第46話:部屋を埋め尽くす段ボールと、日本の「リスク分散」
深夜二時。蔵の重い扉が軋んだ音を立てて開いた途端、アレンとピアは、いつもの整然としたカウンターが消え失せている光景に、言葉を失った。
床から天井までを埋め尽くす、狂ったような茶色の壁。段ボールの山だ。
カビ臭さと糊の匂いが立ち込めるその隙間で、四十半ばの男が髪を振り乱していた。いつもなら嫌味なほど冷徹な坂本が、血走った目でプチプチを千切っている。ガムテープをバリバリと引き剥がす音が、狭い空間に酷く耳障りに響いた。足元では配送伝票のロール紙が蛇のようにのたうち回り、男の靴に絡みついている。
「あ、アレンさん、ピアさん……っ。すいません、今、ちょっと……」
坂本は声を裏返らせたまま、ハサミを咥えて段ボールに体重を乗せた。
「日本側の、うちのネットショップが……夏の新生活とか、SNSの悪目立ちで注文が跳ね上がって。梱包が、物理的に、追いつかない」
「マスター……?あの、いつも偉そうなマスターが、箱に潰されかけてる……」
ピアが引きつった顔で、一歩後退りした。
アレンは呆然と、目の前の段ボールの壁を見上げた。以前、坂本が自慢げに語っていた『ロジスティクス』という、あの小難しい横文字が脳裏をよぎる。それをそのまま、目の前の哀れな男に突きつけてやりたくなった。
「マスター。現物を自分の手で一つずつ包んで運ぶのは、時間を無駄にする最大の欠陥だと、ドヤ顔で教えてくれたのは誰でしたっけ」
ガムテープを引きちぎろうとしていた坂本の指が、ピタ、と止まった。爪の間に段ボールのカスが挟まっている。ハッとした。その通りだ。他人のインフラを偉そうにデバッグしておきながら、自分の足元は、自分一人の肉体に依存する属人的なワンオペ。典型的な、泥沼のデスマーチ。
坂本は深く、喉の奥から這い出るようなため息をついた。粘着剤でベタつく手で、デスクからキンキンに冷えたペットボトルのアイスコーヒーを二人に放り投げる。
「……その通り。完全に、私の設計ミスです。プロのインフラに丸投げすべきだった」
パソコンの液晶画面が、坂本の青白い顔を照らす。キーボードを叩く指が、どこか投げやりだ。
「日本には、大手通販サイトの巨大な化け物みたいな物流倉庫があるんです。そこに在庫を段ボールごと突っ込んでおけば、注文の処理から、ロボットによるピッキング、梱包、二十四時間以内の発送まで、全部勝手にやってくれる強力な仕組みがある」
「じゃあ、今すぐその、大手通販サイト一本に乗り換えればいいじゃない!」
ピアが冷たいボトルを頬に当てながら、身を乗り出した。
「いや、一本に絞るのは最悪だ。単一障害点。要するに、そこが死んだら全部道連れになる」
坂本の目が、冷めた経営者のそれに変わる。
「大手通販サイトのAIが気まぐれに誤作動を起こしたり、同業者から嫌がらせの通報を食らって、アカウントが明日突然凍結されたら?売上は一瞬でゼロ、破産です。だから、利益率の良い自社ショップはそのまま主戦力として残す。その上で、裏側の倉庫と出荷の機能だけを、大手通販サイトのインフラに繋ぎ込むんです。自社ショップで売れたデータが、システムを通じて大手通販サイトの倉庫へ一瞬で飛び、向こうのロボットが勝手に動く。私たちは何もしない」
フロントは複数に分散してリスクを逃がし、バックエンドの倉庫だけを統合する。失敗の泥沼から一瞬で這い上がる、その執念深いサバイバル思想に、アレンは背筋が震えるのを感じた。
「ひっ、ひっひ!自分の身体を動かすのをやめて、世界の仕組みに金を稼がせるわけか。悪党の手口だな、マスター」
カウンターの隅で、大魔導士オルドが冷えたコーヒーを美味そうに喉へ流し込みながら、長い耳を愉しげに揺らした。
「プロのシステムを使いこなしてこその管理職ですよ。ピアさん、ちょうど良かった」
坂本は、ピアが持ってきたばかりの、ブランドロゴが刻まれた木製スタンプをひったくった。それを、日本から持ち込んだ無地の梱包箱に、体重をかけて押し付ける。ドン、と鈍い音が響いた。「これで、大手通販サイトのブランド審査をすり抜けるパッケージの完成だ。これを送れば、あとは全部自動化できる」
翌朝、午前六時。坂本は溜まっていた数百個の荷物を、這うようにして準備を終え寝床に入った。
正午、目を覚ますと軽トラの荷台へ詰め込み、これが人生最後の、泥臭いドサ回りだ。そう呟いて、排気ガスを吐き出しながら大手配送業者の営業所へ車を走らせた。
静まり返った自室に戻り、モニターの前で、自社ショップと大手通販サイトを繋ぐ連携アプリの環境設定を淡々と進める。次からは、仕上がった財布やバッグを、段ボールごと委託倉庫へ一箱送るだけ。自分が蔵に引きこもってようが、死んだように眠っていようが、複数の店舗から勝手に商品が消え、金が振り込まれる。
今後届くであろう二つの異なるショップからの、出荷完了のログデータ。それが脳裏で、冷たく点滅していた。
段ボールの山が消え去った、妙に広くてガランとした蔵。坂本は目頭を強く押さえた。リスクを散らして、仕組みは一つ。理屈は分かっているが、酷使した肩と腰が、鉛のように重い。たっぷり寝たはずなのに、底知れない気だるさが抜けない。明日もまた、別の問題が待っているだけだ。画面の放つ青白い光が、男の疲れた顔をいつまでも照らしていた。




