第29話 国王の宝冠
即位記念式典まで一月を切り、鑑定部門に新しい依頼が入った。
聖別の宝冠の品質鑑定。国王が式典で戴く宝冠の状態確認。五年に一度の慣例行事で、形式的な任務だとされていた。
「前回の鑑定は五年前。当時の担当は私でした」
エルヴィラが宝冠の保管室に案内してくれた。
「形式的な再確認よ。金細工と宝石の状態に問題がないことを報告するだけ」
紺色のビロードが敷かれた台座の上に、黄金の冠が鎮座している。細密な金細工に大小の宝石が散りばめられていた。百年以上の歴史を持つ王家の至宝。
手袋を外した。宝冠に手を伸ばす。
金細工の表面に指先が触れた。情報が流れ込む。金の純度。職人の技法。加工された時期。百年以上前の匠の手による精緻な細工。問題なし。
サファイアに触れる。天然石。問題なし。
エメラルド。天然。問題なし。
中央に据えられた大粒のルビーに、指先が触れた。
鑑定眼が叫んだ。
指先を離しそうになった。こらえた。
表面は完璧なルビーだ。深い赤。透明度が高く、カットも正確。酸化クロムによる発色、屈折率、比重。数値上は一切の問題がない。
だが結晶の内部構造に、ありえないものが残っていた。
精髄属性の変換痕跡。天然ルビーの六方晶系結晶に、人工的な変換の署名が刻まれている。結晶格子の配列が、天然の成長パターンではない。外部から強制的に結晶構造を組み替えた痕跡。
別の物質を精髄属性の錬金術でルビーに変換した偽造品。
通常の鑑定では分からない。触媒を介した標準手順では、表面の化学組成しか読めない。結晶格子のレベルまで直接触れて読む鑑定士は、リーゼの他にいない。
五年前のエルヴィラの鑑定が見逃したのは当然だ。エルヴィラの腕が悪いのではない。この偽造は、素手で結晶構造を読める人間の存在を想定していない。
リーゼは指先をルビーから離した。震えを悟られないように、そっと手を膝に下ろした。
「エルヴィラさん」
声が静かだった。自分でも驚くほど平坦な声。だがその静かさが鑑定室の空気を凍らせた。
「このルビーは偽物です。精髄属性の物質変換で作られている」
エルヴィラの持っていた記録用の羽根ペンが止まった。
「……何ですって」
「結晶格子の配列が天然の成長パターンと異なります。外部から強制的に組み替えた痕跡がある。表面の化学組成は完璧ですが、内部構造は天然ルビーではありません」
エルヴィラの顔から血の気が引いた。
「五年前に私が鑑定したとき、間違いなく本物だった」
「エルヴィラさんの鑑定は間違っていません。五年前の時点では本物だった。その後、本物が持ち出され偽造品に入れ替えられたんです。偽造の精度は極めて高い。触媒を使った標準的な鑑定では見抜けません。結晶格子のレベルまで直接触れて読まなければ」
「本物のルビーは」
「おそらく賢者の石の研究素材として持ち出された。天然の高純度ルビーは精髄属性の触媒として極めて優秀です。国王の宝冠に使われるほどの石なら、その価値は計り知れない」
エルヴィラが椅子の背に手をついた。紫の瞳が揺れている。
「このルビーを三年前に献上したのはヴァルター伯爵よ。伯爵家の家宝を即位の祝いとして」
「伯爵が献上し、後から偽造品にすり替えた。本物は研究に流れ、代わりに精髄属性で作った偽物が王家の宝冠に据えられた」
黄金律計画の闇が、王家の宝冠にまで及んでいる。
帳簿の改竄。品質の偽装。それだけではなかった。王の戴く冠そのものに、偽りが埋め込まれていた。
* * *
カイに報告した。調査官の執務室で、扉を閉め、声を落として。
カイは報告を聞き終えた後、しばらく黙っていた。机に肘をつき、両手で顔を覆った。
「王家の宝冠のルビーが偽造品。これを公にしたら、宰相どころか王室を敵に回す」
「でも、事実です」
「分かっている」
カイが顔を上げた。灰色の目が真剣だった。
「だが今回は『事実です』だけじゃ済まない。これは国の秩序の問題だ。一ヶ月後の式典で、国王がこの宝冠を戴いて国民の前に立つ。その冠が偽物だと公にしたらどうなる」
「式典が中止になる。王室の権威が傷つく」
「それだけじゃない。伯爵家との政治的均衡が崩れる。宰相は計画の隠蔽のために何でもするだろう。お前の辺境追放が子供の遊びに見える」
「偽物は偽物です。帳簿の嘘は嘘です。触れてしまった以上、知らないふりはできません」
「知ってる。お前はそういう女だ」
カイが椅子の背にもたれた。天井を見上げた。
「事実を事実として報告する。それはお前の仕事だ。だが事実の伝え方を、今度は間違えるわけにはいかない」
偽造品を戴いた王が式典で国民の前に立つ。嘘の上に立つ秩序が続く。
事実は事実。だが事実の伝え方を、今度は間違えるわけにはいかない。




