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商人の男と貴族の女ーー婚約破棄から始まる成り上がり――  作者: 葉月奈津・男
【カトリーヌ】編~彼方と此方をつなぐもの~

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第6話 目があっても見ず、耳ありて声を聞かず ~後編~

1/5

 


「帰ろう」

 なにをしに行ったかは知らないが、待つ義理もない。

 セザールに手を貸して立たせ——。


「?」

 伸ばした手を無視された。

 セザールは床に這いつくばっていたのだ。


「ど、どうした。なにが?! ——!」

 気分でも悪くなったのかと、慌てて抱き起そうとして気が付く。

 セザールが床に這いつくばった理由、それは——。


「カロスタークにもらったものを投げるなんて!」

 床に捨てられたイヤリングを拾うためだったのだ。

 婚約記念の贈り物である。


 当時、金銭的に余裕などなかった。

 それでも、彼は必死に探し回り、手の届く範囲で最上の品質を選び抜いた。


 贈ったとき、セザールは「いただくわ」とだけ言った。

 それ以上の反応はなかった。

 だが、それで十分だと思っていた。

 彼女は男爵令嬢。

 もっと高価な宝石をいくつも持っているはずだと、そう思っていたから。


「私が初めてもらった、プレゼントなのに!」

 その言葉に、カロスタークの思考が止まった。


「? え? 初めて?」

「うちが借金で首が回らなかったのは知っているでしょ? プレゼントなんてなかったのよ!」

「でも、いろいろアクセサリーとかつけてたよね?」

 舞踏会の時とか。


「全部祖母や母が使っていたものよ。借り物だったの!」

 セザールは、悔しそうに唇を噛みながら、イヤリングを両手で包み込むようにして見つめていた。

 その瞳には、怒りでも悲しみでもない、ただただ大切なものを守ろうとする強い意志が宿っていた。


「あー、そうなんだ」

「そうよっ! 私が自分の物って言える数少ない装飾品なのよ。それを!」

 彼女の声が震える。

 大事そうにイヤリングを手の平にのせ、傷がないかを確認している。


「————」

 その姿を見て、カロスタークは胸の奥が締めつけられるような思いに駆られた。

 自分の愚かさが、今さらながらに突き刺さる。

 セザールが今日、少し地味な服装をしていた理由。

 それが、ようやく理解できた。


「だから、今日はオレのプレゼントで統一していたのか?」

 そう。彼女が付けているのは全てカロスタークがかつて贈ったものばかりだ。

 アクセサリーだけでなく、服や鞄、靴も。

 どれも、彼が贈ったものばかりだった。

 決して豪華ではない。

 けれど、彼女にとっては、どれもが唯一無二の“自分のもの”だったのだ。


「——あなたの実家に行くんなら、これだって思ったのよ」

 プイッと横を向いて、ぽつりと呟くセザール。

 その声は、どこか照れくさそうで、でも誇らしげでもあった。


「実家には意味なかったね。だけど、オレは嬉しいからいいでしょ。帰るよ」

「——そうね」

 セザールは静かにうなずき、イヤリングを耳に戻した。

 そして、そっとカロスタークの隣に立つ。


 二人は寄り添うようにして、レッドルアの屋敷を後にした。

 夕暮れの風が、二人の背中を押すように吹き抜けていく。


「……バカ」

 小さく、けれど確かに聞こえる声で、セザールは呟いた。

 その頬には、ほんの少しだけ、微笑みの気配が浮かんでいた。



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