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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
禁忌の等価

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第58話 三つの断片

「合わない」


 リーゼは作業台に広げた三組の記録を見比べていた。千年前の遺跡の壁面から書き写したパターン。父ヘルマンの実験日誌に隠されていた暗号。マティアスの二十年分の研究ノート。


 三つの断片は、それぞれ精髄属性の制御法の一部を含んでいる。千年前の記録は理論の骨格。父の暗号は実践の手順。マティアスのノートは検証のデータ。三つが揃えば第三の方法を再構成できるはずだった。


 だが接合部が合わない。千年前の理論と父の手順の間に、欠落した工程がある。


「どこが合わんのじゃ」


 マティアスが横から覗き込んだ。茶の杯を持ったまま。


「千年前の記録では、精髄の流れを『読みながら調整する』と書かれています。父の暗号では、『流れを読んだ後に逆方向に返す』と。方向が逆です」


「読んで、返す。読むだけではなく」


「はい。千年前は読むだけ。父は読んで返す。どちらが正しいのか」


「両方正しいのかもしれんぞ。千年前は基礎理論。ヘルマンは応用。基礎があって応用がある。順序の問題じゃ」


 リーゼは手袋を外し、三組の記録に同時に触れた。指先から三つの時代の術式パターンが流れ込む。千年前の波長。二十年前の波長。そしてマティアスの波長。


 三つの波長が指先の中で重なっていく。千年前の波は深くて広い。父の波は鋭くて速い。マティアスの波は静かで長い。性格が違う。だが周期が似ている。


 重ねてみると、見えた。


「段階がある。千年前の方法は第一段階、精髄の流れを読む。父の方法は第二段階、読んだ流れを返して制御する。マティアスさんの研究は第三段階、制御した流れを安定させる。三つは別々の方法ではなく、一つの方法の三段階です」


「ほう」


「三つの断片が揃って初めて、第三の方法が完成する」


 マティアスが茶を啜った。


「では試すか」


* * *


 ユーリの鍛冶場。


 新しい増幅器が作業台の上に置かれていた。前回のものとは形状が異なる。指を通す環状の構造。装着すると、増幅器が指先を包むように密着する。


「前の増幅器は手に持つ型だった。今度のは指にはめる型だ」


「なぜ変えたんですか」


「前回の実験で、お前は増幅器を握りながら指先で精髄を制御しようとした。二つの動作を同時にやっている。片手を増幅器に使い、もう片方で制御する。非効率だ」


「つまりこの環型なら、同じ手で増幅と制御が同時にできる」


「ああ。合金の配合も変えた。精髄の伝導率を上げて、身体への負荷を減らす設計にした」


 ユーリが環型増幅器をリーゼの右手に装着した。金属が指に冷たく触れる。だがすぐに体温で温まった。ユーリの指がリーゼの指に触れている。装着の調整。きつすぎず、緩すぎず。


「ここを締めると固定される。外すときはここを押せ」


「分かりました」


「締めるぞ」


 ユーリの太い指が金具を締めた。リーゼの手首に力が加わる。鍛冶師の手。鉄を打つ手が、今はリーゼの指先を調整している。


「よし。試してみろ」


 リーゼは作業台の上に置かれた鉱石に右手を伸ばした。環型増幅器が指先に密着している。


 鉱石に触れた。


 第一段階。読む。精髄の流れが鉱石の内部を走っている。微弱だが確かに存在する。すべての物質に精髄は宿っている。普段は気にならないほど微かに。


 第二段階。返す。読んだ流れの方向を把握し、同じ方向に微量の精髄を送り返す。父の暗号に記されていた手順。


 指先が光った。以前より強く。環型増幅器が共鳴し、金属全体が薄く発光する。


 鉱石の内部で、精髄の流れが変わった。リーゼが送った微量の精髄が、鉱石の既存の流れと合流し、安定したループを形成している。


 第三段階。安定させる。ループが崩れないよう、流れの強さを微調整する。マティアスのノートに記された理論。強すぎれば暴走。弱すぎれば消失。均衡点を鑑定眼で読み続けながら保つ。


 三秒。五秒。八秒。


 ループが安定している。精髄の流れを「読みながら返し、返しながら安定させる」。第三の方法の原理が、初めて実動した。


 十二秒。鉱石の内部で、微かな変化が起きた。結晶構造の一部がリーゼの精髄に反応し、再配列し始めている。物質変換の兆し。力で押し込むのではなく、対話で変える。これが第三の方法の本質。


 だが十五秒を超えたところで、均衡が崩れた。


 指先の光が消え、鉱石の内部のループが崩壊した。リーゼの右腕に熱が走った。腕の内側に、小さな焼痕。赤い線が皮膚の下に浮かんでいる。


「十秒か」


 ユーリが焼痕を見た。


「壊すなと言ったのは器具の話だ。自分を壊してどうする」


「大丈夫です。十秒は大きな進歩です」


「進歩の代償がこれか」


* * *


 工房に戻ると、マティアスが待っていた。


 リーゼの右腕の焼痕を一目見て、表情を変えた。


「やはりか」


「やはり、とは」


「お前さんの身体が触媒になっておる。精髄を流すとき、増幅器ではなくお前さん自身の肉体が精髄の通り道になっている。環型増幅器で負荷を軽減しても、核心部分は身体を通る」


「つまり、第三の方法を使うたびに、身体に負荷がかかる」


「代償じゃ。代償なしの力はない。千年前の代償は大地。二百年前の代償は術者の肉体。お前さんの場合も、代償は肉体に来る」


「でも千年前や父の場合とは規模が違います。十秒の制御で腕に焼痕が一本。壊滅的な被害ではない」


「今は、な。覚醒が進めば出力が上がる。出力が上がれば負荷も上がる。このまま行けば——」


「父と同じになる」


 マティアスは何も言わなかった。言わないことが、答えだった。


 リーゼは右腕の焼痕を見つめた。赤い線。父も同じ線を腕に刻んでいたのだろうか。同じ代償を払いながら、研究を続けたのだろうか。


 代償なしの力はない。だが代償を最小化する方法はあるかもしれない。それが第三の方法の真の完成形。


 まだ、道の途中だ。


 その夜、指先に淡い光が走った。実験の余韻ではない。もっと内側から。精髄属性が、自分の意志とは無関係に動き始めている。

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