終幕、そして秘密の部屋へ
――パタン。
関係者用の薄暗い裏口から滑り込むようにして乗り込んだ、送迎用の黒いワンボックスカー。
重厚なドアが閉まった瞬間、ホテルの喧騒は完全に遠ざかり、車内にはひんやりとした静寂が降りてきた。
フロントガラスの向こう、運転席にはいつも通りの事務所の専属ドライバーが座り、バックミラー越しに小さく会釈をしてくる。
「お疲れ様です、シュンさん。中締めの挨拶の前に抜け出されて大丈夫でしたか? ……まずは、安藤さんをご自宅へお送りしてからでよろしいでしょうか」
ドライバーの事務的な問いかけに、私の心臓がドクンと大きく跳ねた。
隣に座るシュンへと、縋るような視線を向ける。けれど、彼は漆黒のジャケットのボタンを1つ外し、ネクタイを少しだけ緩めながら、前方を見据えたまま一切の表情を崩さなかった。
「いいえ。今日は、こいつも俺の部屋に泊まるんで。俺のマンションに直行してください」
「えっ……⁉」
低く、けれど有無を言わせない確固たる響き。
驚いて声を漏らした私とは対照的に、ドライバーは「承知いたしました」とだけ短く答え、静かにアクセルを踏み込んだ。
「ちょ、俊介……っ、何言ってるの、私は自分の家に――」
「静かにして。前、人いるから」
私が慌てて声を潜めて抗議しようとした瞬間、シュンは窓の外に目を向けたまま、私の言葉を冷ややかに遮った。
彼に逆らう言葉は、それ以上私の喉の奥から出てこなかった。
非常階段の冷たい床の上で、自分から彼の首に手を回し、「もっと」と求めてしまったあの瞬間。
マネージャーとしてのプライドも、幼馴染という最後の防衛線も、すべては木端微塵に吹き飛んでしまっていたのだ。
今の私には、彼を拒絶する資格も、逃げ出すための正当な言い訳も、何1つ残されていなかった。
◆◆◆
深夜の首都高速道路を、車は滑るように疾走していく。
スモークガラスの窓の外、流れては消えていく夜景のオレンジ色の光が、薄暗い後部座席を一定の周期でチラチラと不規則に照らし出す。
シュンは無言のまま、私の左手を強引に手繰り寄せた。
端正な横顔は窓の外を向いたままだ。
けれど、拒絶する隙すら与えぬまま、自らの大きな手のひらで私の手を包み込み、指と指をきつく絡め合わせる『恋人繋ぎ』の形で、自らの太ももの上へと固定した。
「っ……」
じわり、と彼の手のひらから伝わってくる、尋常ではない熱さ。
指先をほんの少し動かすことすら許さないほどの強い力でホールドされ、私の手は暗闇の中で微かに震えていた。
運転席のドライバーの目を盗むようにして、シートの隙間で繰り広げられる、音のない、けれど圧倒的な支配。
車内はエアコンが効いていて適温のはずなのに、私の身体の奥は、非常階段でのあのねっとりとしたキスの余韻を引きずったまま、ドロドロとした熱い塊を抱え続けていた。
(本当に行くんだ。……俊介の、あの部屋に……)
彼が住む、都内の超高級タワーマンション。
いつもは仕事の送迎でエントランスの前に車を停めるだけの、私にとっては単なる「タレントの自宅」でしかなかったあの場所が、今夜は、私を完全に閉じ込めるための檻へと姿を変えようとしていた。
恐怖で身体がすくむ。なのに、繋がれた指先から流れ込んでくる彼の独占欲に、私の心臓は狂ったような歓喜の早鐘を打っていた。
◆◆◆
30分ほどの、甘く息苦しい拷問のような時間の後。
車は静かにマンションの地下駐車場へと滑り込んだ。
誰の目にも触れないよう配慮された、居住者専用のプライベートエリア。
車を降りると、シュンは私の手首を掴んだまま、無言でエレベーターホールへと歩き出した。
――チーン。
電子音と共に開いたエレベーターの扉。
中に乗り込み、シュンが最上階のボタンを押すと、扉が無機質な音を立てて閉まった。
完全な、2人きりの密室。
上層階へと一気に上昇していく微かな浮遊感の中、それまでずっと前を向いていたシュンが、突如として私の方へと向き直った。
「俊介……っ」
彼の手が私の腰へと回され、私の身体がエレベーターの鏡張りの壁へと優しく押し当てられる。
そのまま、彼の美しい顔がゆっくりと、視界を塞ぐようにして近づいてきた。
「んんっ……!」
唇を割るようにして、彼の舌が再び私の口腔内へと深く侵入してくる。
ロケバスの時のような焦燥感も、非常階段の時のような激しい怒りもない。
ただ、私という獲物をこれから完全に自分のモノにするのだという、底知れない、そして酷薄なほど甘い『確信』に満ちた深い口付け。
彼の大きな手がドレスの上から私の背中を優しく、けれど骨の軋むような強さで抱きすくめる。
「ん、ぁ……っ、お、ふ……」
エレベーターが最上階に到着するまでの短い時間。
私は彼の腕の中で完全に腰を砕かれ、彼のシャツの胸元をギュッと握りしめて縋ることしかできなかった。
――チーン。
再び鳴り響いた到着の合図。
シュンは名残惜しそうに私の唇から離れると、口元から引いた銀の糸を自分の親指で色っぽく拭い去った。
その瞳は、夜明けの光よりも冷たく、そして狂おしいほどに私を欲していた。
「……着いたよ、春奈」
エレベーターの扉が開き、静まり返った最上階のフロアへと足を踏み入れる。
他には誰もいない、どこまでも贅沢で静寂に包まれた長い廊下。
ピンヒールの音だけが小さく響く中、シュンに手を引かれるまま、私はついに彼の部屋の扉の前へと辿り着いた。
目の前にある、重厚な1枚板のドア。
この向こうは、彼の完璧なプライベート領域。
シュンは私の手を握ったまま、もう片方の手を、ドアのスマートロックへとゆっくりとかざした。
――ピピッ。
電子音が静かな廊下に響き、続いて、カチャリ……と、内部の鍵が無機質な音を立てて解錠される。
その瞬間、わずかに隙間が空いた扉の奥から、彼の生活の匂いと、あの上品なウッディの香水の香りが、ふわりと私の鼻腔を掠めた。
もう、本当に引き返せない。
私の心臓は、壊れてしまいそうなほどの爆音を胸の奥で刻んでいる。
「さあ、春奈。……仕事の言い訳も、お姉ちゃんぶったお説教も、全部ここに置いていって」
シュンは解錠されたドアのノブに手をかけたまま、振り返り、薄暗い廊下の中で私を真っ直ぐに見下ろした。
その切れ長の瞳に宿る、冷酷なまでに純度の高い、絶対的な捕食者の輝き。
「この扉の向こうで……朝までたっぷり、本当の『大人』を教えてあげる。……覚悟してね」
ゆっくりと、重いドアが内側へと開かれていく。
その先に広がる暗闇を見つめながら、私は彼という年下のオオカミにすべてを捧げる覚悟を抱き、震える息をそっと吐き出したのだった。
作者からのお礼と続きについてのお詫び
ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございます!
本作はまさかのこれで完結⁉ いいとこだったのに! と思っている読者の方もいると思いますが、ちょっと待ってください! 本作には続きがちゃんと存在します!
私ねる子はKindleを主な活動メディアとして利用しておりますが、各無料プラットフォームにも、本作を投稿しています。
最終章「初夜」もそれらのプラットフォームで投稿する予定でした。しかし、内容が満を持してのR18となっておりまして......。プラットフォームによっては規制に引っかかることもあり、投稿できないという事態が発生しております。
問題なく投稿できるプラットフォームももちろん存在しますが、ちょっと不公平に感じたので投稿するのはやめました。
その代わり!
1人のKindle作家として、本作品の続きはKindleにて出版することにしました。
無料で読めていたのに、いいところで有料となってしまい申し訳ございません。
ただ、ここまで読んでいただいた皆様のためでできるだけ手に取りやすくしておきました! お値段は最低金額の99円! Kindle Unlimitedに登録している皆様は無料!
ということで本作の続きのリンクや詳細はX(Neruko_TL)にてご紹介しておりますので、続きが気になる方はぜひ手に取ってみてください。
ご愛読ありがとうございました!




