4-焚上村
地図には、存在しない村だった。
ネットで検索しても、詳細な地図にも、国土地理院の情報にもヒットしない。
けれど、恵子の手元に残った「お焚き上げ便」の封筒には、たしかに記載されていた。
「東京都 奥多摩郡 焚上村三ノ沢一番地」
郵便番号は空欄だった。
「本当にあるの……?」
半信半疑で、JR青梅線の終点・奥多摩駅まで出た。
そこからさらに、バスに揺られること40分。タクシーに乗り換えて20分。
人家が途切れ、山道に入ってしばらくすると、運転手が唐突に言った。
「……ここ、降りるんですか?」
「えっ……?」
「この先、何もありませんよ」
恵子は、咄嗟に言葉を探した。
「知り合いの家が、あるって聞いて……」
運転手はそれ以上何も言わず、ただ不審げにドアを開けた。
恵子は一人、携帯の圏外表示を確認しながら、ひと気のない山道に降り立った。
*
足元には落ち葉。空気は乾いていて、冷たい。
風の音さえ、なにかを隠しているように思えた。
標識はなかった。
だが、木の幹に古びた木札が釘で打ちつけてある。
「焚上村 ←三ノ沢」
「……ほんとにあるんだ……」
歩くたび、靴の裏に落ち葉が絡みつく。
森の中は薄暗く、遠くから焚き火のような匂いが、かすかに漂ってきた。
進むこと20分ほど。
やがて、谷間の底に、小さな集落が姿を現した。
数軒の古びた木造家屋。煙を上げる焼却炉の煙突。
その中心にあるのは、煤けた朱塗りの社――神社のような建物だった。
だが、何よりも恵子の目を奪ったのは、その建物の前に立つ『巨大な物置き場』だった。
金属の棚が何列も並び、棚にはびっしりと――何かが並んでいた。
ぬいぐるみ、写真立て、茶碗、指輪、手紙、卒業証書、包丁、壊れたスマホ……
すべて、“誰かにとって意味のあるもの”だったのだろう。
「……これ……」
その全てが、焦げていた。
火で焼かれ、熱で歪み、煤にまみれ、黒く変形している。
「よくいらっしゃいました」
後ろから声がした。
振り返ると、白い作務衣に身を包んだ老婆が立っていた。
肌は皺に埋もれ、両眼は黒く濁っているのに、恵子を正確に見据えていた。
「お焚き上げ便……の方ですか?」
「はい、私たちは『お焚き上げ衆』と申します。
『燃やされた思い出』たちは、この地で一時、安らぎを得ております」
「……一時?」
老婆は微笑んだ。
「思い出は、ね……
燃えて終わるものではありません……
“燃える前”に、ちゃんと、語ってもらわなければ、
持ち主の心が整理されていなければ――それは、ただの『焼き殺し』です」
そのとき、焼却炉の奥から、何かがくぐもった声で鳴いた。
「あけて……」
聞き間違いではない。
明らかに、何かが、内側から声を発していた。
恵子の手が、静かに震え出す。
「……あの……中に、何が……」
「忘れていった者たちですよ」
老婆は、空を見上げた。
「思い出されるたびに、あの子たちは形を取り戻す。
でも、持ち主が“思い出した”まま、背を向ければ、
――未燃のまま、この村にとどまるのです」
その言葉の意味を、恵子はまだ理解していなかった。
けれど、胸の奥で、何かがざわついていた。
彼女の記憶の中に、“まだ焼け残っているもの”がある。
その気配が、この村の空気に混ざって、嗅ぎ取られている。
まるで、自分の心が――すでにこの村に焚べられたかのように。
*
ふと足元を見ると、焼却炉のそばに、黒焦げのペンが落ちていた。
それは、紛れもなく――彼の高級ペンそのものだった。
だがそれは、ただのペンではなかった。
拾い上げてみると、ペンの軸に、明らかに“骨”のような質感があった。
骨の芯に外装をかぶせたそれは、まるで誰かの指の一部のように、そこにあった。




