ええぇっ、アタシがケッコン?!やだァ……
ネタバレ:主人公が最後殴られます。
実家である孤児院は貧民街にある。
馬車が入ってこれるほどの広い道路はなく、公爵閣下が徒歩で孤児院に訪れるという珍事はすぐさま貧民街全体に共有された。
「ーーーつまり、最大でも5年間。それだけの時間を買おうということだ」
院長室にあつらえられた分不相応に立派なソファにのしりと体躯を預け、そう公爵様は仰る。
より詳しく話を聞くと、こう言うことであった。
不治の病で余命幾許もない人間を死後悼む人が欲しいのだと。
醜悪な容姿と生来の疾患のために貴族社会デビューしていない公爵令息の事実婚の相手となって欲しいと。
アタシと孤児院院長に伝えた。
「年若い娘を寡婦にさせるおつもりですかっ」
金色の髪を揺らし、ついでに胸部と臀部についた無駄な脂肪も揺らし、孤児院院長、ゼノビア・クローディアは吼えた。
私もそう思う。
私だって恋に恋する乙女、結婚という言葉に夢はある。だからこそ、最初っから先に死ぬとわかっている相手と結婚なんてあり得ない。
それに、と孤児院院長は荒げた声を整えるように続けた。年齢に見合わぬ綺麗な手には純金の指輪が一つ光る。
「当人同士で解決するべき問題です。私達の出る幕ではないと思いますが?」
王子様の美麗な顔なら兎も角として、日光のある外に出ただけで皮膚が爛れる公爵令息(非公認)など誰が求めるというのか。アタシは取り敢えず御免だ。
アタシは領地における王様同然の相手に、なるべく不敬にならないように言葉を選んで伝えた。
ふぅ、公爵閣下はため息を私達にもわかるほどあからさまに大きくつき、公爵家にあるものよりもはるかに座り心地の悪いソファに背中を預ける。
「素人だろうと、引き継いでいようと、孤児院を運営している以上こう言った営為については理解されていると思っていたのだがね。察しが悪いのなら言ってやろう。
孤児院に出資をしているのは何処だ?公爵家だ。決して貴女が信仰するところの教主様やその寄進では絶対に今の規模では成立し得ない。ウチこそが最大の出資者だ」
「それでも…あまりに不出来な夫を数年間でも持つことは人生の損失です」
公爵閣下の表情が完全に消え失せたかと思えばにこりと微笑む。
嫌味のない笑みとその端麗な美貌のギャップに思わずアタシとゼノビア院長がつられて笑った次の瞬間。
ゼノビア院長と公爵の間にあったテーブルが天井近くまで蹴り上げられた。
院長がソファの裏に隠していた長剣を抜き放つ暇もなくその眉間に硬い金属塊が突きつけられ、院長は硬直させられた。アタシが動きたいところだったが放たれる殺気で指一つ動かせない。
ゴリゴリと金属の感触を知らしめるかのように銃口が押し付けられ院長の表情が苦々しく変わる。
「舐めるなよ、阿婆擦れ。貴様のちっぽけな頭脳が思いつくこと、私が、私達が思い付いていないはずがないだろう。聞くことなど何もない。知りたいことは知っている。貴様が夜な夜な幼児をこの部屋に連れ込んでいることもなァ。貴様はただ頷けばいい。それで全て回るというのだ」
憎々しげに歪む眼を愉悦を帯びた眼で見返して、格付けを確定させた。
アタシ達は下だ。
チッ。
表には出ないものの舌打ちをするときと同じような気配を滲ませながら、隣で剣から手が離れる。
「お館様」
「ん」
公爵閣下の背後でテーブルを整え直していた王子様が声音に咎める気配を乗せると、ちょうどいいとばかりにテーブルを跨ぎソファの元の位置にかけ直す。
拳銃を膝上に下ろし、撃鉄そのままに左手で銃身を手慰みに撫でながら、この場の上位者は審判の結果を告げた。
「価値判断も十分にできないだろう幼児を手籠にしておきながら純愛だの当人の判断だのほざく、性的倒錯者のことなど知らん。貴様がどうなろうとどうでもいい。が、その振る舞い如何によっては息をすることも許してやろうではないか」
「…………私共は止めは致しません。ええ。本人の意思に任せます」
「ん、それでいい。そうだ、ちょっとだけ今月分は色を付けておいてやろう」
負け惜しみとも取れる発言ながらも事実上の譲歩を勝ち取るや、金で解決してきやがった。
「くっ……」
声を震わせる彼女に一瞥だけをくれて、今度は矛先がアタシに向く。
「で、だ。後はお前一人だけという訳だ。ここからはお前にもメリットがあるように話すぞ」
「御言葉ですが、アタシにだって名前があります」
無限にも思える一瞬。
「……ほお、確か名前は、イヴァ、そうだな?」
「はい、苗字はありません」
アタシの眼から目線を逸らすことなく、背後で空気となりかけていたジェラルド様に呼びかけると、俄にアタシと公爵閣下の間で張り詰めていた空気が雲散霧消する。
ーーーが、その眼が変わらずアタシに目線を逸らすことを許さない。逸らせば、殺られる。
「……話しを戻そう。
労働契約を結ばないか?契約内容としては、下男同様基本的な命令の遵守だ。エンドポイントはアレの死。報酬は今から要相談。恋愛感情だのなんだのは不要、むしろあると邪魔だ。ーーーああ、それとも好いた男でもいるのか?」
まるで興味なさげな様子を隠しもせず。
閣下はアタシの懸念点を偶然言い当てた。
ーーーいます、閣下の背後に。
アタシの天まで届けとばかりの願いが通じたか、
「そうか、いるのか。なら住み込みでなく、時間を区切れば良かろう」
時間制限付きの愛情とでも呼べばロマンチックなのだろうが、アタシがその感情を抱く対象は別にあることを、双方共に良く理解していた。
息を吸う。
『女は愛嬌、度胸、どっちもなきゃいけないから大変よねぇ』
自慢げな様子を隠しきれないまま宣ったあの女は今頃くたばっただろうか。
嫌悪すべき対象の言葉を思い出し、そしてその言葉に従ってしまうことに言いようのない不快感を感じながら、アタシは愛の告白を行なった。だって女は度胸だもの。
「アタシはっ、ジェラルド、ジェラルド・ファルサスさまを敬愛しておりますっ、大好きですっ」
言い切った。言ってやった。言ってやった。
アタシの開放感を他所に、
「だ、そうだ」
胡乱気に閣下がジェラルド様を見遣る。
「すみません、ごめんなさい」
一礼。
それだけで以てアタシの一世一代の告白は不意に散った。
ああ、一刀両断。その興味すらなさげな表情を浮かべて尚。
その顔は美しい。
極上のイケメンの、思い人の顔に蕩けた思考と並行して、別の思考が走る。
分かっていたとも。
公爵という最上級、それに仕えるだけでもどこかの貴族様だ。多少ならまだしもアタシが一目惚れに至るほどのイケメン、貴族サマでしかあり得ない。
そして引く手数多のイケメンは、アタシを選ぶなんてこと、あり得なかった。
なぜなら、貴人とは違い、アタシのように貧困街育ちは価値が低いから。
化粧などで己を磨くのも難しく、かすり傷やそれ未満で常にダメージを受け続けた肌はお世辞にも綺麗とは言えない。
ーーーもし王子様が公爵閣下の御令息だったならば。
そんなことを思うけれど、そうなっていたならば、アタシが公爵家に入ることなんてあり得ないだろう。アタシより綺麗で、かつ身分も高く、教養ある女性なんて上を見上げればいくらでもいる。
アタシの価値はどうしようもなく低い。
つまりこれはアタシに与えられた最初で最後のチャンスだ。
「え…ど、どうして!??」
蕩けた思考が振られたことを一周遅れて認識し、追及の言葉がスラスラと飛び出す。理解は済んでいたとしても感情的に納得は出来ない、その乖離から生じたものだ。
「婚約者が既にいるからな」
アタシと彼とのミリ単位の蜜月を邪魔するのは、もちろん公爵閣下。
「5歳ごろかな、侯爵家との婚約だ」
5歳……!!
その凛々しい顔を幾分丸くし幼児化させた顔を想像してみる。
トテトテと拙い歩みだけど着実にアタシを目掛けて走り寄る幼いジェラルド様。
「おねえちゃーん!」
可愛らしい声でアタシを呼ぶので抱き上げ頬ずりする。
くすぐったそうに笑う様。
数年後、凛々しさを増した彼を変わらず抱きしめてやって、段々アタシに依存させていって……
……って、そうじゃないそうじゃない。
それはそれでイイものではあるけど問題はそこじゃない。
5歳という点だ。
10年以上前、5歳の頃に結んだ約束に負けたのだ、アタシは。
5歳と言えば右も左もあやふやな時期。たしか院長室にしょっちゅう連れ込まれてるジルくんは6歳だったか。閣下の言う、『価値判断も十分にできないだろう』年齢だ。
小児性愛者はダメで貴族様はいいってのかクソッタレ。
ふと気になって傍の小児性愛者を視界の端で見遣るが、ソファで寛いでるだけだった。
役割を放棄したかと思えば、美少年(過去)には興味はないご様子である。
10年以上も前の女に負けたこともクソだがアタシを見捨てた挙句寛ぐ小児性愛者も腹立たしい。
ーーーでも待てよ?
あの女が言ってたことを思い出す。
‘理想を追い求めている独身より、妻子持ちの方が『その女よりも優れた相手である』ことを簡単に示せて、オトしやすい’って。
アタシよりも価値の高い貴族女だからって、その女よりも優れているように‘魅せ’かけることはできるはずだ。
衝動のままに。
「妾でも構いません!お側においt」
言い切ろうとする直前視界が横に流れる。
視界左端に映る王子様はいつの間にかアタシのすぐ近くにいて。
興味なさげを通り越して無表情だ。
衝撃のままにゼノビアの膝に倒れ込む。
なぐ……られた?
どうして?どうして?
「それぐらいにしておけ」
「は」
「さて、話しがまた逸れた。労働契約を結ばないか?契約内容としては、下男同様基本的な命令の遵守だ。エンドポイントはアレの死。報酬は期間中の衣食住の提供と、適切な教育。そして約3年間を費やすことを踏まえて前金小銀貨7枚、成功報酬に金貨3枚。これで良かろう」
何事もなかったかのように閣下は言い直した。
じんじんと張られた頬が痛む。
何も考えられず、呆然と座り直したアタシはとりあえず頷いた。
「そうか!期待はそこまでしていない。好きにやってくれたまえ」
相好を崩して公爵様はそう言った。
望み薄だとわかっているのなら最初から頼まなければいいのに。
廻らない頭でアタシはそう思った。頬がじわりじわり痛みを増していくのを感じた。
ペド野郎…いやペド女郎でした。
空気が読めないからとそこに甘えて踏み込みすぎるのは良くない。半年ROMるのじゃ。




