第97話 王子様系TS少女は母との過去に思いを馳せる その3
「ねえ、良いだろう、アンナ? 僕がこんなことを頼めるのはアンナくらいなんだよ、お願いっ」
「またこの子は、都合の良いことを言っちゃって。そうやってうちの若い子達をたぶらかしているの、私が知らないと思っているのかね?」
「ねーえ、頼むよ、アンナ。これは僕にとってすごく大事なことだからね、君以外にはお願い出来ないのさ。ね、僕を男にしておくれよ」
「はいはい、分かりましたよ。見せてください、お嬢様」
「やたっ! ほらここ。ここの足の間のところを、こうガバッと開いてもらって。あ、そこはちょっとまずいから避けて。うん、慎重に」
「あー、はいはい、こうですね。それでここを、こうして。これならすぐ終わりそうだね。パパっとやってしまいますよ」
「うん、お願いっ」
アンナの指先が柔らかく、時に激しく上下左右する。
「さっ、終わりましたよ」
「おおっ、すごい、もう出来たっ。アンナの指はまるで魔法の指だねっ」
「本当に、このお嬢様は口が上手いんだから」
「―――アンナ、少し頼みたいことがあるのですが。……あら、そこにいるのはローズ? まだ学園に行っていなかったのですか? こんなところで一体何を?」
「あっ、やばっ」
母がドレスか何かを携えて洗濯室へ入って来たのは、ちょうど仕上がったばかりの衣服にローズが袖を通しているところだった。
「あら? 制服を脱いでいたのですか? 貴方もアンナに修繕でも頼ん、で―――っっ!? ロ、ローズ、貴方って子はなんてことをしたのっ!」
「大丈夫です、お母様。ちゃんと耐魔法術式が刻まれている部分は避けるようにしてもらいましたからっ。魔法学園の制服としての機能は保ったままですっ」
原作ローズも着用していた改造制服だ。ただしまだ初等部三年生ということで丈の短いハーフパンツバージョン。
一、二年生の間は悪目立ちを避けて自重していたが、学園生活にも慣れて味方も増えたことだし、ついに解禁した。
「アンナもアンナです。ローズの我がままに付き合ってっ」
「でもお嬢様、ローズ様によくお似合いじゃないですか」
「まあ、確かに。―――って、そういうことではありませんっ」
「それで、お嬢様も何か私に頼み事ですか?」
「あ、え、ええ。このドレス、すこし胸元が―――、って、だからそうではなくてっ」
「あー、これはお嬢様のサイズだとちょっと布が余りますね。ちゃちゃっと直しちゃいましょうか」
「え、ええ、お願い」
「…………それじゃあ学園に行ってきまーす」
母がけむに巻かれたところで、ローズはそろりそろりと洗濯室を後にした。
ちなみに先刻からのアンナの“お嬢様”はローズではなく母に向けられたものだ。
彼女は祖父母の代から仕える屋敷の最古株で、御年五十余歳。母の乳母も務めたとか。若い子達―――若いメイド達ならともかく、このアンナなら母の叱責も受け流すことが出来る。だからこそのローズの人選であった。
かくしてローズは着々とローズ・ド・ボーモンとしての道を歩み、着実に母との確執を深めていく。
帰宅後に結局大目玉を食い、それから数日が経って休日。
「行ってきまーす」
「ローズ、お待ちなさい。……またステュアート邸ですか? こんなに朝早くから」
屋敷を飛び出そうとしたところで母に呼び止められた。
「はい。あっ、使用人には伝えてありますけど、たぶんまたお昼をご馳走になると思うので、僕の分の用意は必要ありません」
「休日の度に毎度毎度、ご迷惑を掛け過ぎではないかしら?」
「いやぁ、大丈夫ですよ。エリカのお母様、お優しいし」
「まるでうちのお母様は優しくないとでも言いたげですね」
「いえいえ、そんなつもりじゃないですよ。お母様ったら変に邪推して、いやだなぁ」
「ふん、もう良いわ。さっさとお行きなさい。そのお優しい奥様の元へねっ」
「……行ってきまーす」
当初はエリカに対して敵愾心を露わとしていた母だが、何度か引き合わせるとその態度を軟化させた。むしろ貴族令嬢の理想の姿をエリカに見出したようで、いつものお小言に“エリカ・ステュアートさんを見習いなさい”と言う定番フレーズが加わることとなったくらいだ。
しかしエリカと遊ぶこと自体には反対しなくなった母だが、ローズがステュアート邸に赴くことにはやはり良い顔をしない。宮廷貴族の家と嘲る気持ちがあるのだろう。
気晴らしとばかりに、いつも出掛けにこちらの気分を害するようなことを言ってくる。
―――エリカのお父様とお母様なら、こんな嫌味みたいなことを言ったりせずに快く送り出してくれるんだろうなぁ。
年相応の反抗期の少女のような不満がローズの胸を過る。
「っと、いかんいかん、幼女のボディに引っ張られ過ぎだ」
前世分も加算すれば、母よりもローズの方がむしろ年長なのだ。
これでは“年相応の”ではなく“年甲斐もなく”と言うやつだ。しょせん小娘の戯言と、大人の余裕で受け流すべきだろう。
気を取り直し、ローズはステュアート邸へと足を速めた。
「―――ではエリカのお父様、お母様、お世話になりました。今日はお昼だけじゃなく、夕食までご馳走して頂き、ありがとうございました」
「はははっ、気にすることはないよ。君がいるといつもと違う娘の顔が見られるからね。私としても楽しいよ」
「も、もうっ、お父様っ」
今まさに“まったく図々しいのだから”と言わんばかりの実に冷ややかな顔をローズに向けていたエリカであった。
「でも、おうちの方は心配していないかしらね?」
「ああ、ボーモン家には一応使いの者を走らせたけど、今後は前もってご両親に許可を得てから来るんだよ」
「はい、おじ様、おば様。では失礼します。―――あ、おば様、お見送りは居間で結構ですので」
「いえいえ、病気じゃないのだから、少しは動かないとなのよ」
そう言って玄関先まで見送りに立ってくれたエリカのお母様はお腹が大きい。原作にもちらっと登場するエリカの弟、リオン君を身籠っているのだ。
宰相とエリカはさりげなく左右に寄り添う。
「それでは、お邪魔しましたっ」
理想的な家族の姿に見送られ、ローズは家路についた。
「―――ただいまーっ」
「……遅かったね、ローズ」
玄関を開けると、薄暗いホールに父が立っていた。
「ごめんなさい、お父様。いやぁ、エリカのお母様のお腹の子が、初めてお腹を蹴ったって盛り上がっちゃって。僕もお腹を触らせてもらいましたけど、何だろう、あー言うのを生命の神秘って言うのかなぁ」
興奮気味にそこまでまくし立てたローズは、初めて父の“少し黙っておきなさい”とでも言いたげな視線に気付いた。
「…………ローズ」
玄関ホールに母がのっそりと姿を見せた。
青白く恨めし気に、幽鬼のようなと言う表現がぴったり当てはまるたたずまいで。
「……お母様?」
「ローズ、出掛けに私は貴方が昼食をご馳走になることにも苦言を呈させて頂きましたね? 憶えていますか?」
「えっと、……はい」
“うるせえなぁと思っていました”とは当然口にしない。
「それが、夕食までご馳走になって、こんな時間になるまで。……私達が心配するとは思わなかったのですか?」
「いや、それは、……子供じゃないんですから、これくらい」
「貴方は子供ですっ。子供で、そして私達の子供ですっ。父が、母が、心配するとは少しも思わなかったのですかっ!?」
「うぐっ、でも、それは。……だって、赤ちゃんが」
「赤ちゃんが何だと言うのですっ。そんなにあの家のことが気になるのならっ、もうステュアート家の子になってしまいなさいっ!」
「―――っ、なっ、なんだよっ。お昼だけ食べて帰って来たって、どうせ嫌味言うくせにっ。僕が宮廷貴族の家に遊びに行くのが気に入らないんだろっ。けつの穴の小さいっ」
「けっ、けつっ!? ローズ貴方、どこでそんな汚い言葉をっ。まさかっ」
「“まさか”? なあに、それも宮廷貴族の家のせいにするつもり? ふんっ、お母様がそんなに狭量だとは思わなかった。そんなお母様よりっ、僕だってステュアート家の方が―――」
「―――ローズ」
父の決して大きくもなく、荒立てもしない声に台詞は遮られた。
「それ以上は良くない」
「でも、お母様が先に“ステュアート家の子になってしまいなさい”って」
「そうだね、さっきのはお母様も言い過ぎだったね。だから、ローズの門限破りとで今回はお相子だ」
「……門限なんて、僕聞いてません」
「ああ、確かに今まではっきりと決めてこなかった。これはお父さんも悪かったな。ごめんよ」
「お父様が頭を下げることじゃ……」
「でもね、ローズ、賢い君のことだから自分が言っているのがただの屁理屈だってちゃんと理解してるよね? 門限があろうとなかろうと、初等部三年生の帰宅時間として今日はどう考えても遅過ぎだって」
「……はい。ごめんなさい、お父様」
「謝るのは僕にだけかい?」
「お母様も、ごめんなさい」
「…………」
「リリ?」
「……はぁ、もう良いです、分かりました。ローズ、いつまでもそんなところに立っていないで、早く中へ入りなさい」
「はい」
こうして父の尽力でその場は丸く収まった。
が、この日出来た母と子の溝は埋まることなく、いつまでも残り続けることとなる。




