笛の音色
しばらく誰も言葉を口にしなかった。
風が吹くたび、赤い花が一斉に揺れる。
さらさら……。
花の波が谷を渡っていく。その音に耳を澄ませていると、胸の奥が少しくすぐったくなるような、不思議な気持ちになった。
僕はふと、胸元にしまった笛へ手を伸ばす。
「吹いてみてもいいかな」
ヴィオラが穏やかに頷く。
「もちろん」
ウチャも期待したように笑った。
「聞きたい!」
僕は修理された笛を静かに取り出した。
ドワラゴンが直してくれたばかりの笛は、夕陽を受けてほのかに輝いている。
ゆっくりと息を吸う。
最初のころは、音を出すだけで精いっぱいだった。
指は思うように動かず、息は震え、リーネには何度も笑われた。
それでも毎日少しずつ吹き続けた。
何度も失敗して、何度も吹いて。
ようやく、旋律らしい旋律を奏でられるようになった。
僕は目を閉じる。
ふぅ、と息を吹き込んだ。
澄んだ音色が谷へ溶けていく。
赤い花の海を渡り、風に乗って遠くまで流れていく。
自然と指が動く。
リーネが教えてくれた、あの曲。
「……!」
隣でヴィオラが小さく息を呑んだ。
「その曲……」
笛の音が途切れる。
ヴィオラは胸に手を当て、震える声で言った。
「リノスの歌……」
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「え?」
僕は驚いてヴィオラを見る。
「知ってるの?」
ヴィオラは涙をぬぐい、小さく笑う。
「ええ。ドラコニアがよく口ずさんでいた歌よ。」
その言葉に、ウチャも目を丸くした。
「あっ! あたしも知ってる!」
勢いよく一歩前へ出る。
「小さいころ、お母さんが歌ってくれた!」
僕は二人を交互に見た。
「そうだったんだ……」
「続きを吹いて。」
ヴィオラは優しく微笑む。
「私たちも歌うから。」
僕は静かに頷いた。
もう一度、笛を口元へ運ぶ。
今度は迷わない。
柔らかな旋律が再び流れ始める。
その音に重なるように、ヴィオラが歌い出した。
透き通るような澄んだ歌声。
続いてウチャも声を重ねる。
明るく伸びやかな歌声が、ヴィオラの声と溶け合っていく。
二つの歌声と、一つの笛。
「君が去ってから
声は、風に散りさった。悲しみが枯れた木を濡らせ
どうして君と踊れないの
涙は、海を目指し、地を這い、闇に沈むよ
君が戻ってから
声は、流れる小川。喜びが梢のつむじ風
どうしても君と踊るの
涙は、海にたどりつき、雲になり、虹をつくるよ」
風が吹く。
赤い花々が一斉に揺れ、まるで音楽に合わせて踊っているようだった。
谷いっぱいに、笛と歌が響き渡る。
空へ。
花の海へ。
遠い記憶の向こうへ。
誰も言葉を交わさない。
ただ、その音色だけが、静かに世界を満たしていた。




