第41話 畑と鍛冶場
朝一番に、北側の畑に出た。
ハンスの二区画目。リーゼが王都に行っている間に、ハンスが自力で開墾を始めていた。だが浄化はまだだ。素手で土に触れると、汚染物質の残留がすぐに分かる。精髄灰の痕跡は減っているが、変性硫酸銅がまだ地下三十センチの層に残っている。
「リーゼ先生。朝早くから済まないね」
ハンスが畑の縁に立っていた。日に焼けた顔。節くれだった手。半年前、リーゼを追い返した男だ。あの頃は「宮廷の犯罪者」と呼んでいた。今は「先生」と呼ぶ。
「先生はやめてください。鑑定士です」
「鑑定士の先生だ。この街じゃ、そういうことになっている」
リーゼは苦笑した。手袋を外し、膝をついて土に触れる。汚染物質の分布を読み取り、浄化術の対象範囲を決める。いつもの手順。だが今日は、以前より速い。王都で何十枚もの報告書に触れ、帳簿の嘘を読み、宝冠の偽造を暴いた。あの経験が、指先の精度を上げている。
「この区画は三日で浄化できます。汚染は第一区画より浅い」
「三日? 前は一区画に五日かかっていたじゃないか」
「私の精度が上がりました。王都での仕事が、いい訓練になったようです」
ハンスが目を丸くした。
「王都に行って上手くなって帰ってきたのか。大したもんだ」
周りの農民たちが集まってきた。浄化の様子を見るのが日課になっているらしい。パン屋のおかみ、井戸番のルッツ爺さん、子供を背負った若い母親。
「リーゼ先生、うちの畑もそのうち頼むよ」
「順番にやりますから。焦らないでください」
「先生が十人いれば、一月で全部終わるのにねえ」
「十人は無理ですけど、手法を教えることはできます。鑑定士を育てれば——」
口にした瞬間、宰相との対話を思い出した。あのとき提案した「鑑定士の育成」。それが技術顧問としての自分の役割だ。辺境の汚染を浄化しながら、同時に手法を体系化して他の鑑定士に伝える。リーゼ一人の手ではなく、多くの手で大地を癒す。
それが、半年前に追放された鑑定士の新しい仕事だ。
* * *
午後。ユーリの鍛冶場。
炉の熱が肌を焼く。鍛冶場の中は常に熱い。金属の匂いと炭の匂いが混じっている。壁には工具が整然と並び、作業台の上にリーゼの携帯用鑑定器具が分解されている。
「増幅器の出力が安定しない。共鳴管の接合部が甘い」
ユーリが増幅器を手に取り、指で接合部をなぞった。鍛冶師の太い指が、ミリ単位の精度で金属の歪みを探っている。
「ここだ。王都で酷使したな。接合部の金属疲労が出ている」
「すみません。宝冠の鑑定で最大出力を使いました」
「壊してないだけましだ」
ユーリが炉の前に座り、増幅器の共鳴管を火にかけた。赤く熱した金属を小さな金槌で叩く。一打ち一打ちが正確で、リズムがある。鍛冶師の仕事を見るのが、リーゼは好きだった。自分は物を読む。ユーリは物を打つ。同じ金属に触れていても、やることが全く違う。
「持ってみろ」
ユーリが調整した共鳴管を差し出した。リーゼが受け取る。指先が金属の表面に触れた。
熱が残っている。それだけではない。ユーリの手の痕跡が、鍛造の一打ちごとに刻まれている。金属の結晶構造が、ユーリの意図通りに整列している。完璧な仕事。
「すごい。金属疲労が完全に消えています。新品より良い」
「当然だ。新品は機械が打つ。俺は手で打つ。手で打った方が、金属が素直になる」
「それは科学的には——」
「科学は知らん。結果を見ろ」
リーゼは笑った。ユーリの手と自分の指。どちらも物に触れて働く。だがユーリの手は物を「変える」。リーゼの指は物を「読む」。違うのに、似ている。
増幅器を組み直す作業を二人で行った。ユーリが部品を渡し、リーゼが鑑定しながら組み上げる。ユーリの手がリーゼの手に近づいた。金属の部品を受け渡す瞬間、指先が触れかけた。
ユーリが手を引いた。無言で。
リーゼはそれに気づいたが、何も言わなかった。
* * *
「さて。本題だ」
ユーリが革袋から鉱石を取り出し、作業台の中央に置いた。昨日、表面に触れただけで千年前の残留を感じた石。今日は増幅器を使って本格的に読む。
手袋を外した。増幅器を左手に握り、右手の指先を鉱石に当てた。
意識を集中する。表面情報を流す。岩石の組成。石英と長石の基質に、微量の希少鉱物が散在している。ここまでは通常の鉱石。
増幅器の出力を上げた。表層の下へ。
来た。
鉱石の内部に、錬金術の構文が刻まれている。微弱だが確かに読める。古い。非常に古い。現代の錬金術の構文とは書式が異なるが、根底にある論理構造は同じだ。
さらに深く。構文のパターンを解析する。
昨日感じた「マティアスの術式と同系統の波長」が、より鮮明に読める。同系統だが、もっと原始的。精髄属性に極めて近い波長。だが現代の精髄属性とは違う。もっと——自然に近い。制御ではなく、対話のような。
増幅器が熱を持ち始めた。限界が近い。リーゼは指を離した。
「読めたか」
「この鉱石には、千年以上前の錬金術の構文が刻まれています。現代のものとは書式が違う。でも根底の論理は同じ」
「古い錬金術、ということか」
「それだけじゃありません。この構文の波長が、マティアスさんの術式と同系統です。そして——私の鑑定眼が反応する波長とも一致する」
ユーリが眉を寄せた。
「どういう意味だ」
「千年以上前に、マティアスさんと同じ系統の錬金術を使った人間がいた。そしてその術式は、私の鑑定眼と共鳴する。同じ根を持っている」
リーゼは鉱石を作業台に戻した。指先にまだ余韻が残っている。千年前の誰かの意志が、石の中で眠り続けている。
「マティアスさんは『順序がある』と言いました。封印の部屋を開ける前に、この鉱石を調べろと。たぶん、この石の中にある術式が、封印の部屋の中身と繋がっている」
「つまり」
「シュヴァルツ山脈のどこかに、千年前の錬金術の痕跡がまだ眠っている。マティアスさんの過去と、私の鑑定眼の秘密と、この山の秘密が、全部繋がっている」
ユーリは黙って鉱石を見つめた。それから、静かに言った。
「行くのか。山に」
「行かなければなりません」
「一人じゃ無理だ」
「分かっています」
「俺も行く。山の鉱脈は俺の方が詳しい」
リーゼはユーリを見た。鍛冶師の目は真っ直ぐだった。迷いがない。
「ありがとうございます」
「礼はいい。鉱石を持って帰れるなら、ついでだ」
また「ついで」。リーゼは笑わなかった。今度はその言葉の重さが分かるから。
鍛冶場を出た。夕暮れの空にシュヴァルツ山脈の稜線が黒く浮かんでいる。あの山の中に、父と同じ研究をした人間がいた。千年前に。
なぜ同じ研究が千年の間隔で繰り返されるのか。偶然ではない。それは、おかしい。




