巾でバサァッ!!と一気にすべて消し去った。黒いインクの粉が宙に舞う。
「アレンさん。このプロジェクトは中止です。今すぐ仕様書を破棄してください」
「えっ!?中止……ですか!?」
「ええ。基盤が追いついていないのに、流行り文句だけで高度なシステムを導入しようとするのは下策です。無駄に複雑化させてリスクを増やすくらいなら、おとなしく現物の銀貨を使わせた方が百倍マシです」
「できないことを認めて、引き返す……」
アレンは呆然としながらも、致命的な被害が広がる前にプロジェクトを凍結できたことに、深い安堵感を覚えていた。
「ただし、市場の渋滞とスリの問題は残る。ですから、身の丈に合わないキャッシュレスは諦めて、泥臭い物理で対応しましょう」
坂本はノートに、新たな運用フローを書き出した。
小さな銀貨をジャラジャラと持ち歩くからスリに狙われ、数えるのに時間がかかる。市場の要所に、一瞬で「銀貨百枚」を「大金貨一枚」に、あるいはその逆に等価交換できる王宮直営の両替所を作る。現金を数える時間を、物理的に圧縮するパッチ。
以前、馬車の効率化の際に構築したデータを流用する。市場の中で、最も金が動き、渋滞が発生しやすい危険地帯を時間帯ごとに割り出し、そこへ重点的に憲兵の巡回リソースを投入して、スリを物理的に殲滅する。
「スマートじゃありませんが、今の王国の技術力なら、明日から確実に稼働できる現実的なシステムです」
「……分かりました。今できる最善を尽くします!」
アレンの目から迷いが消えた。高度すぎる理想に溺れず、現実の限界を見極めて引き返す。これもまた、マネジメントの真髄だった。
翌朝。王宮の地下室が、ソロバンの摩擦熱で炎上することはなかった。アレンはハローワークで採用した優秀な平民事務員たちに、防犯・渋滞マップの作成を指示した。王都の市場には、新しく頑丈な王宮の両替所が設置され、財布が重くなった商人が一瞬で大金貨に両替できるようになっていた。
◇
午前六時、日本。業務を終えた坂本は、パソコンの画面で、デジタル通貨プロジェクトが数十億円を投じたのちに凍結されたというニュースを静かに眺めていた。
「開発を止める勇気のないプロジェクトマネージャーが、一番無能だからね。アレン、良い勉強になったな」
出がらしの冷え切ったコーヒーを喉に流し込む。キャッシュレスほど未来的ではない。しかし、以前よりも遥かに安全で、スムーズになった活気ある市場。平民たちはジャラジャラと小気味よい現金の音を響かせ、金属の擦れる臭いをさせながら、今日も楽しそうに行き交う。坂本は片付いた静かな自室で、こびりついた疲労感を抱えたまま、重い瞼を閉じるのだった。




