天国に最も近い場所
もう一話で一区切り。
地獄と天国は紙一重。
貧民街で生まれた人間は貧民街で死ぬ。
そうなるはずだったアタシは何故か馬車の揺れによるグロッキーから中々立ち直れないながらも戦地にいた。
回復魔法を使うことができる人間が他にいないためだ。
イケメン兵士からチヤホヤされ食事も幾分かかすっぱ兵士どもより良いものを食べさせてもらえたものの、それらは大抵アタシの身体に吸収されることなく地面にぶち撒けられた。
錆止めの黒で塗られた遮光式の檻に押し退けられた、あまりのスペースで座っていたために尻が痛い。
吐き過ぎてその匂いにつられて透明な胃液を垂らすのは、なかなかに惨めな体験だった。
もし隣にジェラルド様がいなかったら帰ってたぞ感謝しろ。
かと言って帰るにしても軍人に比べ脆弱な都市育ちのアタシはここまで荷台に乗せられていたわけで、帰り道は一人で帰還不能なのだが。
閑話休題。
自分で顔を触って分かるほどに血の気を失ったアタシとは逆に、荷台に慣れているらしいジェラルド様と共に檻を見送る。
あれには、生体魔導兵器が入っている……らしい。
というのも、1週間の行軍中一切の食餌も水も運ばれなかったため、死んでいてもおかしくないからだ。
一切の会話も禁止されたブラックボックス(文字通り)は、期せずして見張るような状態にあったアタシが保証する。
ソレから本来漂うはずの腐臭もなく、むしろ中に何も入っていないのではないかと思わせるほどに荷台の揺れに合わせてガタつく檻。
周りを兵士に守られながら、アタシは遠目にその檻が開くのを見た。
中から出てきたのは檻と同じく黒い鎧姿。
威容というより異様なその光景にアタシは思わず目を瞬かせる。
それは、終末にも思える天国のような光景の始まりだった。
◇ ◇ ◇
ジェラルド様はアタシに説明してくれるのだが、不快だった。
説明の本人ではなく、その内容が。
魔術的素養のないアタシにも理解できるように噛み砕かれているのは理解るのだが、頭を使わずとも入り込む分一層に厭な気分が増していく。
これなら専門用語を多用された下手な説明の方がニコニコと笑みを浮かべて愛嬌を振りまくことに専念していられただろう。
「ーーー簡単に言えば最終兵器。ヒトとは認められなくても、いや、ヒトではないからこそか。多分世界一と言えるでしょう。超広範囲殲滅魔術の使い手ですね」
地下に造られた、ヒト一人分収めるにはあまりに大きすぎる空間。
アレは縛る檻であると同時に、専用の研究施設でもあったわけだ。
彼が認める魔術の到達点が一つ。
アタシではない、醜い存在に対する尊敬の念を感じて、嫉妬の炎が内心で吹き上がった。
男のくせに、健康不良児のくせに、一人ではただ野垂れ死ぬだけのキモチワルイ存在なくせに。
ああ、死ね、死んでしまえ。
そうすればアタシの溜飲は多少下がるし、アタシはジェラルド様と結ばれる。
早く死んでくれよ。
そう心の中で呟くアタシを、周囲を拒絶するかのように燃え上がり、己が色に染め上げる白い閃光がアタシとジェラルド様の見つめる先で吹き上がる。
そのままアタシはジェラルド様の「始まった」という言葉を無視した。
失明しかねないほど眩い光の中心から、笑い声が聞こえた気がした。
まるで新しい玩具を歳上から貰った幼児のように。
全力で遊ぶがゆえに、すぐさま壊してしまうような。
ああ、気持ち悪い。
「ヤバイ」
……えっ?
隣の人物から今まで聞いたことのない声音が飛び出たことで振り返るのと同時だった。
閉じた瞼の上から光が脳裏を焼き潰し、災厄とも言える音声が脳裏に走る思考さえも塗り潰す。
パニックになったのも束の間、アタシの視界を人影が覆ったことでそれ以上の痴態を晒すことは避けられた。
火遊びを覚えた幼児が燃やした、落ち葉の山。
燃えることで周りの落ち葉は風に舞う。
その中心にいるのが、バケモノだ。
ジェラルド様に抱き抱えられ、その腕の隙間から暴虐を見た。
アタシは理解した。
ああ、これだけの力があればアタシだって心穏やかで居られるだろう、と。
陽の光の下でろくに生きられないヤツが。
3年と生きられない汚物のくせに。
相手を一方的に虐殺できる暴力があるなら威張る必要もなく皆んなが尊重してくれる。
ジェラルド様という最上級の人間に傅かれるなんて、何かがおかしいと思っていたんだ。
そして嫉妬した。いや、嫉妬は前からしていたのかもしれない。
それだけの暴虐を持ちさえすれば、アタシの気に入らない人間、全部、ぜんぶ殺してアタシも心穏やかに、ジェラルド様に恋焦がれるただの乙女でいられたのに。
何故アタシはああはならなかった?
健康体そのもので、アレよりも優れているはずのアタシが。
皮膚の爛れもなくアレよりは確実に美しいはずのアタシが。
ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな。
嫉妬の炎に身を焼かれても、否、それによりさらに燃え上がる炎が心の内側を燃やす。
生きるために回復魔法を駆使して点数を稼ぎ、孤児院でのヒエラルキー上昇に勤しんでいたアタシを馬鹿にしているんだ。
死ね、明日死ね、今日死ね、むしろ昨日死ね。
そう生霊を飛ばして呪い殺さんばかりに思っているうちに、一陣の風がアタシを駆け抜けた。
ひとが燃えるにおい。
硫黄の匂いと、骨の匂いが鼻に抜ける。
キンと鼓膜が張り耳の中で音が鳴る。
真っ白から視界を取り戻そうと、目を瞬かせていると、背中から手が離れるのを感じた。
ふわふわと感じる浮遊感をジェラルド様に支えて貰い、だんだんと視界が戻ってくる。
子供が燃やした落ち葉の灰は、揚力を失って地面に散らばる。
それは地獄というよりは天国だった。
人がいないのだ。
アタシに歯向かった人間は皆んな地獄行きで、来世も人間ではなく犬畜生かそこらだろう。となればやはり人がいないのは天国の光景だと言える。
グツグツと煮え立つような赤の中で、教会にあるステンドグラスのように光を反射する結晶が陽光を反射し下から黒鎧を照らす。
幻想的で神々しい光と、それに似合わぬ錆止めの黒が現世の光景だということを示している。つまりアタシでも手が届くかもしれない。よほどの幸運がこれから生まれればの話だが。
そうだ、羨ましいのだ、妬ましいのだ。
その生まれに、周囲の環境に、周りの人間に。
アタシだって恵まれていれば羨むこともなかった。
殺したい奴らばかりの環境でなければ、もしくは殺したい相手をすぐ殺せるのであれば、アタシは我慢する必要もなかった。
クソッタレ。
圧倒的な美しさの差と、才能の差。
どちらもただの努力で埋めようがないほど隔絶しているが、不幸にもそれらが片方に寄らなかったことで逆に嫉妬心は燃え上がる。なまじ手が届きそうにも思える分、手が届かないと理解する理性との乖離が強い。
この矛盾を解消する単純にして確実な方法をアタシは知っている。
アタシはアンタを殺したい。
◇ ◇ ◇
地面の一部をガラスに変える熱量で破壊し尽くす超広範囲殲滅魔術は数ヶ月の血と涙の結晶を完全に破壊した。
砦は破壊され、無惨にも骸を横たえているがそれを直してやろうという人間は全て砦と一緒に火葬された。
爆心地に近く、地面にこびりついた煤をかつて人の形だったと認めるのは困難だ。
重力崩壊。
千、万の人を焚いた魔術の名前である。
しかし、殺戮というにはあまりにあっけなく、虐殺とするにはあまりに思想的側面が弱すぎる。
敢えて挙げるとするなら、消失。
人体大量消失をもたらした下手人にして発起人は、ガチャガチャと黒鎧を鳴らし軍の人並みに逆らって歩く。
むしろどこかの海割りをした聖人のように人並みが割れていくのはいっそ爽快ですらあった。
体表から発せられるはずの腐臭はなく、超広範囲殲滅魔術を使用してみせた凄みのみが人を遠ざける。
ソレは軍には属さない。何故ならヒトと認められていないから。
公爵の持つ生体魔導兵器と位置付けられているために、その軍事的価値に反してポストが用意できないのだ。
よってただの兵器を避けるのは本来の命令にはなく明らかな軍規違反に当たるものだが、それを咎める者もいないだろう。
戦闘は一撃で終わったのだから、注意が先ほど消えた敵ではなくソレに向くのも仕方ないことだ。
気紛れで二度と泣いたり笑ったりするどころか意識すらも永遠に絶たれるかもしれないというある種の緊張感が、彼らを軍規違反へと向かわせた。
ただし、無言。
敵意も悪意も、殺意もない。
何故ならソレはそういった悪感情を向けて来ないのだから。
先制攻撃により多くの兵士が無傷で故郷に帰れるという恩の前に、薮を突いて蛇を出すまいという相互無干渉的な暗黙の了解があった。
ソレはそう言った逡巡と、パニックとの狭間を一顧だにしない。
ただ無言で歩みを進めるだけ。
怪物とは思えない静けさが、逆に恐ろしい。
暴虐の嵐がもう一度繰り出される前の静けさのような気がして。
「なんだよ、あれ」
ぽつりと誰かが言った。
「あんなの人の死に方じゃない」
最期の声もなく蒸発した兵士。
実は死んでいなくて、転移させてました。
そんなのであればどれほど良かったか。
実際には蒸発させたのか転移させたのか、調べる方法はない。
しかしどちらであっても大して変わらないだろう。公爵殿下が保有する土地なんかに入れられて、飼い殺しにされておしまい。殺されてもおかしくない。
と、公爵軍の指揮官ですら知らない不可侵はどうでもいい。
「死にたくねえ」
死にたくねえ。
心の声と口に出した言葉が同期する。
死ぬとしても、そんな理不尽に命を奪われて。まるで殺虫剤で殺される害虫みたいに。
人の尊厳だなんていうつもりはないが、それにしたって惨すぎる死に、怯えを隠しきれない。
パニックで殺してしまうことで脅威を排除したいという狂気と、正気が正面衝突し、辛うじて正気が競り勝つ。
死にたくないから。
クソッタレと吐き捨てたくなる人生の最期を人間とは思えないほど無機質な死に方で終えるのは御免だった。
「移動するぞおらー、準備しろー」
という分隊長の声に正気に帰る。
真っ当な戦時なら兎も角、燃え滓という形だとしても死体と一緒に寝る趣味は持っていない。
そうでなくてもこれが初めての兵役の兵士なんかはトラウマになっていてもおかしくないために、大規模な火葬場から離れることになっていた。
願わくば、その牙が自分達の首に突き立てられないことを。
暴言のレパートリーが少ないのは意図的です。作者が暴言調べてると精神的に病みそうになったから書き直したとかそんなことはないです一切ほんと(早口)




