第31話:10分続く叙事詩と、J-POPの「サビの魔力」
スラムが、小綺麗な街へと姿を変えていく。坂本が裏で糸を引く物流の網は、王都の喉元を確実に締め付けつつあった。
深夜二時。湿った冷気が這い回る蔵のなか、静寂を叩き割るようにして分厚い木の扉が跳ね上がった。真鍮のベルが耳障りな音を立ててのたうち回る。
「マスター!頼む、この男の首を繋いでやってくれ!」
飛び込んできたのは、王宮聖騎士団長レオノーラだった。鎧の擦れ合う硬い音が、狭い店内に嫌に響く。彼女が強引に引きずってきたのは、顔色を土気色に変えた若い男だった。手にしたリュートのネックを、折れんばかりの力で握りしめている。
「夜逃げの片棒担ぎか?景気がいいのう」
カウンターの隅、クッションに深く腰を沈めた老エルフのオルドが、濁った声を出した。手元には、結露でラベルのふやけたレモンサワーの缶。ストローを吸うたび、ズズ、と汚い音が立つ。
「レオノーラさん、そいつは?」
坂本の目は、いつも通り冷めている。
「リュカだ。我が団の軍歌担当なのだが……こいつの紡ぐ叙事詩が、まぁ、酷くてな。前線の兵どもが、揃いも揃って泥のように爆睡しやがった。明日までに使い物になる新曲を持ってこなければ、こいつは路頭に迷う。我が団の面目も丸潰れだ」
「そんな……私は、神々の歩みを正しく……」
リュカと呼ばれた青年が、カウンターに額をこすりつけるようにして呻いた。爪の間に染み付いた松脂の匂いが、かすかに漂う。
「なるほど、伝統ですか」
坂本は、引き出しからクシャクシャになったティッシュを取り出し、鼻を静かにかんだ。。
「リュカさん。一曲、ここで叩きつけてみてください。話はそれからです」
青年は、震える指で弦を弾いた。技術は確かだった。狂いのない音程、透き通った声。だが、退屈だった。五分、十分。平坦な砂漠を延々と歩かされているような、終わりのない旋律。古い羊皮紙に書かれた年表を、ただ綺麗な声で読み上げられているだけの、酷く眠気を誘う代物。
「ふぁ……」
オルドが大きなあくびをして、涙の浮かんだ目をこすった。
「極上の睡眠魔法じゃな。耳の奥が痒くなる」
「環境音楽(BGM)ですね。カタルシスがない」
坂本は言い捨てると、台所へ引っ込んだ。しばらくして、凄まじい爆音とともに、黒い鉄板がカウンターに叩きつけられた。
ジューウウウ……ッ!
強烈なごま油の香りと、焦げた小麦の匂いが狭い店内に漂ってくる。深夜の胃袋を直接掴んでくるような、暴力的な餃子。パリパリの黄金色の羽根が、脂を吸ってぎらぎらと光っている。その傍らに、結露したビールのグラスが置かれた。
「食ってください。頭の固定観念を引っ繰り返します」
リュカは、ごくりと唾を飲み込んだ。箸の持ち方もおぼつかない手で、塊を口へ放り込む。
パリッ。ジュワァ。
「っ――!?」
青年が椅子から弾け飛んだ。口の端から熱い肉汁が垂れるのも構わず、己の舌を凝視している。
「イントロの軽い歯ごたえのあと、肉の脂が怒涛のように押し寄せて……最後に、この、頭の芯を直接殴りつけてくるような凶暴な風味はなんだ!?」
「それがニンニク。音楽で言う【サビ】です」
坂本は使い古しのノートを開き、ボールペンを走らせた。
「あなたの歌には、顔がない。現代日本の音楽ビジネスは、もっと残酷な構造をしています。イントロで首根っこを掴み、Aメロで足元を見せ、Bメロで階段を駆け上がらせる。そして【サビ】という最も高い音、最も強い言葉の塊で、聴き手の脳の血管を破裂させるんです」
「サビ……感情の、爆発……」
リュカの目が据わっていく。賛美のなかに埋もれていた頭が、未知のロジックに殴られて覚醒していく。
「おもしろい。魔法の術式と同じじゃな」
オルドが横から餃子を盗み食いし、口の周りを油だらけにしながら笑った。
「魔力を練り、練り上げ、一気に解き放つ。これを歌のなかに組み込めば、愚民どもの脳を合法的に狂わせる精神魔術になるぞ」
坂本はカウンターの底から、埃を被ったポータブルキーボードを引きずり出した。電源を入れると、ピーという無機質な電子音が響く。
「コード進行、いわゆる『王道進行』を叩き込みます。ただし、丸パクリはなしだ。私の故郷には著作権管理団体という、地獄の閻魔よりもしつこい権利の化け物がいる。網に引っかかれば一発で終わりです。古い民謡のメロディを骨組みにして、この方程式で肉を付け替えなさい」
リュカは、ヘッドホンを耳に押し込まれると、取り憑かれたように鍵盤を叩き始めた。電子の冷たい音が、彼の古い脳みそを容赦なく書き換えていく。
数日後の夕刻。湿気と男たちの汗が、兵舎の空気を淀ませていた。クビ寸前のリュカが、数千人の兵の前に立つ。男たちは「またあの睡眠歌か」と、あくびを噛み殺しながら地面に寝転がっていた。
だが、リュカがリュートの弦をむしり取るようにして掻き鳴らした瞬間、空気が凍りついた。
低く、地を這うようなAメロ。じわじわと胸の鼓動を急かすBメロ。兵たちの背筋に、見たこともない粟立つ。
そして――。完璧に計算された一瞬の静寂のあと、リュカが喉を引き裂くような高音で、勝利の誓いを絶叫した。
【サビ】が、鼓膜に突き刺さる。
「「「おおおおお、おおおおおおおおお!!!」」」
地鳴りだった。数千人の肉塊が、一斉に総毛立ち、拳を突き上げて吠えた。脳の報酬系を直接注ぎ込まれた男たちが、涙を流しながら、初めて聴くはずの旋律を大合唱している。最前線の士気は、一瞬にして沸点へと達した。
深夜二時。声を完全に枯らし、抜け殻のようになったリュカが戻ってきた。
「マスター……誰も、寝なかった……」
坂本は、ただ小さく息を吐いた。そして、プロ仕様のゴツいスタジオモニターヘッドホンを、青年の耳に優しく被せた。
「ご褒美です。世界の、本当の濁りのない音を聴いてみなさい」
ヘッドホンから流れる圧倒的な立体音響に、リュカは再び涙を流し、床にへたり込んだ。
「ひっ、ひっひ。王都の古い音楽屋どもは、これで全員お払い箱じゃな。さあマスター、次はこれをどんなデカい仕掛けに組み込む?」
オルドがレモンサワーの缶を机に叩きつけ、邪悪に目を細める。坂本は何も言わず、次なる「スラムの福利厚生」という名の、底辺の人間たちを飼い慣らすための計画書へ、静かにペンを走らせるのだった。




