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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
山脈が隠す記憶

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第42話 王都からの客

カイ・ローレンツは、パンを抱えて現れた。


 グリュンタールの南門。午後の街道に馬車が一台停まり、荷物を下ろす男の姿が見えた。くたびれた外套に調査機関の徽章。暗い茶髪。灰色の目。


「遅かったじゃないですか」


「パン屋を探していた」


「パン屋?」


「王都を発つ前に、グリュンタールに旨いパン屋があると聞いた。土産を持たずに来るのも気が引けてな」


 カイが紙袋を差し出した。中から焼きたてのパンの匂いがする。だがこれは王都のパン屋のものだ。グリュンタールのパン屋の味ではない。


「これ、王都のパンですよね」


「……グリュンタールのパン屋がどこか分からなかった。着いてから買えばよかった」


「南の広場の角です。朝6時からやっています」


「覚えた」


 カイの口角が微かに上がった。リーゼも少しだけ笑った。一ヶ月ぶりの再会が、パンの話から始まるとは。


「元気そうだな」


「おかげさまで。カイさんこそ、痩せましたか」


「報告書を100枚書いた。痩せる」


 並んで街の中を歩いた。カイが周囲を見渡している。半年前に駐在所から動けなかった調査官が、今は自由にこの街を歩いている。浄化された畑の緑。修復された井戸。子供たちの声。


「変わったな。半年前とは別の街だ」


「大地が変われば、街も変わります」


「お前が変えたんだ」


「一人ではできませんでした」


 カイが何か言いかけて、やめた。代わりに荷物を背負い直した。


* * *


 金のリンデン亭。


 グリュンタールに酒場があることを、カイは知らなかった。駐在所時代は駐在所に籠もっていたからだ。木の看板。薄暗い店内。リーゼが奥のテーブルに案内する。


「ここは」


「王都で連れて行ってもらったお返しです。カイさんの行きつけほどの味ではありませんが」


「金のリンデン亭、か。悪くない名前だ」


 パンとスープが運ばれてきた。今度はグリュンタールのパンだ。カイが一口かじって眉を上げた。


「旨いな」


「でしょう。おかみの自慢です」


 カイが二口目を食べ終えてから、表情を変えた。調査官の顔に戻る。


「本題に入る。いい話と悪い話がある」


「いい話から」


「ヴァルター伯爵の裁判が決まった。鑑定結果の改竄教唆、王家の宝物への偽造行為、研究資金の横領。三つの罪状で正式起訴される」


「それは良かった」


「悪い話。宰相の件だ」


 カイが声を落とした。


「黄金律計画の見直しは公式に発表された。精髄属性に依存する路線は中止。水属性浄化術への転換。表向きはお前の提案通りだ」


「表向き」


「裏がある。王都を発つ前日、元同僚から非公式の情報を得た。宰相府が今年度の特別予算で『シュヴァルツ山脈の地質・古文書調査』に200金貨を計上していた」


 二百金貨。グリュンタールの浄化事業一年分に匹敵する額だ。


「地質調査に、そんな額が必要ですか」


「普通の地質調査なら10金貨で足りる。200金貨は学術調査の予算ではない。何かを探している。あるいは——何かを回収しようとしている」


「何を」


「分からない。だが予算の名目が『先史時代の錬金術記録の回収』だった。先史時代。千年以上前だ」


 リーゼの指先が冷たくなった。ユーリの鉱石。千年前の術式残留。マティアスの「順序がある」。全てが繋がり始めている。


「カイさん。一つ見てほしいものがあります」


 リーゼが鞄からユーリの鉱石を取り出し、テーブルに置いた。


「これは」


「ユーリさんがシュヴァルツ山脈で拾った鉱石です。中に千年以上前の錬金術の構文が刻まれている。マティアスさんの術式と同系統の波長です」


 カイの顔色が変わった。灰色の目が鉱石に釘付けになる。


「千年前の錬金術。宰相が探している『先史時代の記録』。これか」


「宰相は山脈のどこかに古代の遺跡があることを知っている。そしてそこにある記録を回収しようとしている。おそらく黄金律計画を止めたのではなく、古代の研究をもとに新しい方法を模索している」


「あの男は賢者の石を諦めていない」


「はい」


 カイがパンの皿を脇にどけた。調査官の目になっている。


「宰相がリーゼを再び追放する案を検討したが、断念したという情報もある。世論が許さないと判断したらしい。辺境の大地を浄化した鑑定士を二度追放すれば、民の信頼を失う」


「追放できないから、今度は利用しようとしている」


「ああ。技術調査の名目でお前に接近し、山脈の情報を引き出す。あるいはお前の鑑定能力を計画に組み込む」


 リーゼは鉱石をテーブルから回収し、鞄に戻した。


「マティアスさんに話す必要があります。全員で」


「全員?」


「カイさん、ユーリさん、マティアスさん、私。四人で。宰相が何を探しているか。山脈に何があるか。そして——マティアスさんが何を知っているか」


* * *


 マティアスの工房の前に着くと、ユーリがすでにいた。鍛冶場の前ではなく、工房の入口の横。椅子を持ち出して座り、金属の棒を手で磨いている。リーゼたちの足音に顔を上げた。


 カイを見た。カイもユーリを見た。


「久しぶりだな、鍛冶師」


「ああ。久しぶりだ、調査官」


 二人は握手しなかった。だが敵意もない。互いを測る目。半年前は「リーゼの協力者」として横に並んでいた二人が、何かが微妙に変わっている。


 リーゼはその空気に気づいた。気づいたが、何が変わったのか分からなかった。


「入りましょう。マティアスさんに報告があります」


 工房の扉を開けた。薬草茶の匂い。杯が四つ並んでいる。マティアスは全員が来ることを知っていたらしい。


「揃ったか」


「はい。カイさんが王都から持ってきた情報があります。そして私も、鉱石の鑑定結果を報告します」


 マティアスが四つの杯に茶を注いだ。全員が杯を受け取る。


「では聞こう。先に宰相の話からじゃ」


 カイが話し始めた。


 リーゼは茶を飲みながら、三人の顔を見渡した。調査官。鍛冶師。大賢者。そして自分。半年前は一人だった。宮廷で真実を語り、一人で潰された。


 今は四人いる。


 壁が同じでも、ぶつかる頭の数が違う。カイがそう言ったのは、いつだったか。


 工房の窓から、シュヴァルツ山脈の稜線が見えた。夕日が山肌を赤く染めている。あの山のどこかに、宰相が探しているものがある。リーゼたちが見つけなければならないものがある。


 そしてマティアスが二十年間隠してきた秘密の答えが。

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