第11話:データによるギルド完全支配と、情熱のシュークリーム
新城塞の現場本部は、吐き気がするほど男臭い熱気と泥の匂いで満ちていた。本来なら、酒臭いドワーフと鼻持ちならない魔導士どもが胸ぐらを掴み合い、クソみたいな責任のなすりつけ合いをしている時間だ。日本のクソ地獄のような現場で、私が何度も仲裁させられたあの不毛な光景。
だが、剥き出しの梁に打ち付けられた数枚の更紙の前で、ギルドの長たちは一言も発せず、ただ冷や汗を滲ませて固まっていた。紙に引かれた、寸分の狂いもない格子と色とりどりの太い線。ガントチャートだ。
「おい、ドワーフの親方」
踏み台の上に立ち、冷え切った声を響かせたのはピアだった。指先で使い古した四色ボールペンのノックを、カチカチと嫌な音を立てて弄んでいる。その目が、じっと一人の大男を射抜いた。
「お前ら、昨日は『魔導士の基礎工事が遅れたから石積みが半日ズレた』って抜かしたわね。……おい、この青い線を見ろ。魔導士のタスクは一昨日の日没、十八時には【完了】の判が押されてる。なのに、お前らの赤いラインが動き出したのは昨日の正午だ。……間の十八時間、一体どこの穴に頭を突っ込んでたの?」
「う、うぐ……それは、その、石の段取りが……」
岩みたいな体躯のドワーフが、十代の小娘の前に、惨めなほど肩をすぼめている。
「言い訳は反省文にでも書いてアレンに提出しなさい。データは嘘をつかないわ。お前たちがサボった半日のせいで、後ろの木工ギルドの緑色の線が丸ごと右にズレてる。わかる?お前らが酒を飲んで寝ていた時間のせいで、隣の部署の休日が消えるのよ。この『クリティカル・パス』が一日でも遅れたら、私はアレンに予算を削られ、レオノーラに前線で首をはねられる。……連帯責任よ」
凍りついた空気の中、木工ギルドの長がドワーフの親方を殺すような目で睨みつけた。「おい、寝言はなしだぞ」という無言の圧力が走る。
見事なものだった。進捗の可視化なんて綺麗な言葉の裏にあるのは、逃げ道をなくした「相互監視」の地獄だ。誰がどこで足を引っ張っているか全員の前に晒されれば、言い訳はすべて同僚への裏切りになる。
「明日までに、この青い点線まで遅れを取り戻しなさい。できなきゃ、ドワーフギルドの来期の王宮予算を凍結するようアレンに書類を回すだけよ」
「ひ、ひえっ……!やりゃあいいんだろ!おい野郎ども、意地でも石を積むぞ!」
言い訳の余地を潰された職人どもは、まるでケツに火がついたように動き出した。魔導士が地盤を固めた数秒後にはドワーフが石を水平に叩き込み、その後ろから木工職人が爆発的な速度で追いかける。結果、誰もが破滅を確信していた工期は、予定より一週間も早く片付いた。王国の歴史がどうとかは知らないが、終わった。それだけだ。
「……はぁぁぁぁぁぁ、終わったぁぁぁぁぁ!!」
深夜二時。蔵の黒い戸を蹴開けて入ってきたピアは、畳の上に泥袋のようにひっくり返った。顔は煤で真っ黒だったが、一週間前のような死人の隈は消え、ただのひどく疲れた、しかしやりきった顔の少女に戻っていた。
「おお、ピア。首尾よく現場を『がんとちゃーと』なる結界で縛りつけてきたようじゃな」
部屋の隅、すっかり定位置になった座布団の上で、温かいコーヒーをすすりながらオルドがのんきな声を出す。今夜も当然のように居座っていた。
「大成功よオルド様!一週間前倒し!あの頑固なドワーフどもが、最後は『線を下回るな!』って叫びながら血眼で石を積んでたわ!誰も私に言い訳をしなくなった!」
ピアは跳ね起きると、小さな胸を張って勝ち誇ったように笑った。オルドが「ふむ、恐ろしい秘術じゃな」と感心したように髭を撫でる。坂本はカウンターの奥で、有能なPMの誕生に、心の中で小さく苦笑した。
「がんばったご褒美です。はい」
坂本が皿に乗せて差し出したのは、丸く黄金色に焼き上げた自家製のシュークリーム。隣町の粉を仕入れて、クッキー生地を少し固めにサクサクに焼いた特製品だ。
「ぬっ!?サカモト、それは我がまだ見ぬ新たなるおやつではないか!?」
オルドがマグカップを置いて身を乗り出す。
「オルドさんにはさっき、しるこサンドを一袋あけたでしょう。これは現場を終わらせてきたピアの分です」
「おのれ、ただの夜更かしの我が身が恨めしい……!」
老魔導士の恨み節を無視して、ピアは両手で球体を大事そうに包み込み、大きな口を開けてかぶりついた。サクッ、と小気味いい音が響く。香ばしい生地が弾けた瞬間、中からバニラビーンズの黒い粒が躍る濃厚なカスタードが、あふれんばかりに飛び出して彼女の口内を満たした。
「――ッ!?んんんんんっ!?」
ピアの目が限界まで見開かれる。この世界の甘味といえば、蜂蜜の単調なベタつきか、干し果物の渋い甘さくらいだ。だが、この中にあるのは、外側の渇いた食感と、内側のとろけるような滑らかさという、緻密に計算された二つの矛盾の融合だ。
「な、何これ……カスタードが、舌の上で消える……頭の髄まで、優しくて甘いもので満たされていくみたい……」
口の周りに白いクリームをべっとりとつけながら、ピアは子供のように笑って次の一口を進めた。その顔からは、納期に追われて忘れていた、ものを作るのが好きだった頃の無邪気な熱量が透けて見えた。
「……美味そうじゃ。のうピア、一口、ほんの一口でよいから……」
「ダメよオルド様!これは私のガントチャートの報酬なんだから!」
指をくわえる大魔導士を、野良犬のように威嚇して守る宮廷建築士。坂本はその騒々しい光景を見ながら、冷めかけた自分用のコーヒーを喉に流し込んだ。坂本のいる世界では、人間を限界まで使い潰すための冷酷なシステムだったガントチャート。それが、この異世界の歪んだブラック現場では、なぜか綺麗に機能して現場を救ってしまったらしい。皮肉なものだ。
満足そうに皿を空にして帰っていくピアの背中を見送り、未練がましくおかわりを要求するオルドのカップを預かる。外からは、遠く単調な波の音だけが聞こえてくる。深夜の限界集落。ぬるい夜風がカビ臭い蔵の空気をかき混ぜる中、坂本は小さく息を吐き出し、次のコーヒーを淹れるためにケトルの火を強めた。




