悪事は静かに
情報屋兼古物商のオヤジはその収入が主にその二つであるため勘違いされやすいが、ダンピングかとも思える安価で様々な仲介を行う商売人だ。
目の上から瞼をなぞるように走る大きな傷跡を持つオヤジはまた妻と喧嘩でもしたのだろう。
頬のあたりにも綺麗に赤く5本指の跡が出ていた。
「オヤジはまた喧嘩したの?」
「喧嘩なんてもんじゃねえ。一方的な暴力だ」
そう口では言うものの、表情がそれを裏切っている。端的に言えば飼い猫にじゃれつかれた程度のもの。
本当に殺し合えば自分が勝つと確信するがゆえの強者の余裕。
「あ、そ」
「……で、公爵家で働いているお前が何の用だ?」
「お遣い」
これ見よがしに紙を揺らしてやるが、怪訝な表情は崩れなかった。
「そんな疑うなら、じっくり見れば?」
机の下から拡大鏡を取り出し頭に嵌めると、オヤジは紙を光に透かして検分し始めた。
「水薬代金とは書いてあるが、ウチではこんなもん発行してないぞ」
暗に本来の店舗で水薬と代えてもらえ、と証紙の端から目を離さぬまま答えるオヤジ。
「単純よ。アタシがここで水薬を買って、代金としてこの紙を渡すわ。オヤジはその紙を持っていけば水薬が手に入るのだから、その水薬の差額分を分け合いましょ」
水薬と言ってもピンからキリまで質に差があるし種類だっていくつもある。
当然貧民街で基本的に流通するのは盗難を警戒する目的もあり低品質なものばかり。
良くてそこらの水やネズミの血、悪ければ下水の水を混ぜるなどでカサ増しされた水薬はただの毒であることも十分あり得るのだが、オヤジが買い付けから流通の全てを請け負っている水薬の場合微妙に違う。
煮沸された水を混ぜているだけで確実に“効く”水薬で、質がいい。その分価格は相場の4割増しだが貧民街において十分優良店に入る。
「そんなちんけな商売、手は貸せんなあ」
頭ごなしに否定する態度。カチンときた。
「まっとうな商売をしようって言ってるんだけど?」
「俺の店の水薬は専属の薬師に調合してもらってるんだ。契約も結んでる。それを勝手に他の薬師の水薬として売るのは道理に合わねえだろ」
拡大鏡を外しながら、ふんと鼻を鳴らし改めて拒絶を口にするオヤジ。
それが納得いかない。
高く売れて、さらにそれによる害もないのならできるだけ高くしてやるのがいい。
そんな簡単な論理もわからないなんて、馬鹿に違いない。
尤も、それを強制できるだけの権力を持ち合わせていないアタシは笑い、心の底で嘲笑う。
失敗して、惨めに野垂れ死ね。
アタシは既に、貧民街で出た不審死の腐った肉を片付けるような賤しい身分ではないが、せめて骨だけは拾ってやる。
そんなことを表情には出さずに、アタシの元々の目的を切り出すことにした。
「マァいいや。それよりも顔が広いオヤジにしか頼めないことがあるんだけど」
「聞くだけ聞いてやる」
「水薬じゃないんだけど、薬師を紹介してくれないかな?」
「なんだ、公爵殿下のおつかいか?」
「そんなとこ」
ん、と何も載っていない手を差し出される。
「金は今はない。あとで払うわ」
「そうか」
行き場を失くした手が硬い天板をコツコツと叩く。
……しかし金が直ぐに要るとは思わなかった。
「一先ずは人物のピックアップだけお願い」
金を求めて動き回る手。なんて厭らしい。
嫌悪感の根源は一瞥にとどめ、アタシは顔繋ぎだけをオヤジに期待することにした。
公爵家の貴族を殺そうとするのなら斡旋した人間も連座で処刑されることがある。よって、アタシを切り捨てて保身に走るなんてことも十二分に考えられる。
殺意は直前まで、殺す瞬間まで隠し通しておくべきだ。
ましてアタシを孤児院にいた頃から知る男、手管も知られており殺意を知られればアタシがどう行動するかまでわかってしまうだろうから。
「それで?どんな薬を調合してもらいたいんだ?」
「あー、えっと、飲みやすくて糖蜜に溶かし込んで飲んでるって聞いたわ」
「そうじゃない。どんな効能の薬を調合してもらいたいのかって話だ」
「血の巡りを良くする薬ね」
想像したのは心臓に作用する薬。昔の死体掃除で夜のお薬を使った男が腹上死しているのを見たことがある。
副作用として夜の効果があるのだ。
「……血流の薬か。それは面倒だな」
聞くやオヤジの顔が渋面に染まる。
「どうして?」
「そりゃもちろん、薬が多すぎるからさ」
お前薬の名前もよく覚えてないだろ、との言葉にうっと詰まる。そんな細かく嘘を作り込んでいるわけがない。
「事情に明るいわけでもないお前を寄越したあたり、火急に薬が要るというわけでもないんだろ?また薬師に訊いといてやるからとっとと後ろに譲れ」
その声に振り返るといつのまにか3人も人が並んでいた。
「薬だったら薬師に往診してもらえや」
一番手前の禿げた小男が言うそのセリフに横へとズレて購入口から退くが、水薬購入の邪魔をするなと言う含意を感じ取り思わず舌打ちが溢れる。と同時に孤児共を連れていないことを思い出し僅かに後悔した。
しかし、下から睨め付けるだけでケンカを吹っかけることもなく、その人の列を抜け貧民街に溶け込むことができた。
一歩踏み出せば直ぐにアタシのご機嫌伺いに群がっていた孤児共も今はいない。
それに軽薄だ、と言う思いもあったが仕方ないという気持ちも湧いてくる。
かつてはアタシも、いや今もだが、大人の権力者のご機嫌伺いをしていたのだ。
その対象が移り変わっただけ。
何も間違っちゃいないない。
「身軽な身、ってことにしましょうか」
言い聞かせるように呟き路地を抜け、貧民街から市場へと転がり込むと先ほどとは打って変わって人の様子が大きく変わることに毎度ながら辟易とさせられる。
服に当てられた接ぎ一つとっても貧民街とは違うのだ。
アタシはこうして必死に生きているのに。
何が違う?
何故アタシはああじゃない?
そんな風に憎悪に飲み込まれそうになった思考を、現実的な危機が引き戻した
ーーーかつての同業者の気配
背後から伸ばされた手を叩き落とし捻り上げるだけで一丁上がり。こちらの胸元にも届かない背丈なら制圧も容易い。
しかし声を上げればそれだけ以降の仕事がやりにくくなることを知る彼は、奥歯を噛み締め睨みつけることでその痛みをやり過ごしたようだった。
「アタシの顔を忘れたか?マヌケ」
小声で言うとアタシをようやく思い出したようで、慌てて振り解いて人混みへと逃げていく。
アタシはそれを追いかける気になれなかった。
◇ ◇ ◇
公爵家御用達の水薬は当然のように店頭に商品がない。
色味などで一等マシなのを選ぶまでもなく均質で性能が良いことがわかっているから。
アタシが生まれる前から続いてきた歴史と信用が為せる技だ。
スリも人並みに嗜むアタシだが店内のどこにあるかも分からない水薬を盗むのは相当至難の業。諦めて店内奥にあるベルを鳴らし店員を呼ぶ。
さらに奥から出てきた店員は……まあ普通といった風貌。黒髪もそこまで少ないわけではなく、目を閉じて数秒数えれば頭から消え去ってしまうだろう。
「いらっしゃいませ、どういった商品をお探しでしょうか?」
こちらの身なりも気にせずそう嘯く彼の前に証紙を叩きつける。
眉根を一瞬寄せた彼はしかしそれ以上の反応を見せず、しずしずと後ろへ下がると直ぐに両手の指全ての間に試験管を挟んで運んできた。
片手4本、計8本。バッグに入れたとしてもそれぞれがぶつかる衝撃で割れてしまいそうな、割れ物を扱う人間とは思えない所作。
その印象を裏切らず、無造作に試験管立てに並べられ、硬い木とガラスのぶつかる嫌な音が店前とは打って変わって静かな店内にガチャガチャ響き渡る。
「特製の水薬8本、4日分。毎度あり」
公爵家御用達とは思えない突っ慳貪な対応。
文句を返そうと口を動かすも、返す言葉が見つからないことに気付いた。
これが通常の接客だと言われてしまえばそれでおしまい、アタシと目の前の店員は初対面なのだから。
「チッ」
舌打ち一つ残し、試験管立てごとひったくって帰ろうと動くが、予想外の障害により阻まれる。
固定された試験管立て。それを掴んだアタシは予想外の抗力に体勢を大きく崩した。すんでのところで転ける醜態を晒さずに済む。
ーーークスリ。
背後に聞こえる嘲笑い声に振り返るが、そこには全くの無表情を浮かべた男店員が一人いるだけ。
アタシはさらにもう一度、大きく舌打ちをした。
「チッ!!」
◇ ◇ ◇
耐腐食性に優れるガラス製品は良く使われるが、脆い。
それは同質で高級な試験管を使い捨てる高級店であっても変わらない。
アタシは人にぶつかり試験管を割るリスクを避け、少し遠回りをして公爵家邸宅に帰ることができた。
「ご苦労」
手狭な執務室で試験管の蓋を確かめながら、アタシのことを見もせずに老人はアタシを追い払う。
散々っぱら虐めてくる相手とあまり相対するのは辛く、軍人式教育法で教わった通りアタシは扉の前で一礼し廊下へと逃げ去った。
しかし、恐怖の対象がアタシを認識しなくなった瞬間……安堵と共に込み上げてくるのは怒りの感情。
アタシであれば、初対面の客を笑うようなクソ店員、その日の晩にでも闇討ちにしている。
正面から立ち向かうことは出来なくても、陰から袋叩きにすることでアタシを害する全てに警告するのだ。
尤も、それが叶わないから、欲求不満を発散する当てがないからこうして怒りを溜め込むしかないわけだが。
アタシは大きく息を吐き出すことで怒りを奥へと沈める。
怒りはワインのように熟成させることで力を増す。
いつか全てにやり返すために。




