視えてる世界(フリードリヒ)
三人称になってます。
「はい、嘘つき!」
軽快な声がその場の澱んだ空気に響き渡った。
石の壁に囲まれた古めかしい小さな部屋。木のテーブルに対面するように並べられた椅子の片方には、手枷を付けられたボロ切れを纏った囚人のような男。もう片方には、この国の騎士の隊服をキッチリ着こなした厳つい男が座っていた。
「嘘、全部嘘。本当の事なんて何一つ吐いてねえぜこいつは」
他にも厳重警戒の為に2人ほど騎士団服を着た男がいたが、隅に座った銀髪の少年はシャツとズボンの軽装。だが彼は、場に似つかわしくないくらいの朗らかな声で、囚人の供述をバッサリ切り捨てた。
「そんな……っ!全て本当の事だ!なんの根拠があって」
「根拠?んなもん必要ねえよ」
「なっ……」
手枷を鳴らした囚人は虚をつかれたように眉間に皺を寄せる。銀髪の少年は、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「解るんだよ俺にはな。嘘か真実かが」
「んじゃあまた俺の力が必要になったら言ってくれ」
「はっ。ありがとうございます」
「いいってことよ」
キッチリ90度でお辞儀をした騎士団の団員にヒラリと手を振った銀髪の少年は、堂々と王城内を歩く。切れ長の紫の眼は、自身とすれ違う際に礼をとる使用人達を興味なさげに見渡していた。
どこか野性味を感じさせる雰囲気をしているのに、歩く姿は気品に満ちている。シャツと黒のズボンというシンプルな格好が、また彼の魅力を最大限に引きしていた。
ーーリーゼンバイス王国、首都ヴィレーム。ヴィレーム王城。
彼の生まれた地であり、彼の家。銀髪の少年はリーゼンバイス王国内で最も尊い血筋ーーリーゼンバイス国王の嫡男だった。
フリードリヒと名付けられた少年は、生まれながら王太子、ゆくゆくは国王の座を約束されていたのである。そして彼自身、己の生まれを十二分に理解していたし、リーゼンバイス王国を継ぐことも嫌ではなかった。
「兄上!」
「……ん?ああフレデリクか。どうした?」
背後から嬉しそうに自分を呼ぶ声に、フリードリヒはニカッと笑って応える。フリードリヒと同じ色彩を持つ異母弟は、まるで子犬がじゃれるように彼の元へ喜び勇んでまとわりついた。
「兄上おかえりなさい!王国立学院に通われていたと聞きましたが、ベルンハルト王国はいかがでしたか?」
キラキラと目を輝かせながら話を強請る姿に、フリードリヒは少し苦笑する。自分の執務室に弟を案内する彼とフレデリクの姿は、異母兄弟とは思えないほどよく似ていて、仲がよかった。
「まあ、楽しかったな。リーゼンバイス王国でしか学べない事もあるように、ベルンハルト王国でしか学べない事もあったって感じだ」
「僕も御一緒したかったです!」
「ははっ、いつかな」
フリードリヒは執務室に入る前、近くにいた侍女にお茶と茶菓子を持ってくるように命じながら、まだまだ背の低い弟の頭を撫でる。執務室の扉が閉まり、二人きりになった瞬間、まだ幼いフレデリクのキラキラとした紫の瞳が急に陰った。
「でもベルンハルト王国はリーゼンバイス王国に喧嘩売ったようなものだから僕達にとっては今は敵……ですよね?」
幼くともリーゼンバイス王国の第二王子として生を受けたフレデリクは、賢い事に自分の立場が分かっていた。だからこそ二人きりになった途端、フレデリクは本音を現す。
「こら。滅多な事を言うんじゃねえ。それにベルンハルト王国を俺達は敵視なんてしてねえよ」
「でも叔母様は王妃なのに除け者扱いされて、リーゼンバイスの血を引く令嬢は殺された。こんなに馬鹿にされて黙ってるんですか?!」
「落ち着け」
「いっ……?!」
ギュッと眉間に皺を寄せたフレデリクの額をフリードリヒは中指で軽く弾いた。
痛くはないだろうが、驚きでよろめいたフレデリクは納得のいかない顔でフリードリヒを見上げる。
「あのな、俺だって愛国心はあんだよ。でもどの道が一番リーゼンバイス王国にとって富をもたらすか……その最適解を俺は視ただけだ」
「最適解……?」
「ベルンハルトは敵にしちゃあいけねえ。まともに戦って勝てる相手じゃねぇ。……特にアルフレッド・ベルンハルトは」
「アルフレッド・ベルンハルト……」
面白くなさそうな声でフレデリクは言ったが、フリードリヒは言い含めるように言葉を重ねる。
「絶対に手を出すんじゃねえよ。あれは軍神の血を引くベルンハルトの王族、しかも相当濃い血を継いでいる」
「軍神の……」
「俺達とは分野が全く違うんだよ。……何故バイゼン皇国がベルンハルト王国を含めて他方に侵略して負けても、その皇国自体がなくならなかったか分かるか?」
「飢えた大地など、誰にも必要ないからでは、ないのですか……?」
「違うな。砂漠だろうと領土は領土。いかようにも使い道はあるだろ」
フリードリヒの言葉にフレデリクは目を見開く。
今までどうしてその答えを導き出せなかったのか、どうして思いつかなかったのか分からないといったように。
「たし……かに……。なんで僕は今までそんな簡単な事が気付かなかったんだ……?」
愕然とした声で頭を抱えたフレデリクに、フリードリヒは静かに言った。
「それが答えだ。バイゼン皇国は不毛の大地、あの土地は呪われてんだ。長年の怨念が込められてる。故に誰しもが理由を付けて忌避すんだよ」
「呪われた大地……」
「ベルンハルト王国は軍神の国。戦に向かえば敵無しの国だ。だが何故今までの歴史の中で一度として大陸を統一しようとしなかった?」
「それは……」
「リーゼンバイス王国は智神の国だ。俺達はいつだって全てを視てる」
フリードリヒは少しだけ腰を落とし、フレデリクとお互いの紫眼の位置を合わせる。
「怒りに囚われるんじゃねえ。慧眼は平静の時に開かれる」
タイミング良くノックの音がし、フリードリヒは腰を上げながら入室の許可を出す。室内に入ってきた侍女がお茶の準備をしている為、何も言い出せないフレデリクは微妙な顔をしていた。
フレデリクには何も視えない。
フリードリヒとフレデリクが見ている世界は全く違うのだ。
フリードリヒには昨日の事のように感じられる、ベルンハルト王国での留学生活。
元々はリーゼンバイス王国でアルフレッドが学んでいたのだが、留学に来た彼と会った時に視えたのだ。
アルフレッドに絡み付こうとする赤い糸が。
別にそれを教えてやる義理はないのだ。全く。
アルフレッドとフリードリヒの“友人”という関係は、お互いの立場と国交関係の上に成り立つもの。言い換えると、立場や国交関係のどちらかが悪くなれば、すぐに壊れてしまう程の脆い関係。そこに情など必要ない。
だから、ベルンハルト王国立学院に来た時もあちらこちらの人に絡み付く赤い糸の存在を、フリードリヒは誰にも明かさなかった。
アルフレッドはフリードリヒを観察眼が鋭い、あるいは勘がいいと思っていたようだったが、そんな事は全くない。全部視えていただけだったのだ。
さらにフリードリヒは、自身に絡み付こうとする赤い糸に囚われたフリをしたのである。
別にベルンハルト王国を裏切ろうとする気はない。ただ自分の、リーゼンバイス王国に害を及ぼさない範囲で動いただけだ。
ベルンハルト王国の王族があの赤い糸で傀儡にされようが、リーゼンバイス王国には大して害はない。リーゼンバイス王国の王族に連なる王女や令嬢が犠牲になるだろうが、王侯貴族に生まれたからにはそれ相応の責任が伴う。
それに、フリードリヒには視えていた。
アルフレッドは大丈夫であろうと。
「……それにしても、アルフレッドは役者だったなあ。頭の悪い傀儡の振りをするのは中々骨が折れたぜ」




