第98話 王子様系TS少女は母との過去に思いを馳せる その4
「それじゃあ、―――行ってきます、お父様」
大きな手提げ鞄を一つ抱え、ローズは屋敷を振り返る。
「……本当に出て行くのかい、ローズ?」
「もうっ、今さらそれを言いますか、お父様。下宿先のアパートメントの契約にも、家具の運び込みにも、ご近所さんへのご挨拶にだって、全部立ち会ってくれたじゃないですか」
「そうだったね。だけどやっぱり、屋敷を出る必要はないんじゃないのかな、ローズ? 君はまだ十五歳で、学生の身だ」
高等部進学を機にローズは独り暮らしを望み、両親を説き伏せることに成功していた。が、転居当日になって父がごねる。
「魔法学園の生徒でも平民の子や、王都に屋敷を持たない貴族の子達は六歳からすでに寮暮らしで自らを律しています。十五歳はむしろ遅過ぎるくらいですよ。親元を離れ、僕ももっと自分を追い込まないと。下宿先は学園にも近くなりますし、今は少しでも勉強に集中出来る環境に身を置きたいんです」
「しかしね、学園に近いと言ったって、歩いて十分二十分の違いだろう?」
「それはそうですが、エリカに勝って首席に着くにはその十分二十分が惜しいんです。学園も残すところ三年。勝負の機会もあとわずかですから、悔いだけは残したくないんです」
「次席じゃ駄目なのかい? 僕はそれだって十分に君を誇らしく思っているよ」
「それは……」
聞いたようなフレーズを父は口にする。
どこかの政治家辺りの発言なら大バッシングを受けそうだが、実のところローズ自身“勉強に集中するため”とか“首席になるため”とかは建前以外の何物でもないので、とっさに上手い反論が思い浮かばない。
本当はただ上京したいだけなのに“あの大学の教授が”とか“この学問はあの大学でしか”とか大袈裟に主張しているようなものなのだ。
「―――あなた、あんまりローズを困らせてはいけませんよ。娘の門出を立派に見送ってあげましょう」
母が屋敷から姿を見せた。
「お母様。見送りに出て来てくれたんですね」
「母を何だと思っているのですか。娘の旅立ちに、玄関先に見送りにすら出ない冷たい女とでも?」
「は、はははっ、そんなことは」
“思ってました”とは口にしない。
「母さん、本当にローズを送り出して良いのかい?」
「ええ、ローズは魔女としてはすでに私よりも上。この子がそうする必要があると言うのなら、従いましょう」
「いやいや、僕の方が上だなんて、そんな。火魔法ではまだまだお母様に適いません」
「火魔法“では”と言う辺り、貴方も自分の方が上だと思っている証拠ですね」
「もう、やだなぁ、お母様は。そうやってすぐ僕の言うこと邪推するんですから」
「まったくしらじらしいこと。いったい誰に似たのかしらね」
冷たく突き放すように母は言う。
最近では母子の会話はいつもこんな感じだ。
「ではお父様、お母様、行ってまいります」
「ええ、いってらっしゃい、ローズ。…………ちょっと、あなた」
「あ、ああ、行っておいで、ローズ。寂しかったらいつでも帰って来て良いんだからね。ああ、そうだ、食事は毎食うちで取ることにしてはどうかな? うん、それが良い。もうすぐ夕食の時間だから、食べていきなさい。ああ、でもそれだと夜道を歩かせることになるな。うん、それならいっそ今日は泊まっていきなさい」
「あなたっ」
「―――っ、あ、ああ、分かっているよ、母さん。それじゃあローズ、行ってらっしゃい」
「はい、お父様。では―――」
高等部一年の春、こうして両親との生活は終わりを告げた。
以来、実家には数ヶ月に一度顔を見せに行くだけとなった。父は寂しそうだが、母との関係はこれくらいの方が良い。
離れて暮らしている分には、学業成績優秀で学園長である女王の覚えもめでたいローズを、母も自慢の娘と受け入れられる様子だった。
「んん~」
ローズが母との確執に思いを馳せている間に、黒ブチのウサギさんがこっくりこっくりと舟をこぎ始めた。
「テレーズ、もうおねむみたいだね。明日もあるんだし、今日はもう客室に戻って眠ろう?」
「うー、まだローズと遊ぶの」
そう言いつつも、テレーズの小さな体は前後に大きく揺れ続けて危なっかしい。
「よし、じゃあこの部屋のベッドでちょっとだけ仮眠するかい?」
「んー? んっ」
小さく肯いたのを確認し、お姫様抱っこで寝台まで運んだ。
「はい。目が覚めたら、また遊べばいいからね」
横たえ、布団を掛けてやる。
ほぼ間違いなくこのまま朝までぐっすりだろう。ローズの下宿先でのお泊り会で見られる、いつもの流れだ。
「んー」
テレーズが右の頬を突き出してくる。軽く口付けると、今度は左の頬にも。
「んっ」
いつもならお返しの口付けがローズの頬に贈られるところで、テレーズは顎をくいっと持ち上げ、なおも待ちの構えを取る。
「…………それは君の将来の恋人に取っておこうか、テレーズ」
長い長い葛藤の末、ちょんっと小さな唇に指先を当てて言う。―――ロリ美少女のキス待ち顔の破壊力ヤバい。耐えた自分を褒めてやりたい。
「むー」
「さっ、おやすみ、テレーズ」
不満げに唸る彼女の額に代わりの口付けをすると、布団の上から軽くポンポンと叩いて寝かし付けに掛かる。
テレーズはしばらく愚図るも、さすがに旅の疲れが溜まっていたのだろう。すーすーと寝息が聞こえて来るまでそう時間はかからなかった。
「んんっ、ママぁ」
むにゃむにゃと口元を歪め、早くも寝言まで漏らす。
赤子の頃のことは分からないが、この一年に限れば臥所を共にした回数はルイーズよりローズの方が多いだろう。それもダブルスコアを付けるくらいに断トツで。
それでも就寝中に夢見るのは母親なのか。ルイーズに対するちょっぴりの嫉妬と、自らの母に対するわずかな罪悪感。
自分の夢に母が出ることはない。いや、一緒に暮らしていた頃は怒られる夢などはたまに見ていたか。
「……さて、ここからは大人の時間かな」
一度優しく銀の髪を撫で付けると、そっとベッドを離れて同い年組の元へ戻る。
四人は何やら息を殺してこちらの様子を伺っていた。
「ローズ、いっつもテレーズをあんなふうに寝かし付けてるわけ?」
「ありゃ、見られていたか」
「そりゃ見るわよ。目の前であんなにいちゃつかれたら。あたし、あー言うの良くないと思うな。ほ、ほっぺにちゅーとか、テレーズにはまだちょっと早いと思うな」
「ははっ、テレーズにはちょっと早い、か。じゃあ四つ年上のお姉さんなトリアにだったら早くはないってことかな?」
「そ、それは」
トリアは顔を真っ赤に染めてうつむいた。
「ふふっ、ジャンヌならどうかな?」
「うえっ、わ、私ですか?」
自分に矛先が向くとは思っていなかったのだろう。油断した様子のジャンヌに話を振る。
「えとえとっ、そ、そうですねっ。わ、私はそのっ、て、適齢期かと!」
「まったく、なにを言っているんだか」
エリカは呆れ顔だ。
「アンリは、―――そうか、孤児院の弟や妹達相手に、こういうのは慣れているのかな?」
「えっ、いやいや、寝かし付けはしますけど、ちゅ、ちゅーなんてしませんよ」
「え~、ほんとに? 僕だったら、こんなに綺麗なお姉ちゃんがいたら絶対おねだりしちゃうけどなぁ」
「ほ、ほんとうですって。そりゃあほっぺとほっぺくらいなら、妹達にせがまれてしたことありますけどっ。そもそも僕は男、―――として育てられましたからね。男女でそういうのは良くないし、男同士だとそういうことをまずしませんからっ」
「ふ~ん、そっかそっか、そうすると君の唇はまだ誰のものでもないわけかぁ」
言いながら目を向けたのは瑞々しくピンク色の蕾。厚過ぎず薄過ぎず、されどぷっくりとした張りを感じさせる。
「ちょっと、目がやらしいわよ、ローズ」
「ローズさん、女性同士でもセクハラは成立するんですからね」
「ローズ様、劣情をもよおしたのでしたら、てっ、適齢期の私がおりますが」
「あっ、こら、ジャンヌっ、余計なこと言わないの。ローズ、本気にするわよっ」
「べ、別に本気にして頂いても構わないかなぁ、―――な、なんて」
「ちょっと駄目よっ、そんなのっ。今回はあたしがお姫様なんだからっ」
「あーもう、これ、どう収拾をつけるおつもりですか、ローズさんっ」
ボーモン領で過ごす一日目の夜は実に賑やかに更けていった。




