第20話 カニと森の神
その日は朝から騒がしかった。
「リュウガ・ウェルナ・エルナが覚醒しただと!?」
タキが慌てている。
「間違いねぇ。報告を受けて、俺も物見櫓から確認した。
まっすぐにこちらへ向かっている。このペースなら半日もあれば拠点に到達しちまう」
トニーが焦りながら報告している。いつもの敬語も、どこかへ吹っ飛んでいた。
レイヴン副団長も団員に忙しく指示を飛ばしている。
「第一・第二騎士団にこのことを伝えろ!冒険者ギルドにもだ!」
タキが、即決で、外部組織に協力を求めている。
その事実だけでも俺は、事態の重さを直感していた。
みんなが戦闘の準備を進めている。
ガラガラガラ、と台車の音。何かと思えば、あれは、弾薬か。
普段は使用機会がなく、拠点の倉庫にしまわれている大砲たちが、次々と森の前に運び出されていく。
あっという間に、第三騎士団の拠点は臨戦態勢に入っていた。
「冒険者ギルドからは協力の返答が来た。だが何人来れるかはわからん。
第二騎士団はダメだ。逆に、国境紛争に協力しろと来たよ。ふざけやがって。
第一はもっとダメだ。返事すらよこさねぇ」
トニーの報告に、タキが机を殴る。
「……トニー、私たちだけで、止められると思うか……?」
タキの不安そうな声。
「……止めるしかねぇよ。俺たちなら、やれるさ。
なんとか、お帰り願うくらいは、な」
俺も準備を手伝うが、カニの手は不器用で、大したことはできなかった。
慌ただしいまま、昼を迎える。
「こういうときこそ、ちゃんと食っとけ」とのトニーの指示に従い、俺はガルド、ミリアとともに食堂に来た。
「リュウガ・ウェルナ・エルナってのはな……」
ガルドが教えてくれる。
「俺も見たことはない。第三に配属になったときに習った。
リュウガ森の深奥、竜の住まいのさらに奥にいて、森を守っているらしい」
「私はつい最近、騎士団に入ったので、よく覚えてます。
森の裁定者、リュウガ・ウェルナ・エルナ。山のような巨体に、正負両方の魔力を持ち、森の秩序を監視し、それを乱す者を排除するとか……
でも、だからこそ森からは出ず、人類の敵にはならないと聞いていました」
「何百年、何万年も眠り続けていると伝えられるリュウガ・ウェルナ・エルナが怒っている……
ここ最近の、怪人騒動のせいかもしれんな」
ちくり、胸が痛む。
俺と同郷の者たちが、この世界の秩序を、土足で踏みにじっている。
それに、この世界が怒っているのだ。
ただ、一点気になる。
実は第2話時点から気になっていたんだが……
「あの、魔力って何?」
ガルドとミリアが、ずっこけた。
二人の説明を総合すると、魔力というのは、生命が発し、また吸収する、自然を循環するエネルギーのようだ。
それに正と負の二種類があり、正負の魔力は本来相容れず、それゆえに正常の動植物と魔物は反発しあうと。
騎士団のみんなの身体能力が俺の元いた世界の人々に比べて高いのも、正の魔力の恩恵らしい。
ところが、リュウガ・ウェルナ・エルナは、本来反発するはずの正負の魔力両方を身に宿し、その存在自体が魔と正とを調停し続けている、ということのようだ。
わかったような、わからないような……
「でも、じゃあ、それを殺しちゃったら、ヤバいんじゃないか」
俺のつぶやきにガルドが答える。
「ああ、そうだな。殺しちまったら秩序が崩れちまう。絶対にマズい」
だがな、と付け足す。
「……――そんな心配は、一切必要ねぇよ」
その言葉の意味を、俺はすぐに理解することになる。
午後。リュウガ森の前。
第三騎士団は全戦力を集結していた。
今回は、誰も異を唱えることなく。
森がざわめく。
巨大な存在がこちらへ向かっている気配がする。
誰かが、ピアノを弾いている——?
いや、違う。これは足音だ。
そんな馬鹿な。
竜よりも大きな生き物の足音が、美しい旋律として聞こえる。
森の木々が、まるで道を空けるように、頭を垂れるように開いた。
その奥に、それは居た。
巨大な、緑色の山羊に見えた。30メートルくらいあるのだろうか。
しかしその背は亀のような甲羅。
甲羅の上にもまた森がある。
山羊のようと思ったが、顔には嘴があった。
それが、リュウガ・ウェルナ・エルナだった。
タキが全軍の前に出て、声を張り上げる。
「リュウガ森の守り神よ、なぜ人の地を踏もうとする!!」
リュウガ・ウェルナ・エルナは答えない。
歩みも、止めない。
「守り神よ、あなたは森を治める者。古の約定に従い、我ら人は森の外に街を、城を築き、森と人との境界を守っています!
なぜ、かように荒ぶるか!!」
歩みは、止まらない。
「リュウガ・ウェルナ・エルナ!それ以上踏み込めば我らも戦わざるを得ません!!」
タキの合図に、大砲が一斉に、リュウガ・ウェルナ・エルナを向く。
「……――どうか、お引き取りを」
答えは、咆哮だった。
竜や獣のそれとは違う。
和音だ。咆哮が和音を形作っている。
森が、牙を剥いた。
木々がその根を地から引き抜き、這いずるように走ってくる。
草がその身を伸ばし、騎士たちを絡め取ろうとする。
砲撃。砲撃。砲撃。
リュウガ・ウェルナ・エルナに直撃する。
砲弾の炸裂が神の顔に傷を刻む――ことは、なかった。
リュウガ・ウェルナ・エルナの身を焦がすことはおろか、汚れさえもつかない。
動揺。砲撃が逸れる。森の木々が炸裂する。
リュウガ・ウェルナ・エルナはそれを見て、コントラバスのように、低く唸った。
続く砲撃。しかし炸裂しない。
神を止めるために撃ち出されたはずの砲弾は、空中でほどけ、植物の種子になって飛び散った。
恐慌。
「落ち着け!!落ち着け!!我らはルクシオン聖王国の第三騎士団だ!!聖神の加護は我らにある!!」
タキが声を荒げるが、半狂乱の騎士団に届かない。
またたく間に、騎士たちのほとんどが、木に、草に、絡め取られて地に伏し、自由を失った。
残るは団長、副団長、クレインさん、そして俺だけだ。
剣で、ハサミで、迫りくる木を、草を刈り取る。
しかし、刈っても刈ってもまた伸びるだけ。いたちごっこ、ジリ貧。
そのさまを、リュウガ・ウェルナ・エルナはじっと見つめていた。
「くっ、こうなれば……!」
「タキ団長、よせ!」
タキが跳躍した。目指すは元凶。リュウガ・ウェルナ・エルナ。
トニーの制止を振り切り、神速で駆ける。
第三騎士団最強の剣が、神の脳天に迫る。
「御免!!」
渾身の一刀。
しかし剣は、リュウガ・ウェルナ・エルナに触れたその瞬間に、花束に変わる。
それは慣性を無視して、ふわりと広がった。
リュウガ・ウェルナ・エルナが首を振り、その角がタキを弾き飛ばす。
騎士団の、悲鳴。
タキは吹き飛び、木に激突……いや、木に受け止められて、そのまま木の中に埋め込まれてしまった。
意識がないようだ。
トニーが、タキに駆け寄ろうとして草に捕まる。
レイヴン副団長が、それを助けようとして捕まる。クレインさんが続く。
ヴェルグ副団長が、渾身の一刀のために跳び上がり、空中で綿毛に包まれる。
いつの間にか、戦いは終わっていた。
……俺、ただ1人を残して。
リュウガ・ウェルナ・エルナがこちらを見る。
草食獣のように横についていたはずの瞳が、今は正面から、両目で俺を見つめている。
俺は右のハサミを構える。いちかばちか。衝撃災禍で――
「なにゆえ、世界の秩序を乱すのです」
声がした。女性の声。
聞き覚えのある、懐かしい声。
次の瞬間、俺はだだっ広い草原に立っていた。
目の前に、女性がいた。
「……――母さん……?」
元の世界に残してきた、俺の母だった。
思わず駆け寄って、ハッとする。俺の姿はカニの怪物。母さんを怖がらせてしまう。
しかしそれは杞憂だった。俺はいつの間にか人間の姿に戻っている。
「私が母に見えるのですね」
母さんが語りかけてくる。いや、違う。これは――
「――リュウガ・ウェルナ・エルナ……?」
「あなた達の呼び名では、そうです」
「なぜ、俺の……母の姿に……」
「命の循環、魂の源流……私の本質を、あなたの魂が、母と解釈したのでしょう」
ここは、魂の座。
「再び問います。なにゆえ、秩序を乱すのです」
「違います。俺達第三騎士団は、森と人との境界、その秩序を保とうと――」
「それは理解しています。だからこそ、彼らの命を奪ってはいない」
ならば、そうか。問われているのは――
「人を捨てた人。正負に属さぬ命。それでありながら力を振るう者」
怪人の存在。
俺の姿はいつの間にか、カニ怪人のそれに変わっていた。
母の顔に、山羊の角が生える。
「森に落ちた異物。森の木々を食い荒らし、毒を撒き散らし、命を吸い上げて、還元しない。
私はあなた達を許すことができません」
「俺は、彼らとは違う」
「何が違うのです」
「俺は彼らと戦い、この世界を守ろうと」
顔が近づく。見開いた目は、瞳孔が横に長い。
見慣れた顔の、見知らぬ瞳。
「……あなたの過去を見ました。この世界に属さぬ者よ。
かの者の気まぐれには困ったものです。
残念ですが、あなたの存在自体が秩序への反逆」
「……そうですか」
俺は天を仰ぐ。
どこまでも広がる、青い空。
俺に居場所をくれた全ての人に、思いを馳せる。
「――……わかりました」
「何がわかったのですか」
「俺の命を捧げます。第三騎士団を解放してください。
彼らは、今後の怪人との戦いに必要です」
しばらく、無言。
「――……いいでしょう。その生命を貰い受けます」
さようなら、異世界。
さようなら、第三騎士団のみんな。
……………さようなら、タキ。
俺は右のハサミを、自身の腹、賢者の石に向けて構える。
「ですが、今ではありません」
手を止める。
「どういうことですか」
「この世界に紛れ込んだ異物……『怪人』が、あと3体」
指折り数えるその人の指は、山羊のそれのように蹄がついていた。
「それら全てを斃した後、その生命をこの世界に還元なさい。
魂を循環させるための神器を与えます。ゆめゆめ肌身離さぬように」
そう言うと、彼女は微笑み、俺の頬に口づけた。
同時に俺の意識は、暗黒へと落ちて行った。
気づけば夕方。医務室。
「カニ!目が覚めたか!!」
タキが涙目で俺を呼ぶ。
「おお、よかった!お前だけずっと気絶してたから、みんな心配してたんだぜ」
「僕はしてない」
トニーの言葉に、レイヴン副団長が茶々を入れる。
「……目が覚めるまで医務室で待ってたくせに」
「ッッッはぁあ~~~!?ダントン氏、僕はただ薬の在庫確認をしてただけですけど!?」
あはは。
……で、リュウガ・ウェルナ・エルナはどうなったんだ?
「あの後な、一通り暴れて満足したのか、リュウガ・ウェルナ・エルナは森に帰っていったんだよ。
俺たちの拘束も、その後すぐに解けてな
タキが軽い打撲を負ったほかは、幸い誰も怪我人なしだ。
……お前も怪我はないみたいだし」
トニーが説明してくれる。
よかった。本当に、よかった。
ふと、ポーチが気になる。
ポーチに、何かがついている。小さな、装飾品のようだ。
輪、の中に、網?それに、羽?が、ぶら下がっている?
これ、土産物で見たことがある。
たしか、ドリームキャッチャーとかいうお守りだ。
それが、語り掛けてくる気がした。
俺の使命、そして運命を。
「おや?カニ。ポーチに飾りをつけたのか?なかなか可愛い飾りじゃないか。趣味がいいな」
タキの明るい声をよそに、俺は、この物語の結末を見据えていた。




