観測者②
翌日の放課後、俺は早速、研究会の部室へと赴いた。
早く実験の結果を知りたいと気持ちが逸り、少し足早になったせいか、到着したのは俺が最初だった。
その後、香月先輩、神崎、朝山先輩の順番で研究会のメンバー全員が部室内に集まり、いつものように円卓を囲む形となる。
神崎からは、瞬きの合図を受け取った。
このタイミングで現れるという事は、お前も実験についての詳細を聞きたいという事なんだろうな。
「さて、岩倉君も気になっている様子だからね。先ずは、実験の結果から話そう。君の提案のもと遂行した実験の結果は……成功だ」
正直な話、俺はこの実験から得られる成果はないだろうなと考えていた。
なので、成功という結果には内心かなり驚かされた。
俺が睡眠状態にある間、香月先輩が俺を演じた所で、観測者は現れないだろうと高を括っていた。
思い付きの実験が、成功するとは思っていなかったのだ。
「観測者は、岩倉君を演じていた私の視点に移動した。そうだよね、怜菜」
「はい。驚きましたが……確かにいつもは岩倉君から感じていた二重の視線を、あの時は小夜子先輩から感じました」
実験の成功。
つまり、それは新たに考えなければならない事が増えたという事だ。
その事実に俺は、つい考えこむ姿勢を見せてしまう。
そんな俺に一瞥をくれた後、香月先輩が話を続ける。
「その結果を踏まえた上で、整理しつつ話を進めよう。まず発表の時に怜菜が言っていた視点の制約について、その制約は存在する前提で話を進めてしまっていいだろう。ただ、ここは正確な言葉で定義しておきたいのだが、その制約というのは観測者が岩倉優雨と認識した存在の視点でなければならないというものだ。つまり、その認識を狂わせてしまえば、岩倉君以外の人物に、その視点を動かすことも可能であるという事が実験によって証明された」
香月先輩の言う通りだ。
そして、そこから分かる事がある。
俺たちが思っているよりも、観測者が俺という人間を認識する手段は、神のような万能なものではないという事だ。
「もし人間の潜在意識のようなものから俺という存在を特定し、制約に基づいて視点を借りているのならば、香月先輩を俺であると誤認するような事は決して起きない筈ですよね」
実験は成功しないだろうと俺が高を括っていたのは、そういう考えがあったからだ。
そもそも俺たちにとって、観測者は常識外の存在なのだ。
俺の自己認識さえも、簡単に読み取れてしまうだろうと考える方が自然だった。
「その通りだよ、岩倉君。私はね、観測者が岩倉君という存在を認識している方法として潜在意識を読み取っているという可能性が一番高いと思っていた。しかし、この実験によってそれが否定された」
「その認識方法を特定するのが、岩倉君の提案から小夜子が考えた実験の第二段階だよね」
顎に手を当てたまま、考えるような素振りで言った朝山先輩の言葉に香月先輩が頷く。
「ああ、その通りだ。視点の移動が成功したからね、実験はその第二段階へと移行した。まず音を認識しているかどうかという実験。聞いて分かる通り、男女という性別の違いがある私と岩倉君の声は聞けばその違いはすぐに分かる。だが、観測者はそれを認識していない。なぜなら、私が声を出したにも関わらず、その場から観測者がいなくなる事はなかったからだ」
つまり、俺から借りているのは本当に視覚のみで、聴覚といった別の感覚までは認識していないという事だ。
益々、観測者というのはよく分からない存在だ。
視覚だけを借りて、一体何がしたいのだろうか。
だが、次の香月先輩の言葉を聞いて、俺はその謎を一層深める事となった。
「最も不可解なのが、観測者の視覚情報の処理についてだ。私は視点を共有している状況で窓ガラスに映る自分の姿を見た。岩倉君、その結果どうなったと思う?」
そんな事は、分かりきっている事だと思った。
なぜ、そんな言い回しの質問をしてくるのだろうか。
俺は少し不穏な空気を感じつつも、質問に答える。
「そりゃあ観測者は視覚から情報を得ている訳ですから、俺ではなく香月先輩である事に気づきますよね。制約があるものとして話を進めるのであれば、その時点で観測者の視線は消失するんじゃないですか」
「いいや、消失しなかった」
「……え?」
それは……おかしいだろう。
視点を共有している存在を窓に映った状態ではあるが見ているのに、その姿を情報として処理出来ていない?
なら観測者は、何のために俺の視点を借りて観測をしているんだ。
「……意味が分からないです」
「本当にね、私も混乱したよ。怜菜が視線を感じているという事は、観測者がこちらを見ているという事だ。私達の常識では、見るという行為には視覚から得た情報を処理するという目的がある。しかし、観測者は見ているにも関わらず、情報を視覚から処理していない。全くもって、矛盾している」
その理解不能な事実は、観測者が俺たちの理解の範囲を超えた存在であるという認識を、更に一層深めるものだった。
「そして、観測者がいなくなったタイミング。これがとても重要だ。実験の最中、意識の中で私が岩倉優雨ではないという情報を与えた瞬間に、観測者はいなくなったんだ」
「……思考を読んでいる?」
俺が呟くように言った言葉に対し、香月先輩はゆっくりとした動作で頷いた。
「その可能性が高いと私も考えている。そして、そこから導き出された仮説については怜菜、君から話してもらおうか」
指名を受けた神崎が、香月先輩から説明を引き継ぐ形となった。
神崎は一度みんなに視線を向けた後、静かに口を開いた。
「実験の結果を受けて小夜子先輩と話をしましたが、先ほど小夜子先輩が言っていた理由により潜在意識を読み取っているという可能性は否定されました。小夜子先輩が正体を告げた事に反応したかのように観測者がその存在を消失させた事から、それが制約から外れていると観測者が気づいたトリガーになったと考えられます。その事実から導き出された仮説が、観測者は潜在意識ではなく、顕在意識を読み取っているというものです」
顕在意識というのは、聞きなれない言葉だった。
どういうものかと尋ねようとする俺よりも早く、朝山先輩が口を開く。
「顕在意識ってなーに?」
「顕在意識は、例えば今日どこに行こうとか何食べようとか、そういった本人が自覚をしている意識の事を言います。逆に潜在意識は無意識と呼ばれているもので、本人も自覚することがない意識のことです。人間の意識の九十五パーセントが潜在意思であると言われていますが、観測者は九十五パーセントを占める潜在意識を読み取ることは出来ず、岩倉君が視覚から得た情報をもとに浮かんだ顕在意識を読み取ることによって、その存在を認識しているというのが私達の仮説です」
神崎の話を聞いて、俺の頭に一つ疑問が浮かぶ。
俺は質問がある事を示すために手をあげてから、その疑問を口にした。
「その説明を聞くと、自分自身の存在に対する自覚って、潜在意識にあるような気がするんだが、顕在意識にもあるものなのか?」
「うん、私は顕在意識にもあるものだと考えている。顕在意識は、私たちが日常的に認識している思考や感情、自己の存在に対する意識的な理解を指しているから。つまり、自分自身が自分であるという認識は、顕在意識の中で自らのアイデンティティを確認し、維持するプロセスの一部でもあると言える」
神崎の言い回しは少し難解に感じたが、言われてみれば無意識だけでなく、意識的に俺は自分が岩倉優雨と呼ばれている存在である事を認識している。
つまり、潜在意識ではなく、顕在意識として、自己の存在を認識しているという事になるのか。
「ちなみに人間の顕在意識が発達するのは、乳幼児期の後半と言われている。その時期になって、ようやく人間は自己と他者を区別できるようになる。自分という概念が芽生えるのもこの時期。こういった事実からも、顕在意識として自己の認識が備わっているという考えは、間違っていないと思う」
なるほどなーと、神崎の言葉には特に反論も浮かばなかった。
「顕在意識は潜在意識とは違ってコントロールが可能な意識だから、小夜子先輩がそうしたように、その自己認識を一時的に書き換える事は可能。役者や劇団員といった職業に就いている人達は、日頃からそうやって顕在意識にある自己認識を書き換えて他者を演じている。それと同じ」
「そっかー。だから顕在意識しか読み取れない観測者は、自分は岩倉君なんだよーって顕在意識を書き換えた小夜子に騙されちゃった訳だねー。なんか、ぜーんぶ納得って感じ」
朝山先輩の言う通り、その仮説であれば筋は通っているように感じた。
まさか思い付きの実験からここまでの仮説を立てるとは、香月先輩と神崎の二人には正直脱帽するような思いだった。




