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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
宮廷の偽りの秩序

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第36話 選択を迫る

式典まで三日。


 リーゼは宿の部屋で一人の夜を過ごしていた。机の上に再検証報告書とディーターの証言記録。全ての証拠が揃った。あとは式典の公開鑑定で真実を示すだけ。


 だが手が震えている。


 半年前と同じだ。宮廷の大広間で「偽物です」と言ったあの日。結果は追放だった。正しいことを正しいと言って、全てを失った。今度はもっと大きなことをしようとしている。


 しかも自分一人ではない。カイの調査官としての地位。エルヴィラの主席鑑定士の立場。二人とも巻き込まれる。


 マティアスの言葉が蘇る。「事実を明らかにした結果、何が起きるか。考えたことはあるか?」


 考えた。宰相が失脚すれば政治が混乱する。伯爵が逮捕されれば領地経済が崩壊する。王室の権威が傷つけば国の安定が揺らぐ。


 全てを暴けばいいのか。黙っていればいいのか。どちらも答えではない。


 深夜。ドアがノックされた。


「俺だ」


 カイだった。控室に泊まっているはずだが、見回りを兼ねて来たのだろう。リーゼは扉を開けた。


 カイは部屋に入らず、ドア枠に背を預けた。


「眠れないんだろう」


「分かりますか」


「灯りがついていた」


 リーゼは窓辺に立った。カイも並んだ。狭い窓から王都の夜景が見える。屋根の向こうに王宮の尖塔。灯りが瞬いている。


「明日、宰相に直接会いに行く」


「式典の前に」


「ああ。最後の交渉だ」


「暴くのではなく、選ばせる。宰相に。退路を用意する。体面を守る猶予を与える」


 カイがリーゼを見た。灰色の目が、夜の灯りを映している。


「お前に教わった。正しく語るってのは、相手を追い詰めることじゃない」


 リーゼは少し驚いた。カイの口からそんな言葉が出るとは。


「エルヴィラさんに教わったんです。私も」


 沈黙。風が窓の隙間から入ってきた。カイが窓枠を閉めた。リーゼの代わりに。


「寝ろ。明日は長い」


「カイさんも」


「俺は大丈夫だ。クリーム菓子があるからな」


「……こんな夜中に?」


「誰にも言うなと言ったろう」


 リーゼは笑った。小さく。カイも口角を上げた。


* * *


 翌日。宰相の執務室。三度目の訪問。カイも同席した。


 ハインリヒ・フォン・ゲルラッハが机の向こうに座っている。落ち着いた表情。だが今日は空気が違う。宰相も分かっているのだ。最後の交渉だと。


 カイが全証拠を並べた。改竄された報告書七件の鑑定結果。帳簿三種の矛盾点。ディーターの証言記録。宝冠のルビーの偽造。


 宰相は一枚一枚丁寧に目を通した。表情を変えずに。読み終えるまで、一言も発しなかった。


「全て事実だ。否定はしない」


 リーゼとカイが息を呑んだ。否定しないのか。


「だが考えてほしい」


 宰相が椅子の背にもたれた。


「黄金律計画は王国の農地を救う方法だ。農地の三割は荒廃している。表土の流出、塩害、地下水脈の枯渇。このまま放置すれば十年以内に大規模な飢饉が来る。数万人が飢える」


「その目的のために、グリュンタールの大地を汚染し、鑑定結果を改竄し、王家の宝冠に偽造品を据えた」


「犠牲は認める。だが飢饉で死ぬ数万人と、辺境の一つの街と、どちらが重い」


「比べるべきではありません」


「現実は比べなければならない。それが政治だ」


 宰相がリーゼの目を真っ直ぐに見た。初めてだった。これまでは柔和な圧力で見下ろしていた。今は対等に、問いかけている。


「ヴェーバー殿。私は20年間この問題と向き合ってきた。精髄属性に頼らない方法を何度も探した。水属性の浄化術は効率が悪い。風属性の拡散術は制御が困難だ。土属性の固化術では根本解決にならない。禁忌を犯さずに済む方法があるなら、私が一番に望む」


 リーゼは立ち上がった。ここが分岐点だ。


「宰相閣下。私がグリュンタールで行った大地の浄化をご存知ですか」


「報告は読んだ」


「水属性の浄化術と正確な鑑定の組み合わせです。精髄属性は使っていません。汚染の種類と分布を鑑定眼で正確に読み取り、最小限の浄化術で的確に処理する。力任せの浄化ではなく、精密な診断に基づく処置です」


「それで間に合うのかね。国規模で」


「グリュンタールの一区画を浄化するのに4日かかりました。効率は悪い。でも確実です。そして犠牲が出ません」


「4日で一区画。王国の荒廃農地は何千区画もある」


「だから鑑定士を育成します。私一人の手では足りない。でも鑑定と浄化の手法を体系化し、複数の鑑定士に伝えれば展開できます。ハンスという農夫の畑に芽が出ました。あの芽は、方法が正しいことの証明です」


 宰相が沈黙した。長い沈黙。執務室の壁の時計の音だけが刻んでいる。


 リーゼは続けた。


「時間がかかります。禁忌を犯すより遥かに。でも犠牲は出ません。辺境を実験台にすることもない。もし足りなければ——私はどこにでも行きます。王国中の荒廃した土地に触れて、一区画ずつ浄化します。それが、私にできることです」


 宰相が長い沈黙の後、立ち上がった。窓に向かった。長い背中。


 振り返った。


「……ヴェーバー殿。君は頑固だな」


「鑑定士ですから」


 カイが鼻を鳴らした。


「提案を文書にまとめてくれ。式典までに結論を出す」


 執務室を出た。回廊を歩きながら、リーゼは大きく息を吐いた。


「手が震えてるぞ」


「分かっています」


「だが言えた。言うべきことを言えた」


「……はい」


「グリュンタールの前のお前だったら、『偽物です』しか言えなかっただろう」


 リーゼは何も答えなかった。カイの言う通りだった。


 回廊の窓から宰相の執務室の方向が見えた。宰相が机に向かっている。だがその机の上に、もう一つ目に入るものがあった。ヴァルター伯爵の紋章入りの封書。まだ開封されていない。


 伯爵は、まだ動いている。

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