第4話「悪役令嬢、新天地を選ぶ」
王立学園に入学してから、もうすぐ三年になる。
……三年。
ゲームなら周回プレイで何度も通り過ぎた期間だけれど、実際に過ごしてみると、これがなかなか濃かった。
朝から夕方まで授業を受け、夜は課題を片づける。
休日には図書室で資料を漁り、ときにはカレアと街へ出て、商人の話を聞くこともあった。
もちろん、すべては生存戦略の一環である。
原作『薔薇と麦穂のレガリア』では、この三年間でアデルミリアが主人公のカレア・ノルヴィエに嫌がらせを重ね、せっせと破滅への道を舗装していた。
ところが今の私は、そんな工事に着手するどころか、カレアと仲良く勉強していたのだから、現実はゲームより奇なり、である。
「アディ様。こちらの資料、先ほどの授業と照らし合わせると面白いですよ」
「まあ、どれですの?」
差し出された資料に目を落とす。ある地方の収穫量と人口の推移が、年ごとに細かくまとめられていた。
「同じ年に不作になっているのに、人口が戻る村と戻らない村があるのですね」
「はい。税の扱いだけでなく、働き手が帰ってくる理由も調べてみたいです」
「いいですわね! では、私はこちらの記録を探しますわ」
最初は私の顔色をうかがってばかりだったカレアも、今では遠慮なく意見を言ってくれる。
ただし、呼び名は相変わらず「アディ様」だ。三年間、一度も「様」が取れなかった。惜しい。
でも、意見が違えばきちんと反論してくれるのだから、友人としては十分だろう。
(家康流、敵を増やさず味方を増やす作戦。ひとまず大成功ですわ!)
そしてもう一つ。
私はカレアとレオヴェイン殿下が自然に話せるよう、できる範囲で機会を作ってきた。
学園の行事や講評会で顔を合わせれば、二人の会話を邪魔しない。もちろん露骨な仲人はしない。婚約者の私が急にそんなことを始めたら、さすがに不審すぎる。
それなのに、殿下は会うたび私にも丁寧に声をかけてくださるし、教員や生徒の間でも妙に評判がいい。
(あれ? 悪役令嬢の悪評を消したかっただけなのに、なんだか高評価が積み上がっていますわね……?)
まあ、評判が悪いよりはいい。処刑への道は、今のところ見えないのだから。
*
卒業を目前に控えたある日、私たちは大講堂に集められた。
議題は、卒業後の王家直轄領への赴任について。
成績や適性を認められた卒業生は、王家から領地を預かり、三年間の統治実績を積むことができる。
自分のものになるわけではない。任期が終われば、その成果を評価される仕組みだ。
説明役の教員が、二種類の募集枠について話し始めた。
「通常枠は、すでに統治の基盤が整った領地を担当するものです。特別枠は、産業の衰退などで立て直しが難しい領地を対象とします」
講堂に、微かなざわめきが起こった。
「どちらも任期は三年間です。希望は提出できますが、最終的な任地は王家の審査によって決定されます」
隣の席のカレアが、真剣に説明を書き留めている。
私はというと、危うく立ち上がりそうになっていた。
(来た……! ついに来ましたわ、領地経営編!)
原作では、学園の成績だけでなく築いた人脈も駆使して、赴任先を発展させる。
恋愛SLGのはずなのに、農業も物流も財政も考える必要がある、実に歯ごたえのあるゲームだった。
しかも特別枠。
難しいのに任期は通常枠と同じ。始めから資金も人口も足りない。普通なら避けたい条件だ。
(つまり、マゾゲーマーである私の大好物ですわね!)
その日の午後、私は配布された領地一覧を机いっぱいに広げた。
交易で栄える町。作物の豊かな平野。古い鉱山を抱える山間地。どこも魅力的だが、もう少し、こう……骨のあるところが欲しい。
「アディ様、ずいぶん楽しそうですね」
「ええ。ほら、ここなどいかがです?」
私が指さしたのは、一覧の後ろの方に載っている小さな領地だった。
山麓から平地へと広がる扇状地。いくつかの農村が点在し、人口は少ない。
問題は土壌だ。砂や小石が多く、雨や川の水が地中へしみ込みやすい。農業に使える水を安定して確保できず、収穫は年を追うごとに落ちていた。
商業の中心地もなく、目立つ特産品もない。
添えられた評価には、控えめな表現で「短期的な改善は困難」とある。
(素晴らしい! この容赦のない初期条件!)
「……アディ様?」
「えっ、ああ、ごめんなさい。少々見入ってしまいましたわ」
「こちらは特別枠ですね。農業が衰退しているうえ、用水の確保も難しいと……」
「だからこそ、面白そうだと思いませんこと?」
カレアは一度資料に目を落とし、それから静かに私を見た。
「面白い、ですか?」
しまった。ゲームの難易度を見たときの感想が、口から出た。
ここは画面の中じゃない。水が足りなければ、実際に困る人がいる。
「……挑戦しがいがある、という意味ですわ。もちろん、軽く考えてはいません。この土地で暮らす方々が、三年後に少しでも安心できるようにしたいのです」
言い直すと、カレアは安心したように微笑んだ。
「それなら、アディ様らしいと思います。でも、どうか無理はなさらないでくださいね」
「ふふ。ありがとうございます」
忠告してくれる人がいるというのは、ありがたい。
私は特別枠の希望書に、その土地の名前を書き込んだ。
*
数日後、王宮から呼び出しがあった。
てっきり希望書の不備かと思ったら、お相手はレオヴェイン殿下だった。
殿下は私たちより一学年上で、すでに学園を卒業している。今は王家の公務を学びながら、直轄領の報告にも目を通しているらしい。
「アデルミリア。君の希望書を見せてもらったよ」
「まあ。お忙しいところ、ありがとうございます」
「特別枠を希望するとは聞いていたけれど、ここまで条件の厳しい土地を選ぶとは思わなかった」
机の上には、見覚えのある扇状地の地図。
「もっと安定した領地もある。君なら通常枠でも十分に成果を上げられるだろう。どうして、ここなんだい?」
ごもっともな質問だ。
正直に「高難度プレイが好きだからですわ!」と答えたら、婚約者の精神状態を心配されそうである。
私は一度息を整えた。
こんなときに思い出すのは、やはり徳川家康だ。
天正十八年、豊臣秀吉の命令で関東へ移った家康。それまで治めてきた土地を離れ、新たな土地と人々をまとめ上げることになった。
しかも、移封を命じられた側にとって、単純に喜べる話ではなかった。
新たな本拠となった江戸も、後世の大都会とは程遠い土地だった。城の周囲には入り江や低湿地が広がり、町を整えるだけでも大変な苦労が必要だったという。
けれど家康は、江戸を拠点に関東での支配を固め、後の大きな力につながる土台を築いていった。
もちろん、広大な関東を与えられた家康と、小さな農村を自分から選ぶ私では事情が違いますけれど。
(湿地が広がる江戸に、水が地中へ逃げてしまう扇状地。問題は正反対ですけれど、悪条件からの立て直しという点では同じですわ。ふふふ、腕が鳴りますわね!)
それでも、学べることはある。
土地の価値は、今そこにあるものだけで決まるわけではない。
「殿下。私は、恵まれた土地で成果を上げるよりも、困難を抱えた土地で何ができるのか、試してみたいのです」
「試す?」
「ええ。もちろん、領民の暮らしを賭け事のように扱うわけではありませんわ。困っている方々の話を聞いて、できることを一つずつ積み重ねたい。三年では全部を変えられなくても、次につながるものは残せるはずです」
話しながら、自分でも少し意外に思った。
ゲームなら、三年で数字をどこまで伸ばせるかを真っ先に考えるのに。
今は、そこに住んでいる人がいることを、どうしても忘れられない。
殿下はしばらく地図を見つめ、それから顔を上げた。
「……三年前の君からは、想像もできない選択だね」
「そうでしょうか?」
「前なら、王子の婚約者としてふさわしい、もっと華やかな場所を望んでいたと思う」
ぎくり。
元のアデルミリアさん、ご期待どおりの反応をしていたらしい。
「ですが、今はこのように考えておりますの」
「ああ。それが嬉しいんだ。王家にとっても、困難な領地を引き受けてくれる人は貴重だからね」
殿下は穏やかに微笑んだ。
……またしても、何かの評価が上がった気がする。
(私は婚約者としての点数ではなく、領地経営の難易度を上げたかっただけなのですけれど!)
とはいえ、最終的な任地を決めるのは審査だ。殿下に褒められたからといって、採用が確定したわけではない。
私は礼を述べ、結果を待つことにした。
*
そして卒業の日。
希望は認められ、私は例の扇状地を預かることになった。
卒業証書よりも先に赴任先の資料を読みたかった、と言ったらカレアに呆れられそうなので、さすがに黙っておく。
「アディ様!」
式を終えたところで、聞き慣れた声が私を呼び止めた。
「カレアさん! そちらも決まりましたの?」
「はい。実は……アディ様の領地のお隣を希望して、認めていただけたんです」
「お隣!?」
思わず声が裏返った。
カレアは少し恥ずかしそうに、抱えていた書類を見せてくれた。
確かに、私の領地の隣だ。同じ川の下流側に位置する、小さな直轄領。隣接しているとはいえ、課題も産業もまったく同じではないらしい。
「もちろん、アディ様のお近くだからという理由だけではありません。こちらにも、学園で学んだことを生かせる仕事があります。でも……」
「でも?」
「困ったときに相談できて、お互いの領民のために力を合わせられたら、きっと心強いと思ったんです」
胸の奥が、じんわり温かくなる。
ああ、もう。本当にいい子だ。
原作では私を破滅させるはずだったヒロインが、私の隣で一緒に頑張りたいと言ってくれている。
「もちろんですわ! こちらこそ、ぜひ協力させてくださいまし!」
「はい、アディ様!」
カレアの笑顔が、春の日差しの中でぱっと輝いた。
織田・徳川同盟から始めたつもりの私の生存戦略は、いつの間にか卒業後まで続く約束になっていた。
その夜。
自室で地図を広げていると、オルデリクが茶を運んできた。
「お嬢様。ご赴任先が正式に決まったそうで。おめでとうございます」
「ありがとう、オルデリク。見てくださいな。こちらが私の領地で、隣がカレアさんの領地ですの」
「……ノルヴィエ嬢も、隣接する土地を?」
「ええ! 頼もしいでしょう?」
執事は片眼鏡に指を添え、すぐにいつもの微笑みを浮かべた。
「ですが、お嬢様。王子殿下のご婚約者が、三年間も王都を離れて難しい土地の再建に追われるとなれば……。殿下とのご交流や王都での人脈に、差し障りが出かねません」
「だからこそ、やってみたいのですわ。豊かなところだけが栄えても、王国全体は豊かになりませんもの」
「……ご立派なお志でございます」
少し間があった気がするけれど、気のせいだろう。
「それと、お嬢様。ご迷惑でなければ、私も赴任先へお供したく存じます。身の回りのお世話だけでなく、必要な手配もお任せください」
「まあ、心強いですわ! ぜひお願いします」
オルデリクは深々と頭を下げ、部屋を出ていった。
私は改めて地図に目を落とす。
山から流れ下る一本の川。砂礫の多い農村を抜け、その先はカレアの領地へと続いている。
問題は山積みだ。水は足りない。人も少ない。三年という時間も、決して長くない。
けれど、頼れる友人がいる。これから出会う領民たちもいる。
(家康だって、新天地を一日で築き上げたわけじゃありませんものね)
まずは現地へ行こう。何が必要か、そこで暮らす人の声を聞いてから考えよう。
「さあ、ここからが本番ですわ!」
私は二つの領地をつなぐ川の上に、そっと指を置いた。




