第85話 王子様系TS少女はお嬢様の危機に飛び付ける
「衛兵さんっ、何かあったんですか?」
「君はお嬢様のご友人の、アンリ君だったか」
アンリが兵士に声を掛けた。負傷しているのとは別の兵士で、集まって来た民衆に応対している者の一人だ。
「いったい何が?」
「いや、私も同行していたわけではないので、まだ詳しいことは分からないのだが……」
兵は目を逸らし、言葉を濁す。
「同行、と言うことは見回りに出たグレース嬢達に何かありましたか?」
「……君は?」
「失礼。アンリの友人でローズ・ド・ボーモンと申します」
「ボーモンと言うと、確か」
「はい。ボーモン伯爵家の一人娘で、ファリアス魔法学園の生徒です」
「やはり。伯爵家の御令嬢でしたか」
今は自前のジャケットを着込み、見目好い白馬まで連れているから衛兵はすんなりとローズの立場に理解を示す。
「衛兵さん、何があったかお聞かせ願えませんか?」
「……見回りに出た隊が襲われ、兵が二人負傷しました。お嬢様が魔物を引き付けてくれたお陰で、幸いにして兵は離脱出来たのですが」
「お嬢様がお戻りにならないと。兵とグレース嬢がはぐれた場所は分かりますか?」
「この街道を東に三キロメートルほど進んだところだそうです。ただ、お嬢様は魔法を撃ちながら走り回られる変わった癖がありますので、今もその場所にいるかどうか」
「なるほど、なかなか勉強熱心なお嬢様みたいですね」
最近の魔法学園での流行り、ローズ考案の機動戦を取り入れていると言うことだ。学園に通っていない地方領主の縁者にしては実に熱心な取り組みと言えよう。
「ありがとうございます、状況はよく分かりました。…………アンリ、ちょっと」
衛兵に頭を下げ、今にも飛び出して行きそうな顔のアンリの手を引いて道の脇へ寄った。
「ローズさん、早く助けに行きましょうっ。手を貸してくださいっ」
こちらが切り出すより先に、アンリがにじり寄って来て言う。
「もちろん、そのつもりだよ。でもまずは、彼女の今の正確な位置が知りたい。負傷した兵がここまで戻ってるってことは、グレース嬢もそうとうに移動してる可能性が高いからね。アンリ、探索魔法は覚えてるよね?」
「―――っ。はいっ」
ジャンヌに無属性魔法を仕込んでいる時に、一緒にいたアンリとトリアにもついでに教えておいたのだ。
「それじゃあ使ってくれるかい、めいっぱい魔力を込めて」
「僕が、ですか? ローズさんがやった方が確実なんじゃ?」
「探索魔法の効果範囲は込めた魔力の量に依存するからね。僕じゃ全魔力を注ぎ込んでも半径三キロってところさ。衛兵さんに聞いた場所でぎりぎりだね。グレース嬢がこちらへ近付いて来てるなら良いけど、もし遠ざかっているなら僕じゃ無駄に魔力を消費するだけさ」
「わかりました。なら、ありったけの魔力を込めて。――――――。――――。―――――」
アンリが詠唱を開始する。失敗を避けるためだろう、省略することなく一から全ての呪文を唱え上げていく。
「――――。―――。“探し、索めよ”」
「―――っ!? これがアンリの全力の魔力かっ」
本来ならよほど敏い者や意識を集中している者にしか感じ取れない無色透明無害な魔力の波が、すぐ隣から発されたと言うこともあってまるで荒波のようにローズを打ち付けて行った。
魔法の素養のない男性兵士や集まって来た人々も何やら不審そうな顔できょろきょろと周囲を見回し、ローズの愛馬はブルルと鼻を鳴らし、そこかしこで鶏や犬が忙しなく吠え始める。
魔力はアンリを中心に同心円状に広がり、他の強い魔力にぶつかると反響し跳ね返ってくる。それを感知することで周囲の魔力を探るのがこの魔法だ。
「…………見つけましたっ。あちらの方角っ、約五キロに強い魔力の反応が三つっ。一つは何だか懐かしい感じ、たぶんグレースですっ」
しばし瞼を閉じ意識を集中していたアンリは、かっと目を見開いてその方角を指差す。その身体がふらりと傾くのを、ローズは抱き止めた。
「魔力切れみたいだね。大丈夫かい?」
「僕のことよりグレーズを早く助けに行きましょうっ。あの方角には森がありますっ。たぶんグレースはそこです」
アンリが指し示す先に、小さく濃い緑色が見える。街道からは北に大きく逸れている。
「分かってるよ。でも魔力切れの君はここでお留守番だ。ここからは僕に任せて、休んでいて」
「いや、でもっ」
「足手まといになる、って言えば納得してくれるかい?」
「―――っ。……はいっ」
「衛兵さん、ちょっとすいませんっ。アンリをお願いします」
手招きで呼び寄せた先刻の兵士にアンリの身体を委ねる。ぎりぎりと歯ぎしりするほど口惜しいが。
「アンリ君、いったいどうしたんだい?」
「えっと、その」
「幼馴染を案じるあまり、ちょっと気が動転してしまったようで。あ、あとちょっと剣をお借りしますね」
言って、返答を待たず兵士が腰に佩いた鞘から剣を抜き取る。
「あっ、勝手なことをされては」
「――――――。――――。―――――――。“飛翔”」
「お、おおうっ」
有無を言わせず、浮かび上がった。五キロくらいなら飛んで行っても魔力がもつ。
「それじゃあアンリ、行ってくるよ」
「ローズさん、二つの魔力はグレースよりもずっと大きいですっ、お気を付けて」
「うん、任せておいて。それじゃあ衛兵さん、剣はお借りして行きます。あ、あと僕の馬を見ておいてくださいっ」
やはり兵士の返答は待たず、飛び去った。
テレーズやルイーズ所長ほどの速度は出ないが、飛ばしていく。見る間に小さかった濃緑が大きくなる。
近付いてみると、そこは確かに森と呼ぶに十分な広がりを有していた。樹間から人ひとりを探し出すのは相当に難儀しそうだが―――
「見えたっ」
―――幸いにして目的の人物自体が良い目印となってくれていた。
「ひっ! ひいっっ!」
グレースは森の木々よりさらに十数メートル高い位置に浮いていた。短い悲鳴を上げているのは、足元ギリギリのところを時折り石槍が掠めていくからだ。
“飛翔”は学園生でもないあの年頃の少女には使えないだろうから、“浮遊”だろう。
対象―――この場合はグレース自身―――を浮かび上がらせる風魔法で、例えば重い物を牽引するときなどに用いられる地味に汎用性の高い魔法だ。が、今のグレース嬢のように周囲に何の手掛かりも無い状況だと本当にただ風に揺られ漂うだけとなる。
魔物達はそんな事情を知ってか知らずか、木々を這い登り距離を詰め、身動きの取れない彼女を投げ槍で狙っていた。
―――好機。
魔物の視線はグレースに釘付けになっており、ローズの接近にはまだ気付いていない。
「まずは一匹っ!」
「―――ッ!?」
飛翔の勢いそのままに、今まさに槍を振り被っている一体の背後から剣を突き立てた。
魔物は悲鳴を上げバタバタと手足を暴れさせるも、ぐりっと剣の柄を返すとびくびくっと身体を痙攣させた後、大人しくなった。
「うんっ、魔物図鑑で読んだ通りだ。心臓の位置も、斜め下方向から突き上げるようにすると硬い鱗の間に剣が滑り込んでくれると言うのも。―――っと」
脱力した魔物の肉が、刃をからめとったまま重力に引かれ落下する。さすがに抗えず、ローズは剣を手放した。
魔物の身長はローズとほとんど変わらないくらいだが、人間の胴体ほどの太さもある“尻尾”まで含めた体長ならローズの倍だ。体重となると倍どころでは無いだろう。
グレース嬢を襲っていた魔物は、蜥蜴人。
早い話が二足歩行の巨大なトカゲである。ファンタジーでは定番と言って良いモンスターの一つだ。作品世界観によっては高い知能を持ち、人類と友好関係にある亜人種として扱われることもあるが、まほ恋世界におけるリザードマンは完全なる魔物であり、“魔女殺し”の異名で知られる人類の敵性生物である。
「本来こんなところで姿を見る魔物じゃないはずだけど、……考えるのは後だな。―――グレース嬢、無事かいっ!?」
「はっ、はいっ! え、えっと、貴方は確か、先ほどアンリと一緒にいた。って、貴方っ、飛んでるっ? まさか飛翔魔法っ!? と言うか、女性の方でしたのっ?」
「とりあえずちょっと落ち着いて。もう一体も片付けちゃうから、浮いたままもうしばらく待っていてもらえるかい?」
「はいっ! ああっ、いえ、お待ちくださいっ。私、もう魔力が、―――きゃっ」
その瞬間、中空にあったグレース嬢の体がぐらりと揺れ、―――真っ赤なドレスをばたつかせ落下した。




