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10/15

夜明けの光と、溶け落ちた理性

バタン、と。

ディレクターとシュンが降りていったロケバスのドアが閉まり、再び車内が静寂《せいじゃく》に包まれる。


「はぁっ……あぁっ……」


1人残された私は、堰《せき》を切ったように荒い呼吸を繰り返し、ガクンと座席に崩れ落ちた。


全身の力が抜け、指先ひとつ動かすことすら億劫《おっくう》だ。

暖房の効いた車内なのに、身体の奥から変な汗が止まらない。

タイトスカートの下、彼に触れられていた太ももの内側が、火傷《やけど》をしたようにジンジンと熱を持っていた。


(……どうしよう。私……っ)


両手で顔を覆《おお》うと、自分の手のひらが信じられないほど熱いことに気づく。


寸止めにされた下腹部の奥は、キューッと締め付けられるような疼《うず》きと、どうしようもない空虚感《くうきょかん》を抱えたまま、ドロドロに溶けきっていた。

下着のクロッチ部分が、自分の放った熱と湿り気でひどく不快だ。


けれど、その不快感すらも、彼に暴かれた『女としての証』のようで、狂おしいほどの羞恥《しゅうち》と背徳感《はいとくかん》を煽《あお》ってくる。


もし、あの瞬間にディレクターがバスに乗ってこなかったら。

私は間違いなく、スタッフが前で寝ているこの車内で、彼の手によってその先に達し、声をあげてしまっていた。


彼を拒絶《きょぜつ》するどころか、自分から彼にすがりつき、もっと触れてほしいと懇願《こんがん》してしまっていた自分の姿が、脳裏《のうり》に鮮明《せんめい》に焼き付いている。


「……バカみたい。私、完全に……俊介《しゅんすけ》に狂わされてる」


震える手でスカートの裾《すそ》を直し、乱れた髪を整える。


外のロケ現場からは、「テスト行きまーす!」というスタッフの威勢《いせい》の良い声と、シュンのシリアスな演技の声が微《かす》かに聞こえてくる。


数分前まで、毛布の下で私をあそこまでめちゃくちゃに責め立てていた男が、今はカメラの前で完璧《かんぺき》な『俳優』として立ち回っているのだ。

その恐るべき切り替えの早さと、オスの本能の底知れなさに、私は絶望的なまでの敗北感《はいぼくかん》を味わっていた。


◆◆◆


午前6時。


山の稜線《りょうせん》から白々と夜が明け始め、冷たい冬の空気が朝日に照らされてキラキラと光り出した頃。


「――はい、カット! オッケーです! これにて、本日の山奥ロケ、全編終了となります! 皆様、本当にお疲れ様でしたー‼」


監督のメガホンを通した労《ねぎら》いの声と共に、現場に割れんばかりの拍手が巻き起こった。

過酷《かこく》な深夜の極寒《ごっかん》ロケを乗り切ったスタッフたちが、安堵《あんど》の笑顔で互いの肩を叩き合っている。


「お疲れ様でした! ありがとうございました!」


ダウンコートを羽織ったシュンが、四方八方に向かって深く頭を下げ、眩《まぶ》しいほどのアイドルの笑顔を振りまいている。

私はロケバスの外に出て、冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、その光景を見つめていた。


夜明けの清々《すがすが》しい光が現場を包み込んでいるというのに、私の身体の奥だけは、まだ昨夜の暗闇《くらやみ》の熱を引きずったまま、ドロドロに濁《にご》っている。


「安藤《あんどう》さん、お疲れ様でした!」

「あ、鈴木《すずき》くん。お疲れ様です」


撤収《てっしゅう》作業の中、機材を運んでいた鈴木くんが爽《さわ》やかに声をかけてきた。

昨夜、シュンに露骨《ろこつ》な敵意を向けられて逃げ出してしまった彼だが、今は無事に撮影が終わった達成感でいっぱいのようだ。


「いやー、寒かったですね! でもシュン君の最後の演技、モニターで見てましたけど鳥肌モノでしたよ。安藤さんも、一晩中付きっきりで大変でしたね」

「いえ……私は何も。本当に、皆様のおかげです」


私が曖昧《あいまい》な笑みで返事をした、その時だった。


「春奈《はるな》」


背後から、トンッと軽く肩を叩かれた。

振り返ると、スタッフたちへの挨拶《あいさつ》を終えたシュンが、スッと私の隣に並んで立っていた。


「あ、シュン君! お疲れ様でした、最高の演技でした!」

「ありがとうございます、鈴木さん。鈴木さんもお疲れ様です。……ほら、春奈も帰る準備して。俺、もう限界まで眠い」


シュンは鈴木くんに向かって爽やかに微笑《ほほえ》んだ後、私に向かって「手のかかる弟分」のような無防備《むぼうび》な顔で甘えてみせた。

一見すれば、いつもの微笑ましい『アイドルとマネージャー』のやり取りだ。


しかし、シュンが私の肩に置いている手は、ダウンコート越しでもわかるほど強い力で、私を自分の側に引き寄せるようにガッチリとホールドしていた。


『俺の女に、気安く話しかけんな』


声には出していない。しかし、その圧倒的《あっとうてき》な独占欲《どくせんよく》とマーキングの意志が、無言の圧力となって鈴木くんに放たれている。

鈴木くんは一瞬ビクッとした後、「あ、はい! じゃあ俺、機材車戻りますね!」と、またしても逃げるように去っていった。


彼が見えなくなった瞬間。

シュンは私の肩を抱いていた手をスッと滑らせ、背後に回して、私の腰をグイッと強引に抱き寄せた。


「ひゃっ……⁉ ちょっ、シュン……っ」

「しーっ。……あいつ、まだアンタのこと見てた。マジで目障《めざわ》り」


周囲のスタッフからは、私に寄りかかって甘えているようにしか見えない絶妙《ぜつみょう》な角度。

けれど彼の瞳《ひとみ》は、朝の光の下でもなお、肉食獣のそれだった。


「……顔、すげー赤いよ、春奈。寝不足? それとも……昨日のバスの中のこと、まだ思い出して感じてんの?」

「なっ……! ちが……っ!」


図星を突かれ、私の顔は火が出るように熱くなった。

シュンは楽しそうに目を細め、私の耳元へと顔を寄せる。


「俺は、めっちゃくちゃ欲求不満なんだけど。……あのまま最後まで春奈のこと、ぐちゃぐちゃにしてやりたかった」

「っ……バカなこと言わないで、もう帰るよ……!」

「逃げられると思ってんの?」


私が彼から離れようとしたのを、腰に回された腕が絶対に許さない。

彼は私の耳たぶを、チュッ、と音を立てて軽く甘噛《あまが》みした。


「ひぅっ……!」

「明後日。この映画のオールアップの打ち上げがあるでしょ」


低く、甘く、鼓膜《こまく》を直接撫《な》でるような声。


「そこが、最後のデッドライン。……もう仕事だとか、マネージャーだとか、そういう言い訳は一切聞かないから」

「しゅん、すけ……」

「昨日のバスの続き。……打ち上げの夜、覚悟《かくご》しといてね。朝まで絶対に、寝かせないから」


それは、宣告《せんこく》だった。

私が彼という絶対的な捕食者《ほしょくしゃ》に完全に食べ尽くされるまでの、最後通告。


シュンはニヤリと嗜虐的《しぎゃくてき》な笑みを浮かべると、私の腰から手を離し、「じゃあ車乗ろっか!」といつもの爽やかなアイドルの声に戻って歩き出した。


私はその広い背中を見つめながら、自分の足がガクガクと震えているのを自覚していた。


怖い。恐ろしい。

だけどそれ以上に。


私の身体は、明後日の夜に訪れるであろう『完全な陥落《かんらく》』を、どうしようもないほどの期待と熱で、待ち焦《こ》がれてしまっていたのだった。

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