第21話:液晶越しの狂騒と、「初期ロット」
深夜四時。限界集落の静寂に包まれた蔵の中で、パソコンの液晶画面だけが青白く坂本の顔を照らしていた。
画面に表示されているのは、数日前から寝る間を惜しんで構築していた、個人向けの小さなネットショップの管理画面だ。坂本はマウスを握る手に少しだけ力を込め、画面の隅にある「ショップを公開する」というボタンを静かにクリックした。
「よし……これで接続は完了だな」
出品したのは、ガラム親方が見つけてきた乾燥端材のオーク材を使ったスマホスタンド10個。そして、スラムのカイルたちがポカヨケの型枠で寸分の狂いもなく切り出し、一流の職人が磨き上げた国産牛ヌメ革の文庫本カバー十個。合わせて、わずか二十個の「初期ロット」。
価格は、それぞれ5千円。フリマアプリや一般的なネット通販の相場から見れば、ノーブランドの工芸品としてはかなり強気の、強気すぎる設定だった。しかし、坂本はあのスラムの住民たちが生まれて初めて流した涙と、異世界の職人たちが意地をかけて検品した圧倒的な仕上がりを知っている。ダンピング(不当廉売)をして彼らの労働価値を買い叩くような真似だけは、元中間管理職のプライドが許さなかった。
商品説明欄には、極めてシンプルに、しかし坂本がこだわって撮影した「細部の拡大写真」を何枚も添えて、こう記載した。『材質:国内産牛ヌメ革/国内産木材使用。職人による完全手作業のため、数量限定となります』
「ま、そう簡単には売れないだろうが……」
異世界と繋がっているとはいえ、日本側から見れば、ここはただの限界集落に住む無職のおっさんが始めた、怪しい個人ショップに過ぎない。坂本はふうと小さく息を吐くと、パソコンの電源を落とし、いつも通り枕元のスマートフォンを充電器に挿して、泥のように深い眠りについた。
翌正午。
「ブブブブ、ブブブブ」
枕元のスマホが、床板を鳴らして激しく震えた。耳障りな金属音が聞こえ、坂本は目を覚ました。寝ぼけ眼をこすりながらスマートフォンの画面をロック解除した瞬間、坂本の思考は完全にフリーズした。
画面を埋め尽くしていたのは、ネットショップからの売上レポートだった。
『売上確定:注文番号0001』
『売上確定:注文番号0002』
『売上確定:注文番号0003』
……
『売上確定:注文番号0020』
「……全部、売れてる?」
時計を見る。ショップを公開してから、まだわずか八時間しか経過していない。開始数時間の深夜の間に、用意した初期ロット二十個がすべて完売していた。
何が起きた。冷や汗が一気に背中を伝う。坂本はすぐにパソコンを起動し、情報収集を開始した。IT企業の中間管理職として培った検索能力で原因を特定するのに、五分もかからなかった。
原因は、とあるSNSのポストだった。フォロワー数数十万人を抱える、日本の高名なガジェット系インフルエンサーが、深夜三時にショップの「拡大写真」を引用しながら、以下のような熱狂的な投稿をしていたのだ。
『変な時間に目が覚めて、ネットの海を漂ってたらヤバいショップを見つけた。まだ誰も買ってない無名の店なんだけど、掲載されてる写真を見ただけで脳がバグった。おいこれ、拡大して見てくれ。縫い目の細かさ、木材の面取りの滑らかさ、磨きの執念が狂気を感じるレベルで均一だぞ。ミシンじゃなくて手縫い、しかもこのレベルの木工加工で五千円は価格設定が絶対に壊れてる。質感のバケモノなのが写真越しに伝わってくるわ。とりあえず人柱として文庫カバーとスタンド速攻でポチった。URL貼っとく』
そのポストは瞬く間に拡散され、数万の「いいね」とリポストを叩き出していた。ネット上はガジェットマニアやインテリア好きの狂騒で埋め尽くされている。
『何このショップ?覗いたらもう全部売り切れてるんだが!』
『インフルエンサーの言う通り、写真の拡大見たけど職人の技術えぐすぎない?』
『再販いつですか?絶対欲しい』
『木製スタンドの角の処理、写真だけでも日本の老舗家具屋レベルなのが分かる……』
「液晶越しの口コミ」という名の、現代日本の情報爆発だった。まだ発送すらしていない段階で、その卓越した「規格と技術の美しさ」が写真越しにマニアたちの心を撃ち抜いたのだ。
しかし、画面を見つめる坂本の顔に、歓喜の色は一切なかった。むしろ、顔面は蒼白になり、額からはタラリと冷や汗が流れていた。坂本は狂喜乱舞するどころか、即座にデスクトップの表計算ソフトの画面を開いた。
「まずい……非常にまずいぞ、これは……」
元IT企業管理職の脳が、最悪の方程式を即座に弾き出していた。世の浅はかな素人起業家なら、「大ヒットだ!」と喜んで即座に「予約受付」のボタンを設置するだろう。しかし、坂本がシステムエンジニア時代に嫌というほど見てきたのは、『バックオーダー(受注残)地獄』によるプロジェクトの崩壊だった。
ここで調子に乗って数千個の予約を受け付ければどうなるか。スラムのあの急造されたばかりの生産ラインに、処理不可能なレベルの「納期」という名の悪魔が襲いかかる。せっかくホワイト化した現場は一瞬で崩壊し、ピアは再びデスマーチの怨霊と化し、ガラム親方は激怒し、住民たちは過労とプレッシャーで再び心を荒ませるだろう。
「初速が良い時ほど、あえて強烈にブレーキを踏む。これが、納期管理とサプライチェーン維持の絶対鉄則だ」
坂本はキーボードを叩き、ショップのトップページに赤字で巨大な一文を掲載した。
【全て手作業で制作しております・次回ロットは三十個前後を予定しておりますが。数が増減しますので予約は一切受け付けておりません】
飢餓感を煽ってプレミアム価値をつけるためではない。持続可能な「ホワイトサプライチェーン」を維持するため、そしてスラムの住人たちの尊厳を守るための、冷徹なまでのリスクヘッジだった。
その日の深夜二時。坂本は蔵のカウンターで、購入者一人一人への丁寧なサンクスメールの送信を終え、日本側から発送するための丁寧な梱包作業を黙々とこなしていた。まだ見ぬ購入者たちを唸らせるため、異世界の工芸品をプチプチ(緩衝材)で包む音が、静かな蔵に響く。
カラン、とドアベルが鳴り、大魔導士オルドがひょっこりと姿を現した。
「おいマスター、随分と熱心に内職をしておるな。スラムの連中が作ったあの謎のハコ(スマホケース)は、あっちの世界でどうなったのじゃ?」
オルドはふかふかの座布団に座り、坂本の様子を面白そうに覗き込んだ。
坂本は手を止めず、緩衝材をテープで留めながら、いつものローテンションな声のまま、少しだけ口元を緩めて言った。
「オルドさん。初日の売上……日本円で、10万円です。すべて完売しました」
「……は?」
知の最高峰と呼ばれ、あらゆる事象に動じないはずの大魔導士が、間抜けな声をあげて完全に絶句した。オルドの脳内で、日本円の10万円という価値が、坂本からいつも買っている、しるこサンド、ポテトチップスや缶コーヒーの「物価」に換算されていく。ポテトチップスなら約千袋分。缶ビールなら数百本分。
「ま、待て。あのスラムの、文字も読めぬ若造どもが数日レバーを引いて磨いただけのハコが、お主の世界のそれほどの富(価値)に化けたというのか!?」
「ええ。彼らの手仕事には、それだけの価値があったということです。日本の市場の購買力を、舐めてもらっては困ります」
坂本は発送伝票をパチンとクリップに挟むと、顔を上げた。
「さて……約束通り、この利益はスラムの工房へ『正当な報酬』として還元させてもらいます。オルドさん、明日の夜は忙しくなりますよ。ピアさんと親方を、蔵に呼んでおいてください」
「ひっ、ひっひ……!面白い、実に面白いぞマスター!知識の規格化が、まさか異世界の富をここまで吸い上げるとはな!」
オルドは驚愕から一転、歓喜の声をあげて日本のクッキーを豪快に齧った。液晶の向こうで始まった小さな狂騒が、今度はいよいよ異世界のスラムを劇的に変える「大渦」へと変わろうとしていた。




