第46話 五人の旅
「あんたら正気か」
ベルタ・シュタインは、腰に手を当ててリーゼたちを見下ろしていた。
五十代の女。日焼けした肌に白髪混じりの短髪。鉱夫だった頃の名残で、腕は丸太のように太い。マティアスが「山に詳しい女がおる」と呼んだ案内人。
「シュヴァルツ山脈の北東斜面に行きたいと。鉱脈の奥に何かがあると。そこは鉱夫が百年避けてきた禁足地だぞ」
「百年?」
「わしの祖父の代から、あの一帯には近づくなと言い伝えられておる。入った者が帰ってこなかったからだ。何人もな」
「帰ってこなかった理由が知りたいんです」
「知ってどうする。死にたいのか」
「死にません。調べるだけです」
ベルタがリーゼを睨んだ。それからマティアスを見た。
「爺さん。この嬢ちゃんはいつもこうなのか」
「いつもじゃ。言っても聞かん」
「面倒な連中だ」
カイとユーリが同時にリーゼの方を見た。リーゼは何も言わなかった。
「報酬は」
「日当と、帰路の安全の保証。それと、禁足地に何があるか分かったら、鉱夫の組合に報告する権利を差し上げます」
「鉱夫の組合に報告する権利、ねえ。まあいい。死んでも恨むなよ」
ベルタが背嚢を担いだ。五人の旅が始まった。
* * *
シュヴァルツ山脈への道は、グリュンタールの北門から始まる。
最初の半日は街道沿い。鉱山へ向かう荷馬車とすれ違う。街道を外れて山道に入ると、傾斜が急になった。ベルタが先頭。マティアスが二番目。リーゼが三番目。カイとユーリが後ろ。
荷物の配分で、最初の衝突があった。
「鑑定器具の箱は俺が持つ」
カイが手を伸ばした。リーゼの背の革鞄は軽いが、増幅器と触媒セットの入った木箱は重い。
「いや、俺が持つ。鍛冶師の方が荷物に慣れている」
ユーリが反対側から手を伸ばした。
「自分で持てます」
リーゼが木箱を抱え直した。二人の手が空を掴んだ。
ベルタが振り返った。
「おい。荷物を取り合ってる暇があったら歩け。日が暮れるぞ」
三人は黙って歩き出した。カイとユーリの間に、微妙な距離がある。リーゼはその空気に気づいていたが、名前をつけることができなかった。
山道は徐々に険しくなった。ベルタの歩みは速い。五十代の体とは思えない足取りで、岩場を軽々と越えていく。
「遅れるなよ。この山は日が落ちると冷える。凍えたくなければ足を動かせ」
「ベルタさん、少し速くないですか」
「遅いのはあんたらだ。鉱夫はこのくらい普通に歩く」
マティアスが息を切らしながらついてくる。ユーリがさりげなく老人の荷物を半分引き受けていた。マティアスは気づいていないふりをしていたが、リーゼの鑑定眼は見ていた。
樹林帯を抜けると、岩と低木の斜面に出た。風が冷たい。眼下にグリュンタールの街が小さく見える。浄化した畑の緑が、茶色い大地の中で目立っていた。
リーゼは足を止め、岩壁に手を当てた。手袋を外す。
「この先に大規模な錬金術の残留があります。方角は北東。距離は——正確には分かりませんが、残留の強度から推測して、半日ほどの距離です」
「半日? ここから北東に半日で着く場所は——」
ベルタが地図を広げた。
「禁足地の外縁だ。やはりあそこか」
「ベルタさん。その禁足地に、遺跡のようなものはありませんか」
「遺跡? 聞いたことはないが、鉱夫の間では『山が唸る場所』と呼ばれている。地面の下で何かが動いているような振動があると。迷信だと言う者もいるが、わしは実際に振動を感じたことがある」
「振動。それは術式の自動維持機構かもしれません」
「何を言っているか分からん。とにかく行くんだな?」
「行きます」
「まったく。鉱夫が百年避けた場所に突っ込もうってのか。嬢ちゃん、肝が据わってるな」
「鑑定士です。触れないと分からないものは、触れに行くしかありません」
「鉱夫と同じだ。掘らなきゃ分からん。気が合うかもしれんな、あんたとは」
ベルタが地図を畳んだ。
「ならこの尾根を越えて北東に回り込む。獣道を使えば、明朝には禁足地の外縁に着ける」
* * *
日が暮れた。尾根の下の窪地に野営を張った。
ベルタが手際よく焚火を起こし、乾燥肉の鍋を作った。鍋を囲んで五人が座る。
「爺さん。あんた本当に第3等級の錬金術師か。見た目は農家の隠居だが」
「第3等級じゃよ。看板にもそう書いてある」
「看板を信じるほど若くはないよ。あんたの歩き方は、山を知っている人間の歩き方だ。この山脈に来たことがあるだろう」
マティアスは鍋のスープを啜っただけで答えなかった。ベルタが鼻を鳴らした。
「まあいい。秘密の多い爺さんだ」
食事の後、マティアスは火の傍で毛布に包まり、すぐに眠った。ベルタが「明日も歩けるのか」と訊いた。リーゼは「大丈夫です」と答えた。
ユーリは焚火から少し離れた場所で、鉱石用のハンマーの手入れをしていた。黙々と。
カイがリーゼの隣に座った。焚火の光が灰色の目に映っている。
「ユーリは、いい奴だな」
唐突だった。リーゼはカイを見た。
「はい。助けてもらっています」
「器具の調整。鉱石の発見。荷物を持つと言い出す。全部、お前のためだ」
リーゼは答えなかった。カイが何を言おうとしているのか、分からなかった。いや、分かりたくなかったのかもしれない。
「あの鍛冶師はお前のことが——」
「カイさん」
「ん」
「明日の行程の話をしませんか」
カイの口角がわずかに上がった。引いた。
「ああ。そうだな」
二人は地図を広げて行程を確認した。ベルタの地図には鉱夫の手書きの注釈がある。「崩落注意」「水場あり」「獣道」。百年分の鉱夫の知恵が書き込まれた地図。
「宰相の調査チームが山に入っているとしたら、こちらの道を使うはずだ。王都からの陸路で入れるのはここだけだ」
「私たちとは反対側ですね」
「ああ。まだ鉢合わせる心配はない。だが遺跡の中で出くわす可能性はある」
「そのときは」
「考える。今は、まず見つけることだ」
焚火の向こうで、ユーリのハンマーの手入れの音が一瞬止まり、また始まった。
夜が深まった。全員が寝静まった後、リーゼだけが起きていた。焚火の残り火を見つめている。
指先に、微かな反応があった。
鑑定眼。山の奥から、何かが脈打っている。昨日も感じた残留波動。だが今夜は、より強い。近づいたからか。それとも——向こうがこちらに反応しているのか。
千年前の術式が、まだ生きている。
リーゼは山脈の暗い稜線を見つめた。夜空に星が瞬いている。あの山の中に、父と同じ問いに挑んだ人間がいた。千年前に。
その問いの答えが、あの闇の中にある。




