玉座の間
ヴィオラの一撃が、鋭い音とともに虚空を切り裂いた。
けれど――
「……人形だった。」
ヴィオラの声は、そのもののように冷たかった。
目の前にいた“ジェッピ”は、どこかが決定的におかしかった。
その皮膚には血の気がなく、傷口からも赤ではない奇妙な液がじわじわとにじむ。
ガクンと首を落とし、糸が切れたように崩れ落ちるその様は……まるで、本当に操り人形だったかのようだ。
「ウチャ……これ……」
「……まずいよ、ピピン! 罠だ、すぐ退くよ!」
僕は慌ててポルシェッタを呼び出す。脱出魔法の準備は整っていた。
僕の腕をヴィオラとウチャが掴む。空気の圧縮、展開、射出まで……あと一瞬。いつもなら、ここで空を飛んで逃げられるはずだった。
でも、その瞬間。
身体が、動かなかった。
「……え?」
腕が上がらない。足も、指先さえも動かない。
目だけが焦点を保ったまま、視界の端でヴィオラが同じように凍りついていた。
足元から這い寄る、見えない粘膜のような力。重く、冷たく、どこか湿っている。
心の奥に直接訴えかけてくるような、恐ろしい魔力の気配。
「めんどくさいことになったわね」
声が響いた。心臓を撫で下ろすような、けれど決して心を安らげてはくれない、不思議な声。
王座の奥の陰が揺れ、そこから一人の女が現れた。
艶やかな黒髪に深紅のローブ、怠そうな目。眠たげな瞳の奥に、こちらを舐めるような悪意を秘めている。
彼女は、僕たちの混乱すら「日常の小さな不便」くらいにしか思っていないようだった。
「王座の間で暴れるなんて……信じられない。こっちは昼寝するつもりだったのに」
あくびを噛み殺す仕草さえ優雅に見えた。でも、その指先には、魔法の紋様がびっしりと絡みついている。
あれが、僕たちを縛っている“なにか”だ。
「……この女が……っ」
「失礼ね。私にはザラーバスという名前があるのよ」
ヴィオラの悔しそうな声が聞こえた。けれど、彼女の剣は床に貼りついたまま微動だにしない。
「……くそっ……ポルシェッタ、頼むから……!」
僕も必死に念じる。けれど、ポルシェッタの魔力は僕の手元で沈黙していた。
……まるで空間そのものに封印されたような感覚。
しかし、たった一人――
「ウチャ……?」
杖が光を放ち、彼だけがその場に立っていた。肩を上下させながらも、確かに自分の足で踏みとどまっている。
その姿を見て、魔導士の女――ザラーバスが、初めてほんの僅かに眉を動かした。
「……あら? 効かない? へえ……意外」
口調は飄々としていたけれど、僕は見逃さなかった。
その瞳の奥に、微細な警戒の色が混じったのを。
「めんどうね。ほんと、めんどう」
ザラーバスは、そっぽを向いて小さくため息をついた。そして背後の影が……揺れた。
「ガナルワ。任せるわ。わたし、もう眠いの」
その言葉とともに、空気が一変した。
ざわり、と背中に冷気が走る。新たな気配――いや、圧力が部屋全体を包み込む。
「……ザラーバス」
声がした。
重く、鋭く、鋼のように冷たい声だった。
王座の間の奥から、長身の男が姿を現した。
その手には、青白く輝く剣。
「ジェッピ様を……汚した者たちを、俺は許せない」
ガナルワ――その名を彼女が口にした瞬間から、空間そのものが刃に変わったようだった。
ウチャだけが、彼に立ち向かう。
僕は、動けないまま……その姿を、ただ見つめていた。
ウチャ、お願いだ――君だけが、今、僕たちの希望なんだ。




