第7話 疑念
勇者の部屋を出て、廊下に出たところで足を止めた。
結界の外は、ひどく静かだった。
張りつめていた空気だけが、遅れて背中に残っている。
――視線が、気になった。
問いかけるようで、確かめるようで、
それでいて、どこか決めつけるような目。
考えをまとめきれないまま立っていると、
背後から荒い足音が近づいてきた。
「……納得いかねぇ」
振り返るより先に、声が落ちてくる。
戦士だった。
部屋を出るのが遅れたらしい。
表情は硬く、苛立ちを隠そうともしていない。
吐き捨てるように言う。
「最初からだ。
あいつ……鑑定官の目」
俺を、真っ直ぐに睨む。
「最初から、俺を疑ってただろ」
一瞬、廊下の空気が重くなる。
「変な質問しやがって」
戦士は言葉を重ねた。
「仲良かったのか、とか。
最後の日のことまで、いちいち聞きやがって……」
拳を、強く握りしめる。
「挙げ句の果てに、
装備を最初からベタベタ触ってやがった」
僧侶が、一歩前に出た。
「……それは、仕事だから」
「仕事?」
戦士は笑った。
乾いた、音のない笑いだった。
「仕事で、人を疑うのか?」
視線が、俺に突き刺さる。
「こいつも、相当変な奴だ」
魔法使いが、低い声で割って入った。
「感情的になりすぎよ」
「感情だと?」
戦士は一歩踏み出し、壁に拳を叩きつける。
「仲間が死んでるんだぞ!
その仲間を疑われて、平気でいろってのか!」
空気が張り詰める。
僧侶が、静かに言った。
「……ファルス、落ち着いてください」
その名を呼ばれた瞬間、
戦士――ファルスの動きが止まった。
「……無理だろ」
吐き捨てるように言って、視線を逸らす。
「あいつが死んで、密室で、
しかも俺が最初に見つけた。
どう考えても、疑われる立場だ」
自覚はあるらしい。
だが、その言葉に含まれる諦めは、どこか引っかかった。
「疑われる理由はある」
俺は、視線を逸らさずに言った。
「でも、それは君だけの話じゃない」
ファルスは、わずかに眉をひそめる。
「……セリスか?
それとも――」
「可能性の話だ」
断定はしない。
この段階で誰かを決め打ちすれば、
思考そのものが歪む。
少し離れた場所で、
僧侶のセリスが壁にもたれて立っていた。
両手を胸の前で組み、目を伏せている。
「セリス」
声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。
「……はい」
「勇者を最初に診たのは、君だね」
「ええ。亡くなってすぐでしたから」
声は穏やかで、表情にも乱れはない。
「その時、何か気づいたことは?」
「……外傷がほとんどなかったことです」
それだけで、十分だった。
「治癒魔法は?」
「使っていません。
もう……間に合わなかったので」
一拍。
ほんのわずかな間が空く。
「保存や鎮静の術は?」
問いに、セリスは一瞬だけ視線を揺らした。
「……最低限の処置はしました。
遺体が傷まないように」
――完璧だ。
こういう場面で、
遺体を“整える”のは僧侶の仕事だ。
魔法使いよりも、ずっと。
「僧侶の術で、状態を静めた……ということだね」
「……はい」
「それでも、何かが消えてたら分からなくなるだろ」
ファルスが低く言う。
「可能性は否定しません……」
「ヴェラ……魔法使いはどうなんだよ」
ファルスが続けた瞬間、
廊下の空気がわずかに張りつめる。
魔法使い――ヴェラは、肩をすくめた。
「私なら、もっと綺麗にやるわね」
妙な自信だが、嘘は感じない。
「結界が歪んでいた、という事実だけを見るなら……」
一度、言葉を切る。
「内部で何かが起きて、
それを外から修復せざるを得なかった可能性がある」
誰も、すぐには口を開かなかった。
勇者ウィリスは、確かに密室で死んでいた。
だが、それが最初から“密室”だったとは限らない。
「……俺はやってない」
ファルスが低く言った。
「信じてほしい、とは言わない。
ただ、剣を抜く理由がなかった」
その言葉は、妙に真っ直ぐだった。
「誰も、嘘はついていない」
ヴェラが言う。
「でも、真実だけが見えない」
それが、この場を覆う違和感の正体だった。
勇者は英雄だった。
装備を手入れし、仲間を信じ、前に進んできた。
その勇者が、なぜ――
こんな形で死ななければならなかったのか。
「……一つずつ、崩そう」
俺は言った。
「最初から一人に絞る、という前提を」
ファルスが顔を上げる。
「それで、何が分かるんだよ」
低い声だった。
「全員疑って、全員白かもしれない、って話になるだけだろ」
――もっともだ。
「だからこそだ」
俺は答える。
「誰かを決め打ちすれば、
見えなくなるものが増える」
「……じゃあ、捜査は振り出しか?」
「……違う」
俺は、短く言った。
「足りないのは、証明だけだ」
一瞬、廊下の空気が止まる。
静かな廊下で、
誰かが息を呑む音がした。
勇者の死は、
まだ終わっていない。




