サイドストーリー:大魔導士オルド、日本の「通販カタログ」に脳を焼かれる
深夜三時。耳の奥に残るフェスの喧騒が、じわじわと冷たい夜気に押し潰されていく。坂本はカウンターの奥で、カビ臭い段ボールの底をあさっていた。実家の物置に転がっていた、数年前のぶ厚い通販カタログ。それと、百円ショップの安っぽい便利グッズが並ぶ雑誌の束。資源ゴミに出そうと麻紐を指に食い込ませて縛っていた時、背後の闇から、低く濁った声が這い出してきた。
「マスター、また妙な『魔導書』を隠し持っておるな」
いつの間にか、オルドがカウンターの端の擦り切れた座布団に尻を乗せていた。尖った長い耳を小刻みに震わせ、坂本の泥臭い作業をじっと見つめている。
「魔導書じゃありませんよ。日本の、ただの日用品の型録です。ただのゴミですから、欲しければどうぞ」
手渡された分厚い冊子。表紙の『新生活応援・暮らしの便利グッズ特集』という文字は、この世界の住人にはただの不揃いな記号だ。オルドは指先の脂で紙を汚しながら、適当にページをめくった。老エルフの濁った瞳が、異様なほどカッと見開かれたのはその直後だった。
「な……なんじゃあ、この悍ましい精神汚染の呪具は……っ!?」
オルドの指が震えながら指したのは、リビング用のビーズクッションのページ。
「座った者の骨を抜き、肉を溶かし、二度と立ち上がる気力を毟り取る……だと!?国家の防衛線を一日で壊滅させる禁忌の呪具ではないか!これが、わずか数千円だと……?」
「ただの発泡スチロールの粒が詰まった袋ですよ」
坂本は、親指の爪でカウンターにこびりついた汚れをガリガリと削り落とし、淡々と言った。
老魔導士の狂乱は止まらない。薄っぺらい紙をめくるたびに、現代日本の安価な工業ロジックが、そのプライドを容赦なく殴りつけていく。
「マスター!この【全自動鼻毛カッター】の極小の回転刃はどうなっておる!?刃が直接肌に触れぬよう、外側の金属で空間を固定しておるのか!?」
「ただの物理的な安全ガードです。それ以上でも以下でもない」
「ではこれじゃ!【レンジで簡単!パスタ茹で容器】!魔法の窯(電子レンジ)に入れるだけで、お湯を吹きこぼさずに完璧な硬さの麺を錬金するプラスチックの器……!水流を循環させるための、この絶妙なスリットの配置……くっ、美しすぎる。古代の陣形にも匹敵する完璧な構造じゃ!」
オルドの息が荒い。王宮で世界の真理を極めたはずの男が、日本の主婦の知恵から生まれた100円のプラスチック片に、脳を完膚なきまでに破壊されていた。
手が止まった。裏表紙の近く、ジャンクな色彩で印刷されたインスタント食品の広告。そこには【からしマヨネーズ付きのカップ焼きそば】の写真が、油ぎった光を放っていた。オルドはごくりと喉を鳴らした。
「マスター……。ワシは知っておるぞ。この四角い箱の中に、あの夏フェスを支配した『あの茶色いソースの魔力』を閉じ込めた乾き麺があるのじゃろう?今すぐそれを、ワシに錬金して見せよ」
「……仕様がありませんね」
坂本は、鼻の頭に浮いた油を手の甲で拭うと、棚の奥からシュリンク包装されたカップ麺を引きずり出した。プラスチックの薄皮を爪で引き裂き、中の小袋を放り出す。ケトルの熱湯を注ぐ。
「三分、待ってください」
「三分じゃと!?あのカチカチの細麺が、わずか三分で極上の麺へと転生するのか!?」
オルドはタイマーのデジタル数字を、まるで爆弾の起爆装置でも見るかのように、瞬きもせず睨みつけている。
ピピピ、と安っぽい電子音が鳴る。坂本は蓋の端のプラスチックを剥がし、湯切り口からシンクへ熱湯をぶちまけた。ボコボコと不快な音が響く。そこへ、特製ソースを一気に絞り出した。
ジュワッ。
蔵の中に広がる、屋台のものよりもさらに人工的で、化学調味料の暴力的なまでに食欲をそそる濃厚なソースと酸味の香り。さらにふりかけを散らし、仕上げに、あの白い特製マヨネーズを美しい線でブシュウウウと引き絞る。通称『マヨビーム』だ。
「ジャンクの極みです。どうぞ」
「うむ……!いただきますじゃ!」
オルドは箸を割り、マヨネーズとソースが複雑に絡み合ってドロドロになった麺を豪快にすくい上げ、口へと運んだ。
「――ッッッ!!!!」
その瞬間、恐怖と快楽のあまり、長い耳がピンと限界まで垂直に跳ね上がる。
「な、なんじゃこの味付けの暴力は……っ!!昼間に食った焼きそばが『正統派の魔術』なら、これは脳の神経を直接狂わせる『禁断の暗黒魔術』じゃ!!濃厚なソースの塩気に、この白いソースの酸味と脂のコクが加わり、舌の上が完全にハッキングされておる!箸を動かす手が止まらんわい!」
オルドは叫びながら、大魔導士のプライドを全て投げ打ち、四角いプラスチックの器に顔を突っ込む勢いで麺を貪り食った。日本の化学調味料とマヨネーズの旨味成分は、異世界の最高知性にとって、脳内麻薬を強制分泌させる劇薬そのものだった。
最後のキャベツの欠片まで綺麗に平らげ、冷たい麦茶で喉を潤したオルドは、ふぅ、と長い息を漏らして座布団に深く沈み込んだ。
「いやはや、恐れ入った。お主の世界の『カタログ』と『夜食』、どちらもワシの脳を完全に焼き尽くしてくれたわい……。マスター、この魔導書は、ワシが貰い受けていくぞ。毎晩の研究の読み物にするのじゃ」
分厚いカタログを、まるで古代の禁書でも扱うように大切に小脇に抱え、オルドは満足げに蔵の扉を開けて去っていった。
静かになったカウンターの奥。坂本は、油を吸ってベタつくプラスチックの空き容器をゴミ箱へ放り込んだ。部屋の隅に漂う、人工的なソースの残臭がいつまでも鼻腔の奥にへばりついて離れない。
坂本は疲れた目で暗い天井を見上げた。明日は、あの老エルフのために『人をダメにするソファ』でも日本側から引っ張ってくるか。そんな益体のない思考を、真夜中の気だるさの中に沈めていくのだった。




