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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
山脈が隠す記憶

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第51話 大地の代償

遺跡の最深部を、もう一度調べた。


 円形の部屋の壁面。削り取られていない箇所を丹念に読んでいく。マティアスが古代文字を、リーゼが物質の記憶を。二人の作業は昨日より速い。呼吸が合ってきている。


「ここに被害の記録がある」


 マティアスが南壁の一画を指した。他の箇所より文字が小さく、密度が高い。記録者の手が震えていたのか、筆跡が乱れている。


「『賢者の石完成の三日後。谷の全ての植物が枯れた。水源が干上がった。土壌に精髄灰が浸透し、回復の見込みなし。集落の住民72名に体調不良。うち14名が起き上がれず。石の完成から7日後、最初の死者。術者アウレリウスの弟子、年齢23。症状は手の震え、発熱、内臓の侵食』」


 リーゼの手が止まった。


 手の震え。発熱。内臓の侵食。


「父と同じ症状です」


 声が硬かった。


「同じじゃ。精髄灰による遅発性の侵食。千年前の弟子と、ヘルマンの症状は同一じゃ」


 リーゼは壁に手を当てた。石の記憶を読む。千年前の被害者たちの体温。脈拍。苦痛の程度。物質に刻まれた千年分の記録が、指先から流れ込んでくる。


 同じだった。父の日誌に記された症状と、壁面の記録が描く症状が。精髄灰の侵食パターン。進行の速度。身体の各部位への影響。


「一致率97%。千年前の被害者と父の症状が、ほぼ同一です」


「つまり」


「父の死は、偶然の事故ではなかった。賢者の石研究に固有の構造的な犠牲です。千年前も同じ症状で人が死んでいる。研究を行えば必ず犠牲者が出る。それは分かっていたはず」


 リーゼの声が震えた。怒りなのか悲しみなのか、自分でも分からなかった。


「マティアスさん」


「ああ」


「あなたはこの症状を知っていましたか。ヘルマンの研究を認可したとき」


 長い沈黙。壁面の術式灯が青白く明滅した。


「古文献に類似の記録があった。精髄属性の実験で体調を崩した術者の報告が、数件。だが千年前のこの規模の被害は知らなかった。この遺跡を知らなかった」


「でも、犠牲者が出る可能性は認識していた」


「しておった」


「認識した上で認可した」


「した」


 マティアスの声に言い訳はなかった。事実を事実として述べている。リーゼと同じように。


「当時の王国は飢饉の瀬戸際にあった。荒廃農地の面積は年々拡大し、対策は間に合わなかった。ヘルマンの研究は希望だった。犠牲が出る可能性を、わしは飢饉の犠牲と天秤にかけた。数名の術者の健康被害と、数万人の飢餓。為政者として、わしは後者を選んだ」


「為政者として」


「院長としてじゃ。王に進言し、計画を承認させたのはわしじゃ」


「ヘルマンは。父は。志願したんですか、それとも命じられたんですか」


「志願じゃ。ヘルマンは自分の研究がこの国を救うと信じておった。危険は承知の上じゃった。わしが止めようとしたとき、ヘルマンは言った。『先生、俺が止まったら、誰がこの研究を続けるんですか。俺にしかできないんです。触れて読む力を持つ術者は、俺しかいない』」


 触れて読む力。自分にしかできない仕事。


 父の言葉が、リーゼ自身の言葉と重なった。


「グリュンタールで、私も同じことを言いました。浄化できるのは私しかいないと」


「ああ。お前さんはヘルマンの娘じゃ」


「父は止まらなかった。私も止まれない。だから違うやり方を見つける。犠牲を出さない方法を」


 壁面の被害記録はまだ続いていた。死者の数が増えていく。14名。28名。40名。集落の半数以上。最終的に、谷の住民のほぼ全員が何らかの症状を発し、多くが命を落とした。


「最終的な死者数は記録されていません。数えるのをやめたのか、数える者がいなくなったのか」


 ベルタが壁面を見上げていた。鉱夫の顔が険しい。


「百年間、鉱夫が避けた理由が分かった。あの谷で迷い込んだ連中は、精髄灰に侵されたんだ」


「はい。谷の空気中に今も精髄灰が浮遊しています。長時間の滞在は危険です」


「だったら俺たちも——」


「短時間なら大丈夫です。濃度は千年かけて薄まっている。でも長居はできない」


 カイが時計を見た。


「今日中に用件を済ませる。必要な記録を全て読み取って、下山する」


「あと一箇所。確認したい場所があります」


「どこだ」


「削り取られた壁面の下。宰相が持ち去った記録の痕跡。昨日は断片しか読めなかった。今日は増幅器の出力を上げて、もう一度読みます」


* * *


 リーゼは削り取られた北壁に両手を当てた。増幅器を最大出力に。表面の石が削られていても、内部には古代文字の圧痕が残っている。深く彫られた文字ほど、削り取りきれずに残る。


 断片が浮かび上がる。


「……精髄属性の安定制御は……対話によって……大地の声を聞く者が……触れることで流れを読み、読むことで流れを正す……これが第三の方法……」


「触れて、読んで、正す」


「はい。それが第三の方法の核心です。千年前の錬金術師は、力で抑え込む方法でもなく、放置する方法でもなく、鑑定の力で精髄属性の流れを読み取りながら微調整する方法を見つけていた」


「だがその方法でも、賢者の石は大地を殺した」


「第三の方法が完成する前に、石を作ってしまったのかもしれません。方法はあったが、間に合わなかった」


 マティアスが目を閉じた。


「ヘルマンと同じじゃ。方法を見つける前に、体が先に壊れた」


 リーゼは壁から手を離した。指先が冷えている。


「でも記録は残っている。千年前の錬金術師が見つけかけた方法。父が探し続けた方法。その断片が、ここにある。そしてマティアスさんの二十年の研究が、別の断片を持っている」


「断片を繋ぎ合わせれば」


「第三の方法を完成させられるかもしれない。犠牲を出さずに。大地を殺さずに」


 遺跡を出た。谷の空気が冷たかった。灰色の大地。千年間死んだままの谷。


 この谷を見て、リーゼは思った。父も同じ景色を見たかったのだろう。壊れたものを直す方法を。大地の声を聞いて、対話する方法を。


 父が見つけられなかった答えを、ここから探す。

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