第20話:尊厳の報酬と、異世界ハンドメイド
「王立ホワイト工房」が動き出してから、一週間。王都のスラムを支配していた、あのねっとりとした罵声や誰かの悲鳴は消えていた。代わりに路地を満たしているのは、規則正しい「ガチャン、ガチャン」という鉄の重い呼吸と、乾燥した木を削る小気味よい乾いた音だ。
深夜一時。限界集落の蔵のカウンターに並んだそれを見て、国のてっぺんに座る男たちが声を失っていた。
「……これが、本当にあいつらの手から出たものなのか」
ライナスが、一つの物体を指先でなぞったまま呟く。彼が見つめているのは、坂本が日本から持ち込んだ国産牛のヌメ革と、建築現場のゴミ捨て場から拾ってきたようなオークの端材を組み合わせた、薄型のトレイだ。
「ひっひっひ、驚くのはまだ早いぞ小僧。ワシが魔力の通りを隅々まで検査したが、線の太さに狂いもない。悔しいが、歪みのないものだけが持つ、独特の冷たい美しさがあるわい」
オルドが眼鏡の縁を指で押し上げ、トレイをランプの光にかざして目を細める。
「ああ、陛下。嘘じゃねえ」
ガラム親方がワンカップのガラス瓶をぐいと煽り、喉を鳴らした。
「サカモトに言われた通り、工程を細分化してあの『ポカヨケ』の木枠に手をハメさせたらよ、あいつら一日中、機械みたいに同じパーツを正確に抜き出しやがった。で、最後の組み立てとヤスリがけだけは、俺のところの若い職人を張りつかせて、ルーペでケチをつけるみたいに検品させたんだ。そしたら、このザマよ」
彼らには魔法の式も見えなければ、文字の読み書きもできない。だが、飢え死にしないために泥水をすすってきた手先の器用さと執念が、坂本の持ち込んだ「間違えようのない鋳型」と噛み合った。結果として生まれたのは、職人の意地と、日本の均一な素材が化けた、奇妙なハンドメイド製品だ。
「完璧な仕上がりです」
坂本は冷えたビールのグラスをライナスの前に滑らせ、オルドには浅煎りのブレンドを置いた。
「これなら、日本のマニア向けのセレクトショップに並べても、誰もスラムの人間が作ったとは思いません。……それで親方、例のものは?」
「おう、これだ。重くて腰が抜けそうだったぜ」
ガラムが、カウンターの下から泥のついた麻袋を引きずり出した。床に置かれた瞬間、ジャラジャラと鈍い金属音が蔵に響く。中身はすべて、今週分の成果報酬としての銀貨だ。
「だがな、マスター。週払いで、おまけに出来高で余計に色をつけるなんて、職人の世界じゃ聞いたことがねえ。本当にこれでいいのか?」
渋るガラムに、坂本は冷え切った声で言い切った。
「今日、食うためのパンがない人間に、一ヶ月後の給料日を信じろというのは酷です。動いた分だけ、その週末に必ず確実な数字として財布に跳ね返ってくる。この『即時フィードバック』以上に、人間の労働意欲を刺激する麻薬はありません。それと……これを役人、アレンなのかピアなのか分かりませんが手ずから、一緒に渡してやってください」
坂本が小汚いカウンターに並べたのは、日本の自宅に眠っていた数少ないストックである『パックご飯』と、サバや焼き鳥の『缶詰』、そして大容量のフリーズドライの味噌汁の袋だった。
「ふむ……これが噂に聞く、あっちの世界の『コメ』か。現金だけでなく、その日の夜に腹に入る固形物を同時に握らせるか。飢えの恐怖をその場で消し去る、心憎いやり方じゃな」
オルドがパックのプラスチックを爪で小突き、ニヤリと笑った。
「ええ。彼らに『このシステムに従えば、絶対に飢えない』という事実を、骨の髄まで叩き込むために。まずは今週のトップ数名への『特別なインセンティブ』として握らせ、飢えの恐怖を消し去る呼び水にします」
金曜日の夕暮れ時。「王立ホワイト工房」の薄暗い裏口には、蛇のように長い列ができていた。王宮の冷たい執務室の窓から、その様子を遠眼鏡で覗いていたオルドは、隣で腕を組むライナスを肘で小突いた。
「見ろ、ライナス。アレンの奴が、あの片目の小僧に報酬を渡すぞ」
工房の受付では、アレンがカイルの前に、カチカチと音を立てて小気味よい枚数の銀貨を並べていた。そしてその横に、ずっしりと重いパック米と、サバの味噌煮缶を置いた。
「カイル。お前の一週間の生産数は、ラインの中でトップだった。よって、規定の基本給に加え、出来高のインセンティブを支給する。……受け取りなさい。お前は今週、国のために立派に働いた。胸を張りなさい」
カイルは、目の前に差し出された銀貨の山と、プラスチックのパックや缶詰を凝視した。
「俺の手で……この汚ねえ手で、これが稼げたんだ……」
カイルの片目から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ち、作業台の木目を濡らした。
「俺、ゴミじゃなかった……。泥棒しなくても、あいつらに飯、食わせられるんだな……!」
周囲にいた連中からも、次々と鼻をすする汚い音が聞こえ始めた。彼らが泣いたのは、施された物への感謝ではない。自分たちの手で、正当な労働によって「価値」を生み出し、社会に必要とされたという、剥き出しの『尊厳』がその胸に宿ったからだった。
遠眼鏡を置いたオルドは、ふんと鼻を鳴らした。
「……ただのボロ雑巾を、システムで『職人』に仕立て上げおったわ。大したものじゃ」
その夜、王都の治安部隊から届いた報告書には、「カイルたちの噂を聞き、スラムの連中が『真面目に働けば飯が食える』と気づき始めて犯罪率が下がり始めた」という、信じがたいグラフが描かれていた。
深夜二時、再び「蔵」にて。
「ふはーっ!この『レモンサワー』ってやつは、本当に五臓六腑に染みるな!」
ライナスは上着を脱ぎ捨て、首元を緩めた姿でグラスを囲んでいた。その横では、オルドが淹れたてのコーヒーを優雅に啜っている。
「いや、マスター。本当に見事だった。施しではなく雇用、技術ではなくシステム。これほど鮮やかにスラムの問題を修正してみせるとはな」
「私は、日本の工場で当たり前にやられている労務管理のテンプレートを当てはめただけです」
坂本は淡々とグラスを拭く。
カウンターの上には、完璧に検品された「初期ロット」のスマホケースと木製小物が、綺麗に箱に詰められて並んでいた。
「これらは私が買い取り、日本側へ回収させていただきます。陛下たちの取り分は、すでに銀貨で相殺ということで」「ああ、構わんさ。そんな『用途不明の謎の箱』、我が国では誰も買わんからな。好きに使ってくれ」
ライナスは笑いながらレモンサワーを飲み干した。
オルドは、箱に詰められた美しいハンドメイド製品を見つめながら、ニヤリと笑った。
「さてな、ライナス。ワシの勘では、あのマスターがただのボランティアでこんなことをするとは思えん。あっちの世界の液晶の向こうで、この『異世界の職人技』がどんな騒ぎを起こすか、今から見ものじゃて」
元IT企業中間管理職である坂本の目が、少しだけ、悪戯っぽい光を帯びていた。




