第30話 宰相の正体
ヴァルター伯爵の屋敷では、使用人が深夜に叩き起こされていた。「宝冠のルビーが偽造品だと指摘された。あの追放鑑定士に」。伯爵の声は震えていた。自分が献上し、自分がすり替えた石を、触れただけで見抜かれた。追放したはずの女に。
宝冠の鑑定結果が宰相府に伝わるまで半日もかからなかった。翌朝、宰相からの呼び出しが届いた。
「呼び出しか。来たな」
カイの口調は予想通りだという響き。
「カイさんも一緒に来てもらえますか」
「俺は部外者だ。鑑定部門の検証業務は調査機関の管轄外」
「それでも」
「……まあ、廊下で待っている」
宰相の執務室。壁に歴代宰相の肖像画が並んでいる。窓から午後の光が長い影を落とす。ハインリヒ・フォン・ゲルラッハが執務机の向こうに座っていた。
物柔らかな声。審問で「もう充分だ」と全てを断ち切った声と同じ種類。
「遠路、ご苦労だったね」
「宝冠のルビーの件だ。即位記念式典の直前に公にするべきではない。王室の権威に関わる」
「事実は事実です」
「事実を否定しているのではない。公開の時期と方法を考慮してほしい。これは命令ではなく提案だ」
「式典で偽造品が使われることを、黙って見ていろということですか」
「偽造品であることは、君と限られた人間しか知らない。知らない者にとっては何も変わらない」
「知っている者にとっては全てが変わります」
宰相が微かに眉を上げた。リーゼは立ち上がりかけ、無意識に宰相の机の端に手が触れた。指先に微量の情報が流れ込む。
木の表面に付着した物質。通常なら気づかない濃度の微粒子。精髄灰だ。
宰相の執務机に、禁忌の術の残留物がある。
指先から手を離した。表情を変えないように努めた。だが心臓が跳ねていた。この男は黄金律計画を「知っている」だけではない。計画の資料に直接触れている。計画の中にいる。
「ご提案、承ります。ただし検証結果は公式記録として保管させていただきます」
「それは構わない」
宰相の目が微かに細まった。リーゼが何かを掴んだことを、この男は気づいているだろうか。
執務室を出た。廊下でカイが壁にもたれて待っていた。
「顔色が変わっているぞ」
「宰相の机から精髄灰を検出しました」
カイの目が鋭くなった。
「宰相が計画の中心にいる。知っているだけじゃない。資料に直接触れている」
* * *
翌日。カイが三種の帳簿を入手した。錬金術院の会計記録、伯爵家の交易帳簿、宰相府の予算配分書。調査官の権限で閲覧を申請し、写しを取る許可を得た。
「これ以上は俺の権限では掘れない。鑑定部門の不正調査という名目の範囲を越える」
「帳簿の中身を読めば、名目の範囲に収まる根拠が見つかるかもしれません」
「頼む」
リーゼが紙に触れ、カイが内容を分析する。物質を読む鑑定士と、人間を読む調査官。
最初の帳簿。錬金術院の会計記録。
リーゼは紙の表面に指を当てた。インクの層が二つある。表面のインクと、その下に消された元のインク。通常の目では表面しか見えない。
「この帳簿、書き直されています。『研究費』の行き先が元は『シュヴァルツ山脈研究施設』と明記されていた。それが『基礎研究費』に書き換えられている」
「地下工房への資金の流れを隠蔽している」
二つ目。伯爵家の交易帳簿。
「取引先の住所が実在しません。そして筆者の筆圧に乱れがある。住所を書くとき微かに揺れている」
「筆圧から嘘を読めるのか」
「物質は嘘をつきませんが、嘘をつく人間の手は無意識に震えます。筆圧にそれが表れる」
カイが帳簿を覗き込んだ。肉眼では何の異常も見えない。
「見た目は完璧な帳簿だ。だがお前の指には通用しない」
「通用しません」
三つ目。宰相府の予算配分書。
「この『辺境防衛費』の項目、金額が多すぎませんか」
「辺境防衛に必要な額の3倍ある。辺境防衛費の名目で黄金律計画に資金を流している。古典的な手口だ」
全体像が組み上がっていく。
「改竄は三つの部門で連動している。鑑定部門で品質結果を改竄し、会計部門で資金の行き先を隠し、予算部門で名目を偽装する。三角形の構造。中心に宰相。資金源にヴァルター伯爵」
「目的は黄金律計画の隠蔽と継続」
「だが改竄の規模が大きすぎる。隠蔽だけなら7件で済む。鑑定報告書に術式パラメータを隠していた2件。あれは保管だ。何かを記録するために報告書の書式を使った」
「第二段階の設計図。宰相は計画を隠しているだけではない。今も進めている。王都の地下で」
カイが紙をたたんだ。
「ディーターに会う必要がある。あの男なら第二段階について知っているはずだ」
「お願いします」
「一つ言っておく。ここから先は辺境の汚染問題とは次元が違う。宰相が中心にいる国家規模の計画だ。間違えれば追放では済まない」
「分かっています。でも知ってしまった以上、知らないふりはできません」
「間違えたら今度こそ終わりだぞ」
「間違えません。鑑定が間違ったことは一度もない」




