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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
禁忌の等価

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第66話 二重の帳簿

宰相との対決から二日後。リーゼの元にグリュンタールから荷が届いた。


 ユーリの鍛冶場からの木箱。重い。開けると、革に包まれた金属の器具が入っていた。


 新しい増幅器。前回のものとは全く異なる設計。指先に装着する環型はそのままだが、環から腕に沿って薄い金属のアームが伸び、肘の手前まで達している。指先に集中する精髄の負荷を、腕全体に分散させる構造。


 リーゼが器具に触れた。


 金属の記憶が流れ込む。ユーリが何度も何度も試作を繰り返した痕跡。合金の配合を微調整し、鍛造のパターンを変え、焼き入れの温度を調整し。百回以上。指先の焼痕を知った上での、職人の答え。


 同封の手紙。ユーリの不器用な字。


「リーゼ。指先の負荷を腕に分散する設計にした。完璧ではない。だが今の俺にできる最善だ。身体を壊すな。器具で補える分は補う。あとは帰ってきてからだ。ユーリ」


 鍛冶師は口で語らず手で語る。百回の試作。それがユーリの言葉だ。


 リーゼは増幅器を右腕に装着した。金属がぴったりと肌に沿う。冷たい。だがすぐに体温で温まった。ユーリの器具はいつもそうだ。最初は冷たくて、すぐに温かくなる。


 指先を動かした。環型部分の反応が良い。以前より精密。増幅率も上がっている。だが最大の変化は、指先の熱が腕全体に分散されること。指先一点に集中していた負荷が、薄く広く流れる。


「……すごい」


 右手を見た。保護布の下の指先は相変わらず白い。だがこの器具があれば、実験の際の焼痕を最小限に抑えられる。


* * *


 その夜。リーゼの部屋の扉がノックされた。


 カイではなかった。エルヴィラ。


「入って。急ぎの話がある」


 エルヴィラが鞄から一枚の書類を取り出した。宰相府の紋章入り。機密扱いの赤い封蝋。


「カイ・ローレンツが宰相に提出した機密報告書の写し。精髄研究局の内部文書保管庫から持ち出した」


「カイさんの報告書?」


「リーゼ。読んでほしい。あなたの鑑定眼で」


 リーゼは手袋を外し、報告書に触れた。


 カイの筆跡。慣れた手。毎日書いている人間の安定した筆圧。報告書の内容は、宰相に向けた精髄研究局の活動報告。リーゼの動向についての所見。「リーゼ・ヴェーバーの協力を得る見込みあり。信頼構築のため追加の時間を要する」。


 宰相に見せるための文面。計算された言葉。カイが仮面を被って書いた文章。


「この報告書には——」


 リーゼの指が止まった。紙の表面に見えるインクの下に、もう一層ある。通常の鑑定では見えない。増幅器の出力を上げて、紙の最深層を読む。


「もう一つの文章があります。紙の繊維の間に、別のインクで書かれている。通常のインクと異なる組成。私の鑑定眼でなければ読めない」


「別の文章?」


「カイさんが、報告書の中に暗号を仕込んでいる」


 リーゼは増幅器の出力を最大にした。ユーリの新しい器具が腕全体に負荷を分散する。指先が光った。紙の最深層のインクが浮かび上がる。


 カイの筆跡。だが表面の事務的な文章とは全く異なる。


「全施設の位置、規模、人員を記録した。証拠は国王の直臣に既に提出済み。リーゼ。お前に見せるために書いた。宰相を止めるのは法の力だ。俺は法の側にいる。最初から」


 リーゼの目から涙がこぼれた。


 最初から。カイは最初から、法で宰相を止めるために内側に入った。仮面を被り、リーゼに冷たい顔を見せ、フリードリヒの監視をかいくぐり、宰相の信頼を得ながら——証拠を集め続けた。


 そしてその証拠を、リーゼの鑑定眼でしか読めない暗号で報告書に隠した。宰相が読んでも気づかない。リーゼだけが読める。


「お前に見せるために書いた」


 その一行で、全てが繋がった。


「エルヴィラさん」


「泣いていいのは今だけよ。明日から戦いが始まります」


「はい。明日から」


 リーゼは涙を拭いた。報告書を鞄に入れた。法の力で。証拠の力で。宰相を止める。


 カイが内側から。リーゼが外側から。エルヴィラが制度の中から。


 三人の手で。


 カイの暗号報告書を全て解読するのに、丸一日かかった。


 エルヴィラの私室に籠もり、増幅器の出力を上げ下げしながら、紙の最深層に隠された文章を一語一語復元していく。ユーリの新しい器具が負荷を分散してくれなければ、半日で指が動かなくなっていただろう。


 カイが集めた情報の全容。


 三カ所の施設の詳細。ノルデン施設では精髄属性の小規模制御実験が進行中。術者は三名。うち一名が死亡し、一名が右腕を喪失。エルツ施設では精髄灰の地下浸透が進行し、周辺二キロメートルの地下水が汚染。王都の地下施設では賢者の石の結晶化実験が開始されていた。


 予算の流れ。宰相府の特別予算から精髄研究局に二千金貨が投入されている。公式予算の十倍。帳簿外の資金。


 人員構成。研究局の錬金術師十二名。うち七名が宰相の個人的な人脈から集められた非正規の術者。王立錬金術院の管轄外。


 そしてディーター・ヴォルフ。宰相がディーターの脱獄を手配した証拠。脱獄の翌日にフリードリヒがディーターと面会した記録。ディーターは現在、エルツ施設で技術顧問として働いている。


「全てが繋がりました」


 リーゼがエルヴィラに報告した。


「カイさんはこれらの証拠を、国王の直臣——おそらく王室騎士団長に既に提出しています。法的な手続きの準備が進んでいる」


「王室騎士団長。あの人なら、宰相府の影響を受けない」


「宰相を法で止めるには、宰相より上位の権力が必要です。国王か、国王の直臣。カイさんはそこに証拠を送った」


「でも宰相が先に動けば、証拠を握りつぶす可能性がある」


「だからカイさんは仮面を外さなかった。宰相がカイを疑うまでの時間が、証拠が法的に有効になるまでの時間と競争していた」


 エルヴィラが窓を確認した。


「時間がない。宰相がリーゼの拒否を受けて、次の手を打つまでに。カイが身元を晒す前に。全てを同時に動かさなければ」


「明日。宰相が次の手を打つ前に。カイさんが仮面を外す。エルヴィラさんが鑑定部門の権限で改竄報告書の原本を公式記録として復元する。私は国王への上奏書を提出する」


「三人同時に」


「三人同時に。宰相に対処する時間を与えない」


* * *


 深夜。リーゼは上奏書を書いた。


 死者の記録。汚染の記録。改竄の記録。設計図。カイの暗号報告書の解読結果。全てを一つの文書にまとめた。


 署名した。「第5等級鑑定士 リーゼ・ヴェーバー」。


 ペンを置いた。右手の指先が白い。だが動く。読める。書ける。


 窓の外に王都の夜景。灯りが点々と瞬いている。この街の地下で、精髄灰が広がっている。この街の住民は知らない。パン屋の主人も、衛兵も、子供たちも。


 グリュンタールの人々も、最初は知らなかった。リーゼが土に触れて初めて、真実が明らかになった。


 王都でも同じことをする。触れて、読んで、示す。


 上奏書の最後に、一行を加えた。


「本報告は、不正調査機関調査官カイ・ローレンツの内部調査報告、宮廷主席鑑定士エルヴィラ・フォン・ブリュッケの公式鑑定記録、および第5等級鑑定士リーゼ・ヴェーバーの物質鑑定結果に基づく。三者の証言と証拠は、それぞれ独立に取得されたものであり、相互に裏付けあう」


 灯りを消した。

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