愛されるために
献身という意味での愛はどこまでも一方通行である。
その愛を相互に向け合うのでは共依存に限りなく近いものに成り果てる。
恋においては、あまり愛さないことが、愛されるための確実な方法である。
ただし、相手が好意を既に持っている場合に限る。
5歳のころに結ばれた婚約と、10代の終盤に出会ったアタシ、どちらを選ぶか。それは貴族という補助線がなくとも自明だろう。アタシは望まれてはいない。
事実を創らなければならない。
どこまでも強固な事実を。相手を引き裂く楔を。
そう、信頼は砂の城よりも脆い。どこの姫様かは知らないが、相手が死んでくれればなおのこと良い。
アタシが幸せになるには他の誰かを蹴落とさなければならない。
よく言うだろう、他人の不幸は蜜の味。
幸福にある誰かを蹴落とさなければ得られない幸せはあるし、その誰かが得られるはずだった利益を奪うことでしかアタシは生きられない。
アタシが救われるにはこれしかないのだ。娼館に売られるのは嫌だ。
閑話休題。
アタシのアピールチャンスは個人授業の間だ。というか他が身分の違いゆえかチャンスがないのだが。
寝所で逆に襲うにもあちらは肉体格闘戦が得意な御仁なので望み薄。
なら、薬を盛るなどして弱めるが適策、
ーーーその薬はどこから?
……再びこの問題にぶち当たった。
畢竟数の力を削がれれば武も、知も魔法も劣る小娘は相手を落とすでしか勝つすべはないのだと事実を見つめさせられる。
ああ、クソッタレ。
足掛かりは意外と早く訪れた。
「買い出し、そこまで大量にはできませんよ?」
「人手が足りないのだから、仕方あるまい」
隻腕の老人が忌々しげに呟く。
殺してやろうかと思う。
いや、決めた。お前を殺す。絶対に殺す。いの一番に殺す。これは決定事項だ。薬剤を手に入れた暁には必ず殺して殺る。お前が望んだ結末だ。受け入れなければならない。
アタシの内心の殺意にビビったのか、老人は眉をわずかに顰める仕草をした後、盛大に溜息をついた。
「印紙と水薬を換えて貰いなさい。金は後日向こうから集金に来てくれるから心配しなくていい」
枯れ枝のような指が机に載った紙を突つき、手狭な執務室に響く。
チッ。脳裏に思い描いたものとは遥かに異なる展開に、知らず舌打ちがこぼれるが、人生経験豊富なのだろう彼はそれを一瞥で済ませた。
値切った差額をせしめてやろうと思ったのに。
「水薬は私に届けてくれればいい」
それじゃあ、お前はもう用済みだとばかりにしっしっと手を振られる。
用済みはこっちのセリフだと心の中でその細い首を掻き切る妄想をしながらアタシはドアを閉めた。
野郎、いつか殺す。
◇ ◇ ◇
少女が出て行った後で。
狭い執務室の奥で背もたれに体重を掛け、老人は瞑目。
思索を巡らせた。
以前であればそんなことは必要ない。貴族同士の交流がほとんどない公爵家なら、突然スケジュールが変わるなんてこともほとんどなく、日程調整が要らないのだから事前に決められた予定通りに日常が進む。
老いぼれが口出しするまでもなく延々と同じ日々を消化するだけだ。
しかし、現在異物が存在する。もちろん例の小娘だ。ドロドロの粘ついた殺意を露わにする獅子身中の虫は取り除かねばならない。
獅子が殺される前に。
愛する日常を壊されないように。
同時にこうも考える。
それらは本当に予期せぬことだったのか、と。
現場仕事にばかり従事してきた人間には見えない理由があって現状は予定されていたのではないか、と。深謀を巡らせる公爵殿下ならば、と否定しきれなかった。
そしてそれを尋ねても答えてはくれないだろうという確信があった。
なぜならその答えで老人自身の対応が変わってしまい、殿下の予期せぬ方向へと進んでいってしまう可能性があるから。実験において不確定要素をできるだけ排除するのは基本中の基本である。
老人はなにも知らない。そして知る気もなかった。
自らの頭脳にそれほど期待していなかったから。
振り返るまでもなく、執事として再雇用されるきっかけになった腕と片目を失う事故だって勝手に身体が動いたからだ。
だから、老人は役割を演じることにした。
執事とは主人に仕えるのが仕事であり、そこで働く人間を采配する。
もちろん人材登用などは主人に伺うこともあるだろうが、スパイを取り除き、主人に安全を齎すのは間違いなく執事の仕事の範疇に入る。
泳がせた虫はどうやって獅子を殺そうとするのか。
それを調べるためにまずは意識を深く鎮め、魔術を使うことにした。
一般家庭で生活に無理のない程度の水道料金。さらに徴収漏れを許容するとなればその額は水道という巨大な機関を運営するには到底足りない。
その差額を埋める公爵家のポケットマネーは、こういった時のための投資の意味合いを含んでいる。
ほどなく老人は小娘を見つけた。
指定した店とは真逆の道。貧民街の出入り口近くで話しているのが聞いて取れる。
『ベンソンの親父はまだ生きてる?』
『アイツなら昨日も酒場で一人殴り殺してたよ』
『ーーーなら、まだくたばってなさそうね』
『ところで、お前どっかの貴族に召し上げられたんじゃなかったか?』
『ーー色々あるのよ』
そう言うと小娘は水道管の脇を歩いて貧民街の奥へと入っていく。
老人は嗤った。
ラ・ロシュフコーさんごめんなさい。




