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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
禁忌の等価

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第65話 離反

事故報告書は翌日に届いた。宰相の約束通り。


 エルヴィラの私室で読んだ。手袋を外し、報告書に触れる。


 一枚目。北方施設ノルデンの事故報告。「実験中の精髄属性の出力変動により、術者が右腕に軽度の火傷を負った。治療済み。業務に復帰」。


 軽度の火傷。業務に復帰。


 リーゼの指が紙の表面をなぞった。インクの層が二つある。書き直されている。


「この報告書は二度書き直されています」


「二度?」


「最初の版の痕跡が紙の裏面に残っています。読みます」


 増幅器の出力を上げた。削られたインクの下層を読む。


「最初の版。『実験中に精髄属性の暴走が発生。術者の右腕に重度の侵食。治療不能。術者は実験継続を断念。翌日、第二の術者が重度の火傷により死亡。死因は精髄灰の急性侵食』」


 エルヴィラの顔から血の気が引いた。


「死者が出ている」


「はい。最初の版では死亡者一名。書き直された版では『軽度の火傷、業務に復帰』。死者の存在が消されている」


 それは、おかしい。


 リーゼは二枚目に触れた。東の鉱山都市エルツの報告。「実験は順調に進行中。安全基準を満たしている」。


 この報告書も書き直されていた。


「エルツの最初の版。『精髄灰の漏洩が施設の周辺五十メートルに拡大。近隣の井戸水からの精髄灰検出。濃度は基準値の三倍。住民への健康被害の可能性あり』」


「グリュンタールと同じだ」


「同じです。地下施設から精髄灰が漏洩し、周辺の水源を汚染している。二十年前のグリュンタールの再現」


 三枚目。王都の地下施設の報告。「小規模実験のみ。安全上の問題なし」。


 これも書き直し。


「王都の最初の版。『地下施設の壁面に精髄灰の浸透を確認。施設外への漏洩の兆候あり。王宮の石畳の下から微量の精髄灰を検出』」


「王都の地下が汚染されている」


「はい。そして宰相はそれを知った上で隠蔽している。三カ所全てで問題が起きていて、三カ所全てで報告書が改竄されている」


 リーゼは報告書をテーブルに置いた。指先が震えていた。怒りだ。


「宰相はグリュンタールで学ばなかった。同じことを三カ所で同時にやっている。死者を出し、水源を汚染し、王都の地下まで精髄灰が浸透している。それを全て隠蔽している」


「どうする」


「もう保留はしません。宰相を止めます」


「方法は」


「カイさんが内側で集めた証拠と、この報告書の改竄の証拠を合わせて、国王に直接上奏する。宰相を飛び越えて」


「国王に直接? どうやって」


「以前、式典で公開鑑定をしたとき、宰相を飛び越えて事実を示しました。同じ構造です。握りつぶせない場で、握りつぶせない証拠を出す」


「だがカイの立場が——」


「カイさんは自分で判断するでしょう。私は私の方法で動きます。カイさんはカイさんの方法で」


 エルヴィラが頷いた。紫の瞳に覚悟が宿っている。


「私も動きます。鑑定部門の主席として。改竄された報告書の原本を公式記録から復元する。鑑定部門の権限でそれはできる」


「三人で」


「三人で。そして——」


 エルヴィラが窓の外を見た。


「宰相が本気で抵抗すれば、追放では済まないわ。今度は」


「分かっています」


 二人は報告書を鞄に収めた。死者の記録。汚染の記録。改竄の記録。三カ所の闇が、紙の中に閉じ込められている。


 宰相への回答期限の朝。リーゼは宰相の執務室に向かった。


 回廊で、カイとすれ違った。今度は手が触れなかった。目だけが合った。一瞬。カイの灰色の目に、何かが読めた。「行け」と。


 執務室。宰相が待っていた。フリードリヒが横に立っている。カイは部屋の隅に座り、記録帳を構えている。


「回答を聞こう」


「宰相閣下。技術顧問の就任をお受けする前に、一つだけ確認させてください」


「何かね」


 リーゼが鞄から報告書を取り出した。三カ所の施設の事故報告書。宰相が昨日渡したもの。


「この報告書は改竄されています」


 部屋の空気が変わった。フリードリヒの顔が強張る。カイのペンが止まる。


「ノルデン施設の報告書は二度書き直されています。最初の版では死亡者が一名出ている。エルツ施設では精髄灰が近隣の水源に漏洩し、井戸水が汚染されている。王都の地下施設では、宮廷の石畳の下まで精髄灰が浸透しています」


「それは——」


「紙の裏面に最初の版の痕跡が残っています。私の鑑定眼は、改竄されたインクの下にある元の文字を読めます。カイ・ローレンツ殿が持っている記録帳にも記録してもらいましょう。カイ殿、今の発言を書きましたか」


 カイがペンを動かした。表情は変わらない。


「書いた」


「宰相閣下。犠牲は出ている。死者が出ている。グリュンタールの二の舞を、三カ所同時に起こしています」


 宰相は否定しなかった。立ち上がり、窓に向かった。背中をリーゼに見せた。


「犠牲は認める。だが賢者の石が完成すれば、救える命の方が圧倒的に多い」


「千年前の錬金術師も、二百年前の術者も、私の父も、同じことを言いました。結果は全て同じです。代償は消えない」


「だからこそ第三の方法が必要だ。君の鑑定眼があれば——」


「私の身体を触媒にして?」


 宰相が振り返った。沈黙。


「設計図を見ました。『安定供給装置』の概念図。中央に『制御核』の空欄。そこに入るのは私です。私の鑑定眼を装置に直結させ、精髄の流れを制御させる。代償は分散されるが、分散先は私の身体。最終的に、私は父と同じ運命を辿る」


 宰相の表情が初めて揺れた。


「……知っていたのか」


「触れれば分かります。書類に。壁に。この机に。全てが語っている」


「ならば分かるだろう。この国の農地の三割が荒廃している。飢饉は現実の脅威だ。誰かが代償を払わなければ——」


「誰かを選ぶのは、あなたではない」


 リーゼの声が鋭くなった。


「父は志願者でした。代償を知った上で自分で選んだ。でもノルデンの死亡した術者は? エルツの汚染された井戸水を飲む住民は? 選んでいない。知らされてもいない。あなたが代わりに選んだ。それは選択ではなく、犠牲の強制です」


 宰相が黙った。長い沈黙。カイは記録帳にペンを走らせ続けている。一語一語。宰相とリーゼのやり取りを全て記録している。


「技術顧問の就任は、お断りします」


「そうか」


「そしてこの報告書の改竄について、国王に上奏する手続きを取ります」


「リーゼ・ヴェーバー殿。それは宣戦布告と受け取っていいかね」


「事実の報告です。それ以上でも以下でもありません」


 リーゼは執務室を出た。扉が閉まった。


 回廊で一人立ち止まった。膝が震えていた。今になって。


 扉の向こうで、カイの記録帳にはリーゼの言葉が全て刻まれている。法的な証拠として。カイが宰相の側にいる限り、宰相のリアクションも全て記録される。


 カイは最後まで仮面を外さなかった。一言もリーゼを庇わなかった。


 だがリーゼの言葉を、一語も漏らさず書き留めた。


 それが、カイの答えなのだろう。

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