名門ジム
あの時の悔しさは、今でも忘れられない。
名門ジム、ゴールドラッシュの前に立ったのは、ニューメキに着いてすぐの頃だった。
あの日、私は大きな鉄の扉の前で深呼吸し、胸の中に小さな希望を抱いていた。でも、受付の警備員に「ヴィオラ?聞かない名前ですね。紹介のない方はご遠慮ください」とやんわり拒絶されて、その扉は一ミリも開かないまま、私の前から閉ざされた。
一言で言えば、門前払いだ。
悔しかった。
悔しくて、その場で泣きたくなるほどだった。
それでも私は諦めなかった。シェアハウスの近くにある、いくらか敷居の低いジムに通い始めた。そこは中級者向けで、どちらかといえば“街の格闘好き”が集まる場所だったけれど、私には十分だった。とにかく、技術を学びたかった。強くなりたかった。
汗だくになって打ち込み、練習に励んでいた……つもりだった。
気がつけば、あたしとスパーリングしてくれる相手はいなくなった。
ある日、ジムマスターとのスパーリングに挑むことになった。
気合いを入れて臨んだその試合で、あたしは――倒してしまったのだ。ジムマスターを、たった一撃で。
私はジムマスターから「もう教えることはない」と言われた。……言葉だけを聞けば、誉め言葉のようにも思えるけれど、その言い方は明らかに「卒業」ではなく「追い出し」だった。
あたしは、ゴールドラッシュへの紹介状を書いてほしいとお願いした。
少し困ったような笑顔で、ジムマスターは紹介状を差し出してくれた。
「君なら、あそこでもやっていけるだろう」
その言葉と紙切れ一枚を胸に、私は再び、名門ジムの扉の前に立った。
ーー紹介状をもらえてよかった。
今回は違った。受付に紹介状を渡すと、扉は静かに開いた。あたしは、ようやく中へ足を踏み入れることができた。
ジムの中には、ただならぬ空気が漂っていた。
どの選手も真剣で、鍛え抜かれた体と集中力を全身から放っている。
受付であたしが最年少だと聞かされた。しかも、それが女の子であれば、奇異の目で見られるのは仕方がない。
視線を感じるたびに、「誰?」とひそひそ囁かれているような気がした。でも、あたしはもう慣れていた。子供扱いされるのも、疑いの目を向けられるのも、最初から覚悟していた。
更衣室で着替えながら、ふと耳にした会話に、あたしは小さく反応した。
「今日もチャンピオン来てるって。あの人、動きが目立つ子には、リングで直々に手合わせするらしいよ」
――チャンピオン、アリシア。
名門ジムの顔にして、現役のリングチャンピオン。伝説みたいな存在で、格闘雑誌で何度も見たことがあった。でも本当にこの目の前にいるなんて、少し信じられなかった。
あたしは練習に集中した。周囲の目も、自分の不安も忘れて、ただひたすらに技を磨くことに意識を注いだ。そして、気づけば――彼女はあたしを見ていた。
「ねえ、君」
その声に振り向くと、そこに立っていたのは、あのアリシアだった。長身で、しなやかで、瞳はどこか獣のような鋭さを持っている。彼女はまっすぐ私を見て、にこりともせずに言った。
「少し、付き合って」
あたしは頷いていた。返事をした記憶はない。でも、気づけばリングに上がっていた。
「私はアリシア。君は」
「ヴィオラよ」
お互い構えるとすぐにスパーリングが始まった。
彼女の攻撃は、速かった。正直、次元が違った。拳の軌道、足の運び、体重の乗せ方……どれもが完璧で、しかも美しかった。まるで芸術品。私はたった数秒の間に、何度も倒されそうになった。
何よりも攻撃のパターンの多さ。全く次の動きを読むことができない。
それに対してあたしはもう引き出しがない。あたしの動きは全てアリシアに読まれていた。
追い詰められている。
そして、私の中の「力」が騒ぎ始めた。
赤い目の巨人――あたしの奥に眠る、規格外の力。それを使えば、きっと勝機がある。いや、勝てなくても、彼女の動きについていける。でも。
「ちがう……」
あたしは心の中でつぶやいて、両手を握りしめた。このジムに来たのは、技術を学ぶためだ。あの力を使ってしまえば、それは全部、無意味になる。
それにアリシアもスキルをまだ使っていない。
「参りました」
あたしが立ち止まった瞬間、アリシアの拳が止まった。彼女は一歩、あたしから距離を取って、ふっと息を吐いた。
「いい判断だったわね」
あたしは肩で息をしながら、素直に頭を下げた。
「……負けです。でも、技を学びに来たんです。どうか、教えてください」
アリシアの表情が、すこしだけ柔らかくなった。少し驚いたような顔で、けれどすぐに微笑んで言った。
「あなた、力を隠してるでしょう。もちろん、私もスキルは使っていなかったけど。
でも――悪くないわ。その判断力も、動きも、磨けば本物になる。師匠を教えてもらえる?」
「あたしの師匠はパバリ王」
周囲がざわめいた。仲間たちの視線が突き刺さるように感じた。
「なるほど。普通なら信じられないけど、ヴィオラなら納得できるわ。
武を極めし創世のパバリ王に直弟子がいたのね。どうりで動きに無駄がないわけだわ。
でも、まだ、荒削りね。動きが読みやすい」
「お願いです。あたしに教えてください」
「いいわ。あなたの動きからあたしも学ぶことがある」
周囲がさらにざわめいた。
でも、私は構わなかった。認めてくれる人が、ここにいる。それだけで、十分だった。
その夜、帰り道の空気は、いつもより澄んでいた。星が高く、風が心地よくて、私はジムバッグを背負いながら、小さく拳を握った。
私はここから始める。力じゃない、本当の強さを手に入れるために。




