第38話 祝福の鑑定
大広間は、半年前と変わらなかった。
天井の高い石の空間。双翼獅子の紋章が正面に金色に輝いている。だが今日は審問の日ではない。即位記念式典。国王の治世を祝う日。
数百人が集まっていた。貴族、官吏、外交使節、高位の聖職者。正面の玉座に国王が座り、宰相が右手側に立っている。ヴァルター伯爵は貴族の列の前方。人懐こい笑顔を浮かべているが、目だけがリーゼを追っている。
リーゼは広間の側面から入った。鑑定士のローブが白く目立つ。自分の足音が石の床に響いた。半年前、この床に膝をついた。今は立って歩いている。
式典は粛々と進行した。国王の言葉。祝辞の朗読。楽団の演奏。祝祭の華やかさの中に、リーゼだけが静かに待っていた。
「祝福の鑑定を執り行います」
典礼官の声が広間に響いた。
「担当鑑定士は、第5等級——リーゼ・ヴェーバー」
ざわめきが起きた。波のように広がっていく。貴族たちの間でひそひそ声が交わされる。追放された鑑定士。鑑定結果の捏造で資格停止になった女が、なぜ式典の鑑定を。
ざわめきの中に、はっきりと聞こえた声があった。
「正気か。捏造の鑑定士に式典を任せるのか」
リーゼの足が止まりかけた。半年前なら拳を握りしめていた。今は違う。ポケットの中のユーリの増幅器に指先が触れた。金属の温もり。グリュンタールの鍛冶場の匂いが、一瞬だけ蘇った。
足を動かした。中央に進み出た。
台座の上に宝冠。金の細工と宝石の輝き。その中央に、偽造されたルビー。数百人の視線がリーゼに集中している。半年前と同じだ。好奇、軽蔑、あるいは期待。ただし今回は、審問官はいない。衛兵は脇に控えているだけだ。
エルヴィラが鑑定士の列の中にいた。小さく頷いた。あの日、視線を逸らした女が、今日は真っ直ぐにリーゼを見ている。
カイは広間の隅にいた。壁に背を預け、腕を組んでいる。灰色の目がリーゼを見ている。何も言わない。何も言わなくていい。
手袋を、ゆっくりと外した。
広間が静まった。数百人が息を詰めてリーゼの手を見ている。鑑定士が手袋を外す。その意味を知っている者は多くない。だが所作の厳粛さが、沈黙を生んだ。
宝冠に手を伸ばした。
指先が金の表面に触れた。情報が流れ込む。金の純度。百年以上前の匠による精緻な細工。歴代の王が戴いた重みが、金属の分子構造に刻まれている。
問題なし。
サファイアに触れた。天然。問題なし。
エメラルド。天然。問題なし。
中央のルビー。
指先が触れた。鑑定眼が全てを読み取った。
精髄属性の変換痕跡。偽造品。結晶格子の配列が天然の成長パターンではない。三年前に本物が持ち出され、代わりに据えられた人工のルビー。
半年前と同じだった。精霊銀鉱のときと同じだった。触れた瞬間に分かる。偽物は偽物だ。
広間が静まり返っている。数百人が息を詰めてリーゼを見ている。
宰相が見ている。
伯爵が見ている。
エルヴィラが見ている。
カイが見ている。
リーゼは口を開いた。
何を言うか。この瞬間のために、ずっと考えてきた。「偽物です」と言えば半年前の繰り返しだ。
だから、別の言い方をする。
「宝冠の主要な構造は健全です」
声は静かだった。だが広間の隅まで届いた。
「金細工は百年以上の歴史を持ち、状態は良好。サファイアとエメラルドも天然石で問題ありません」
ここまでは真実。広間に安堵の空気が微かに流れた。
リーゼは息を吸った。
「ただし、中央の宝石に経年による微細な構造変化が認められます」
構造変化。それは事実だ。精髄属性の変換痕跡は「構造変化」であり、嘘ではない。だが「偽物です」とは言っていない。
「安全のため、式典後に精密鑑定を実施し、必要に応じて修復することを提言します」
広間に沈黙が落ちた。
一般の出席者には何が起きたか分からない。「構造変化」は経年劣化と受け取れる。式典は中断されない。国王の面目は保たれる。宝冠は戴かれる。
だが分かる者には分かった。
宰相がリーゼを見ていた。穏やかな目に、理解の色が浮かんでいた。「精密鑑定」が公式に実施されれば、式典後に偽造が発覚する。公式の鑑定結果として記録に残る。握りつぶせない。
何をしたか、分かっている。
エルヴィラが微かに頷いた。目の縁が赤い。正しく語った。あなたは正しく語った。
ヴァルター伯爵の顔色が変わった。金のボタンの胸元で拳を握りしめている。「精密鑑定」が実施されれば偽造が露見する。逃げられない。
暴いたのではない。示したのだ。真実が正しく処理されるルートを、数百人の前で、公式に、作った。
式典が再開された。国王が宝冠を戴く。金と宝石の輝き。楽団が祝祭の旋律を奏でる。広間に拍手が響く。
リーゼは中央から下がり、壁際に戻った。指先が微かに震えていた。今になって、遅れて。
* * *
式典が滞りなく終了した。出席者が退場していく。華やかなざわめき。
リーゼが広間を出ようとしたとき、背後から声がかかった。
「ヴェーバー殿」
宰相が立っていた。いつもの計算がない顔。静かな決断の表情。
「提案書を読んだ。黄金律計画の見直しと鑑定部門の刷新を行う。水属性浄化術を基盤にした新しい土壌改良計画を立案する。その技術顧問を君に依頼したい」
「……本気、ですか」
「本気だ」
宰相が一歩近づいた。声を落とした。
「式典の場で『精密鑑定を提言する』という言い方を選んだ君を見て決めた。暴くことしかできない人間には任せられない。だが正しく示すことができる人間なら、計画の見直しを任せる価値がある」
リーゼの目に涙が滲んだ。
「ありがとうございます。引き受けます」
声が震えた。震えたが、途切れなかった。
宰相が頷いて去った後、カイが歩み寄ってきた。
「やったな」
「……はい」
「泣くなよ。式典の広間で泣くな」
「泣いていません」
「泣いてる」
「……少しだけです」
カイが微かに笑った。リーゼも笑った。涙の滲んだ笑顔だった。
石の床は、温かかった。




