72.両手に花
そうして会場に着いたら、キアラはいつものようにひとりでウロウロし始めた。
アズーラ中尉がそれとなくエスコートしようとしたけれど、貴族マナーなんて全く知らないキアラはきれいにスルーしてしまったのだ。
副官は仕方なく後ろに付いて歩きながら、多少なりとも貴族マナーを教えるように上申しよう、と強く思った。
そんなキアラがバナナを見つけて喜んで食べていたら、後ろから声を掛けられた。
「ミス・レンツァー、お久しぶりです。
我が国の果物を、気に入って頂けましたか」
「……ぁっ、ぇっと……」
鮮やかな緑の髪のイケメン、シシュト王子だ。
「今日はとても華やかなドレスでいらっしゃるのですね。この前お見かけした時よりも大変美しくて素敵です」
「……」
そりゃあ、このドレスはキレイだからね、とやさぐれ気味のキアラに、後ろから別の人が声を掛けてくる。
「レンツァー師、遅くなってしまって失礼致しました。ドレスが大変似合っていらっしゃいますね」
(……ルーレスト先輩だっ)
しかも、学園で見た時よりも髪型も服装もバシッとキメられていて、いつもより気合いが入っているような気もする。
「私が贈ったドレスを纏って頂けて、とても光栄ですよ」
そのセリフはキアラに向けられているはずなのに、シシュト殿下に視線を向けている。
しかもその視線はかなり挑発的で、二人の間に不穏な空気が流れたのでキアラは困惑してしまう。
それでも、キアラは美味しいものが大好きなので、口元を覆う布の下でバナナを頬張ることは忘れなかったけれど。
「しかし、ミス・レンツァーは、我が国の特産のバナナを大変お気に召したご様子です。
こちらは輸送された物ですが、是非とも我が国で採れたての物を食べて頂きたいですね」
「魔境から遠いレティス王国ではご存知ないかも知れぬが、今は魔王が復活したばかりの正念場です。
つい先日も、勇者である私と共に魔境戦線に立って頂きました。レンツァー師は大変多忙な方ですから、レティス王国への観光は今しばらくお待ち頂きたいですね」
「なんと、これだけ小さくか弱い少女を、戦場に立たせているのですか!
そんな恐ろしい国……。レンツァー師、是非とも我が国へお越しください!」
シシュトにそう言って見つめられても、キアラには答えようがない。
何せ、ルーレストがいる以上、声を出すことができないので。
絵面的には両手に花ならぬ両手に王子状態だが、その実際はかなり面倒なケンカに近い。
得体の知れない他国の王子様と、正体を知られてはいけない自国の王子様。
両方の相手がめんどくさくなったキアラは視線でアズーラ中尉に助けを求めたのに、綺麗に無視されてしまったので絶望するしかなかった。
アズーラ中尉は無視したのではなく単に『これも魔導六師の仕事のうち』と思っているだけだが。
「ミス・レンツァー、いかがでしょうか?」
尚も質問を重ねるシシュト殿下は、熱い恋の視線をキアラに注いでいる。
そんな視線を見た事のないキアラからすれば、その強い熱量がただひたすらに怖い。
どうにか助けを求めたくて、エスコートのように差し出されたルーレストの腕をぎゅっと握る。
「大丈夫ですよ、レンツァー師。貴女のことは、僕が必ず守りますから」
やけに嬉しそうな声音で、そう言ってくれた。
なのに、キアラにとっては、その視線もシシュト王子と変わらない感じがして、それも少し怖かった。
それからルーレストに腕を引かれるままに、3人で少し歩きながら話していたが、シシュト王子が痺れを切らしたようにキアラに訴えかけた。
「ミス・レンツァー、今日は全く返事もしてくれないではありませんか。
自分が何かしましたでしょうか。それとも、そのお隣の王子殿下のためですか?
お願いですから、貴女自身の言葉を頂きたいのです。
二人きりにして貰えませんか」
言っていることは最もだと思うけれど、ルーレストが居る以上、キアラは話せない。
「レンツァー師、シシュト王子はそう仰っていますが、どうされますか。もちろん、断っても構いませんよ」
キアラは悩んだ。
相手は変人腹黒王子様で、結構苦手だと思っている人だ。自分一人で相手をするより、ルーレストが隣に居てくれた方が心強い。
でも実際問題、ルーレストがいたら話せない。
少し悩んだ末に、こくりと頷いた。
「どうされますか」
ルーレストの問いには、手を離すことで答える。
「ミス・レンツァー! どうぞ、こちらへ!」
喜ぶシシュト王子だけれど、そのエスコートの腕は取らない。あくまでも話をするだけ、と思ってバルコニーへ出た。
何を言われるのかと身構えていたキアラだけれど、急に始まったのは歌だった。
『貴女の瞳がまっすぐに
僕の胸へと突き刺さる
その棘がもう一度
ここに連れ戻してくれたから……ああ』
(キメポイントなんだろうけどさ、そこで流し目をされてどうしろと……?
どっかその辺のお嬢様でも捕まえてやってくれないかな)
シシュト王子の渾身のアピールは、残念ながらキアラには全く届かなかった。
「いかがでしたか、ミス・レンツァー?」
「……はぁ。ぃい声、ですね」
「それだけでしょうか」
「……はぁ」
感想を求められたから答えたまでで、芸術に疎いキアラはそれ以上の返事は出来ない。
そんなキアラを見て、シシュト王子はすぐさま作戦を変えた。貴族は周りくどく歌や恋文でやり取りすることを好むが、キアラが望まないというのなら直接的にいくまでだ。
「以前のパーティーで、我が国へ来て頂きたいとお願いしましたが、その返事を考えて頂けましたか?
俺は、本当に貴女の幸せを願っています。
この国で、魔獣と王国の権力者の間ですり潰されて使い捨てられるのは、あまりに残酷な未来ですから。
どうか、俺と共に、レスティス王国へ来て頂けませんか」
その言葉に、キアラよりも先にアズーラ中尉が反応した。
気色ばんで肩をいからせ、反論しようとするのを手で制する。
「それは、嫌です。私は、ここが、この国が、好きですから」
「ですが!」
尚も食い下がって来るので、ヴェールをぱさりと払う。
これだけの熱意を向けてくれるのだから、せめて目を見て話さないと失礼だろうと思って。
そして、その真摯な黒い瞳に見据えられたシシュト王子は、外交官として鍛えられているにも関わらず、怖気付いてしまうほどの圧力を感じた。
「そこまで、あの男を、想っているのですか?」
「……あの、男……?」
キョトンとして首をひねる様は、先程感じた圧力が嘘だったのかと思うほど幼く可愛らしいのに。
「ルーレスト殿下のことです。彼に、個人的な想いがあるのかと」
「……ぁっ、違いますよ! ……でも、そうですね。
あの方のことは、尊敬、しています」
その言葉には、想像を絶する重みがあった。
恋する乙女が王子様を見つめるのとはレベルが違う、何か果てしなく重いものを背負った者の呟き。
その黒い瞳に吸い込まれそうな、それでいて、世界の全てを諦めたような、不思議な感覚。
正体が分からないからこそ、シシュト王子はレンツァーのことが気になった。
自分に靡かない女など国にはいないから、そうでない者が欲しくなった。
だが、彼はようやく気づいたのだ。
キアラ・レンツァーは、そんな簡単な興味で手を出せるほど生ぬるい相手ではない。
深く重い『何か』を背負っていきているのだと。
まっすぐ真摯に見つめるその瞳だけで、それを十二分に感じてしまった。
「分かりました。ありがとうございました」
それ以上の言葉を紡ぐこともできず、その場を立ち去ったシシュト王子の背中を見ながら。
(……納得してくれて良かったあ!)
あくまでも呑気なキアラだった。
ヴェールをきちんと被り直してホールへ戻ると、すぐにルーレストが見つけてくれた。
「レンツァー師! ご機嫌いかがですか」
こくり、と頷く。
「あまりお食事も食べられていませんよね。軽くつまめるものもありましたから、向こうへ行きましょうか」
またこくりと頷く。
それだけで汲み取って貰えることが有難かった。
そして、ルーレストもまた、自分の腕をとってエスコートさせて貰えたので満更でもない。
そんな二人はかなり良い絵になっており、話しかけようと近づいた者も、そっとその場を離れたのだとか。




