第39話 鑑定士の選択
式典から三日が経った。
精密鑑定は式典の翌日に実施された。認定器具を用いた正式な手続き。結果は同じ。中央のルビーは精髄属性による偽造品。鑑定報告書には三人の立会人の署名が付された。
報告書が宰相府に提出された翌朝、ヴァルター伯爵は精密鑑定の結果を待たずに王都から逃亡しようとした。
だがカイは三日前から城門に調査機関の人員を配置していた。
「逃げると思ったのか」
「この手の人間は最後に逃げる。パターンだ」
城門前。伯爵がカイの部下に両腕をつかまれていた。金のボタンの衣服がはだけ、人懐こい笑顔は消えていた。目が血走っている。
「面白くないな、鑑定士殿」
伯爵の声が震えていた。怒りか、恐怖か。
「ええ。面白くはありません」
リーゼの声は平坦だった。半年前、この男が献上した偽物の鉱石のせいで追放された。今、この男が連行されていく。半年前、宰相と伯爵が大広間で言葉を交わしていた光景の、反転。
宰相は黄金律計画の見直しを公式に発表した。精髄属性に依存する研究路線を中止し、水属性浄化術を基盤にした新しい土壌改良計画を立案する。
「王都に残るのか」
カイの執務室。最後の打ち合わせ。
「いいえ。グリュンタールに戻ります」
「技術顧問の仕事は」
「王都と辺境を行き来する形でいいと宰相が。グリュンタールで浄化作業を続けながら手法を体系化して他の鑑定士に教える。実地と教育を同時に」
「合理的だ」
カイが椅子の背もたれに体を預けた。灰色の目がリーゼを見ている。
「また来る」
「え?」
「報告書の後始末が終わったら、グリュンタールに行く。今度は仕事じゃなく」
リーゼは視線を逸らした。窓の外の城壁が夕日に照らされている。
「クリーム菓子はグリュンタールにはありませんよ」
「パン屋があるだろう」
「パン屋のおかみは甘いもの以外作りません。甘いパン、甘い干しぶどうパン、甘いクルミパン」
「……天国じゃないか」
「カイさん」
「ん」
「……勝手にすれば」
「それは俺の台詞だ」
口元が微かに緩んでいるのを、互いに見なかったことにした。
* * *
エルヴィラとの別れは、鑑定室で。
「あなたがいない間、鑑定部門は私が守る」
「知っています。あなたならできる」
「改竄の是正と記録の再検証。全て私が監督する」
「一つだけ。改竄した3件のこと。あなた自身が報告してください。自分の手で」
エルヴィラが目を閉じた。
「……考えておく。正しい時期と方法で」
「あなたに言われると説得力がある」
エルヴィラが微笑んだ。二度目の隙のある笑顔。
* * *
ユーリへの手紙を書いた。
『ユーリさん。器具は壊していません。精密天秤にほんの少し傷がついたのは不可抗力です。畑の芽、見たかったです。帰ります。リーゼ』
マティアスへの手紙も。
『マティアスさん。あなたが錬金術院の院長だったこと、黄金律計画を認可したこと、知りました。でもあなたが本当に守りたかったものは何ですか。帰ったら聞かせてください。茶を淹れて待っていてください。あの封印の部屋のこと。中を見せてください。リーゼ』
* * *
王都を出る馬車の中。
窓の外にケーニヒスブルクの城壁が遠ざかっていく。半年前は追い出された。今度は自分で出ていく。戻る場所がある。
懐にマティアスから届いた封書がある。地下書庫の封印を解くための術式の符牒。小さな紙片に精緻な術式が書かれている。
手袋を外し、符牒に触れた。
紙の繊維に残るマティアスの術式。第7等級の残留。精密で、強力で、そしてどこか懐かしい。
懐かしい?
鑑定眼を集中させた。術式の構造を深く読む。マティアスの術式のパターン。その波長。その振動数。
そしてもう一つ。この紙に、ごく微量の別の残留がある。マティアスの術式とは異なるが、同じ系統の波長を持つ何か。
どこかで感じたことがある。この波長。この振動。
自分だ。
リーゼの鑑定眼と同じ波長の残留が、マティアスの符牒に宿っている。
「……同じ?」
マティアスの術式と、自分の鑑定眼に、共通するものがある。
なぜ。なぜマティアスの術と自分の力が同じ波長を持つのか。なぜマティアスは母と同じ薬草茶を知っているのか。なぜマティアスは、リーゼが追放されてきたとき、何の疑いもなく工房を貸したのか。
全ての「なぜ」が、一つの答えを指している。だがその答えは、まだ触れることができない。
窓の外を春の風景が流れていく。五日後、グリュンタールに着く。マティアスが薬草茶を淹れて待っている。ユーリが工房の前に立っている。ハンスの畑に芽が出ている。




