第14話:ドワーフの親方、ワンカップの奇跡に平伏す
深夜二時。日本海からの冷たい夜風が蔵の板壁を叩く中、奥の黒い戸が爆音と共に蹴り破られた。入ってきたのは、地響きを立てて歩く筋骨隆々の塊――職人を束ねるドワーフの総棟梁、ガラム親方だった。その太い腕にしがみつくようにして、宮廷魔導建築士のピアが引きずられてくる。
「待ってってば、ガラム!だから、専門家のところに連れてきたって言ってるじゃない!」
「ヒッ!?な、なんじゃガラムかむさ苦しいのう!せっかくの『しるこさんど』の穏やかな時間が台無しじゃ!」
部屋の隅で丸くなっていたオルドが、ドワーフの放つ圧倒的な熱気と、安酒の酸っぱい臭いに身を縮め、大事そうにお菓子の袋を抱え込んだ。
ガラム親方は老魔導士を一瞥もせず、カウンターの木が軋むほどの勢いで拳を叩きつけた。
「サカモト殿だな!姉ちゃんが導入したあの『がんとちゃーと』だか何だかのせいで、現場の職人どもは『あと何分で次の工程だ』『シフトの休憩時間だから強制的に寝ろ』って、見えない鎖で縛り付けられてんだ!昼間からのんびりエール酒を引っ掛けながら、職人の粋で造り上げるのが俺たちの誇りだったはずだ!こんな生殺し、もう限界だ!」
これまでは「納期に間に合わない」と泣いていた現場が、今度は「システムが完璧すぎて遊びがない」とキレている。日本のクソみたいな炎上案件で、現場のベテランから「あんな工程表通りにコードが書けるか!」と胸ぐらを掴まれてきた私だ。いまさら眉一つ動かない。
「……座ってください、ガラム親方。腹が減ってるなら、少し付き合いますよ」
坂本はいつものトーンで応じ、母屋の台所へ向かった。激昂する職人に正論をぶつけても火に油を注ぐだけだ。彼らに必要なのは、一日の泥臭い労働の終わりを全肯定してくれる、あの薄汚い赤提灯の空気感だった。
用意したのは、ガスコンロの上で出汁をじんわりと湛える四角い鍋。日本のコンビニや居酒屋で冬の主役を張る、熱々のおでんだ。透明な出汁の中で味が芯まで染みて黄金色になった大根、じっくり煮込まれた牛すじ、出汁を吸ってぷっくりと膨らんだ厚揚げ。さらに坂本は、湯煎で絶妙な人肌恋しい温度に温めた『ワンカップ』のガラス瓶を、プラスチックのキャップを外してガラムの前に置いた。
「おいおい、なんだこの妙な形のガラスの筒は……。それにこの汁物は、ずいぶんと薄い色をしてやがるな」
ガラムはフンと鼻を鳴らしながらも、目の前の温かいガラス瓶を掴み、豪快に喉へと流し込んだ。
「――ッ!?!?ぶっ……はぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ガラムの目から、カッと凄まじい光が放たれた。
「な、何だこの酒は……!?濁りが一切ねえのに、米の強烈な旨味とガツンとくる熱い酒精が、五臓六腑に直接染み渡りやがる……!荒々しいエール酒とは格が違う、底深く、力強い美味さだ!」
「冷めないうちに、その大根もどうぞ。ハフハフしながら食べてください」
小皿に差し出した大根を、ガラムは箸で掴み、口へと放り込んだ。
「あふっ、あち、あちちっ……!――う、美味い、美味すぎるぞチクショウ!」
ガラムはボロリと涙を流した。
「口に入れた瞬間に、尋常じゃねえ深みのある極上の出汁がジュワッと溢れ出しやがった……!噛まねえでも溶けるほど柔らかい。この熱い大根の出汁を、さっきの米の酒で追っかける……くぅぅ!身体の芯の疲れが、ドロドロに溶けていくじゃねえか!」
厚揚げのコク、牛すじの脂の旨味、そしてワンカップの無限ループ。完全に現場帰りの頑固な大工の棟梁状態へと変貌し、赤ら顔になったガラムは、やがてふぅと息を吐き、ガラス瓶を見つめながらぽつりと言った。
「……サカモトよ。俺たちだって、へそを曲げたいわけじゃねえんだ。だがな、あの数字のルールは冷たすぎる。俺たちの命や安全、職人としての誇りが無視されて、ただの数字の奴隷にされてる気がして、不安で仕方がねえんだよ……」
効率化の裏で、自分たちの技術や尊厳が記号にされていくことへの恐怖。坂本は静かに大学ノートを開くと、ボールペンで日本の現場が誇る二大標語を大きな文字で書き写した。
「ガラム親方。勘違いしないでください。ルールはあなたたちを縛るためではなく、あなたたちの『命と誇り』を守るための盾なんです。日本の現場が誇る、この二つの概念を教えます」
提示したのは、『5S』と『安全第一』の文字だった。
「まず一つ目。『5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)』です。親方、現場で『あのノミはどこだ』と探している時間はどれくらいありますか?」
「あ?そんなもん、毎日小一時間は探してるな。足場に道具が散らばってて、よく若造が躓いて転んでるわ」
「それが無駄です。道具の定位置を完全に決め、床を常に綺麗に磨く。探す時間をゼロにすれば、作業は勝手に早く終わります。足場が綺麗なら、職人が転落して大怪我をするリスクも消える」
ガラムと、横で聞いていたピアがハッと目を見張った。
「工程表の数字が冷たいなら、その中にあらかじめ『安全点検の時間』を公式に組み込むんです。毎朝、全員で足場や道具を確認する時間をタスクとして登録する。上層部が『早くやれ』と急かしてきたら、この標語を盾にして『安全第一ですので、これ以上は縮められません』と突っぱねればいい。これは職人の命を守るための絶対のルールです」
「職人の命を守るための、ルール……!」
数字に追われるのではなく、数字を使って自分たちの命と安全を保証するという、逆転の発想。
「さらに」
坂本は、最も現場が乗るインセンティブを提示した。
「5Sによって無駄な時間が消え、予定より早く、かつ安全に工事が終わったとします。当然、予算が浮きますよね。……ピアさん。その浮いた予算の何割かを、現場の職人たちに『ボーナス(エール酒代)』として直接還元するルールを作れませんか?」
「えっ……?ええ、アレンの様式を調整すれば、コスト削減のご褒美として予算を現場に回すのは可能だわ!」
ピアが計算高い笑みを浮かべて頷いた。
ガラム親方はガタッと立ち上がり、真っ赤な顔で坂本のノートを凝視した。
「早く、安全に終わらせれば……俺たちの取り分が増えるのか!?5Sで安全を確保し、サボる奴を削って効率を上げれば、その分だけ美味い酒が飲めるってことか!」
「そういうことです。これなら、職人の誇りも、腹も満たされるでしょう?」
「ガハハハハ!満たされるどころの騒ぎじゃねえ!ルールってのは、こうやって現場の血を通わせるためにあるもんだな!サカモト、この『ワンカップ』の空き瓶、俺にくれ!現場の魔除けにするわ!」
頑固なドワーフの総棟梁は、日本のワンカップの瓶を宝物のように握り締め、やる気満々、凄まじい鼻息と共に黒い扉の向こうの現場へと突撃していった。




