第6話 目があっても見ず、耳ありて声を聞かず ~後編~
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「帰ろう」
なにをしに行ったかは知らないが、待つ義理もない。
セザールに手を貸して立たせ——。
「?」
伸ばした手を無視された。
セザールは床に這いつくばっていたのだ。
「ど、どうした。なにが?! ——!」
気分でも悪くなったのかと、慌てて抱き起そうとして気が付く。
セザールが床に這いつくばった理由、それは——。
「カロスタークにもらったものを投げるなんて!」
床に捨てられたイヤリングを拾うためだったのだ。
婚約記念の贈り物である。
当時、金銭的に余裕などなかった。
それでも、彼は必死に探し回り、手の届く範囲で最上の品質を選び抜いた。
贈ったとき、セザールは「いただくわ」とだけ言った。
それ以上の反応はなかった。
だが、それで十分だと思っていた。
彼女は男爵令嬢。
もっと高価な宝石をいくつも持っているはずだと、そう思っていたから。
「私が初めてもらった、プレゼントなのに!」
その言葉に、カロスタークの思考が止まった。
「? え? 初めて?」
「うちが借金で首が回らなかったのは知っているでしょ? プレゼントなんてなかったのよ!」
「でも、いろいろアクセサリーとかつけてたよね?」
舞踏会の時とか。
「全部祖母や母が使っていたものよ。借り物だったの!」
セザールは、悔しそうに唇を噛みながら、イヤリングを両手で包み込むようにして見つめていた。
その瞳には、怒りでも悲しみでもない、ただただ大切なものを守ろうとする強い意志が宿っていた。
「あー、そうなんだ」
「そうよっ! 私が自分の物って言える数少ない装飾品なのよ。それを!」
彼女の声が震える。
大事そうにイヤリングを手の平にのせ、傷がないかを確認している。
「————」
その姿を見て、カロスタークは胸の奥が締めつけられるような思いに駆られた。
自分の愚かさが、今さらながらに突き刺さる。
セザールが今日、少し地味な服装をしていた理由。
それが、ようやく理解できた。
「だから、今日はオレのプレゼントで統一していたのか?」
そう。彼女が付けているのは全てカロスタークがかつて贈ったものばかりだ。
アクセサリーだけでなく、服や鞄、靴も。
どれも、彼が贈ったものばかりだった。
決して豪華ではない。
けれど、彼女にとっては、どれもが唯一無二の“自分のもの”だったのだ。
「——あなたの実家に行くんなら、これだって思ったのよ」
プイッと横を向いて、ぽつりと呟くセザール。
その声は、どこか照れくさそうで、でも誇らしげでもあった。
「実家には意味なかったね。だけど、オレは嬉しいからいいでしょ。帰るよ」
「——そうね」
セザールは静かにうなずき、イヤリングを耳に戻した。
そして、そっとカロスタークの隣に立つ。
二人は寄り添うようにして、レッドルアの屋敷を後にした。
夕暮れの風が、二人の背中を押すように吹き抜けていく。
「……バカ」
小さく、けれど確かに聞こえる声で、セザールは呟いた。
その頬には、ほんの少しだけ、微笑みの気配が浮かんでいた。
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