第3話「悪役令嬢、頭を下げる」
王立学園に入学して、数か月。
私の学園生活は、今のところ驚くほど順調だった。
原作『薔薇と麦穂のレガリア』では、そろそろアデルミリアがカレア・ノルヴィエに嫌がらせを始める時期だ。けれど、そんな暇があったら、私は一つでも多く授業を受けたい。
政治に経済、外交に領地経営。ここで学べることは、卒業後に任される土地の命運を左右するのだ。
しかも、隣には首席合格者がいる。
「アディ様、昨日の授業で出た課題なのですが、こちらの計算はどうでしょうか」
「まあ、カレアさん。もう解き終わりましたの?」
「はい。でも、一か所だけ自信がなくて……」
差し出された紙には、細かな数字がびっしりと並んでいた。
収支計算そのものは理解できる。けれど、ここまで細かな条件を考慮しているとは。さすが首席、仕事が丁寧だ。
「完璧ではありませんこと?」
「いえ、ここは別の求め方もあると思うんです」
そう言って説明を始めるカレアの目が、きらきらと輝く。
うん。勉強が好きな子だ。かわいい。
ただ数字に強いだけではない。計算を現実の暮らしと結びつけて考えるのが、この子のすごいところだ。
原作のアデルミリアさんは、どうしてこんな人材を敵に回そうとしたのかしら。
そんなことを考えていた日の午後、領地経営の授業で新しい課題が出された。
「本日は二人一組で、ある農村の再建計画を作ってもらう。提出した計画は、後日の講評会で発表してもらうから、そのつもりで」
教員が配ったのは、架空の領地についてまとめた資料だった。
人口は少なく、農業が主な産業。
以前は村と町を結ぶ橋を使って作物を運んでいたが、老朽化して通れなくなり、今では遠回りの街道に頼っている。
手間がかかる割に利益が少なく、少しずつ人が土地を離れ始めているらしい。
……おお。
これ、歴史シミュレーションゲームなら、真っ先に手をつけたいタイプの土地じゃない?
「カレアさん、ご一緒していただけます?」
「もちろんです、アディ様!」
よし。首席と次席の共同作戦、開始ですわ!
*
放課後、私たちは図書室の机を一つ借りて、資料を広げた。
私はまず、領地の地図に指を走らせる。
「ここをご覧になって。村と町を結ぶ道が大きく迂回していますわ。途中にある古い橋を修繕して、元の街道を使えるようにすれば、ずいぶん近くなりますでしょう?」
「はい。輸送にかかる日数を減らせそうですね」
「でしょう! それなら、橋と街道を整えるのと同時に、街道沿いに市場と共同倉庫を設けましょう。商人を呼び込んで取引を増やせば、税収も伸びますわ!」
我ながら、見事な将来構想である。
人の流れを作り、物流を整え、商業を育てる。ゲームなら施設を順番に建てればいい。土地が豊かになるところまで、もう見えた気がした。
私は勢いよく地図に印をつけた。
「ここに市場、こちらに倉庫。橋の工事も同時に始めれば、完成する頃には――」
「……アディ様」
いつもなら楽しそうに相槌を打つカレアが、少し困った顔をしていた。
「どうなさいました?」
「その……とても素晴らしい計画だと思います。でも、少し気になることがあって」
「気になること?」
「工事に必要なお金と、人手です」
カレアは資料の隅に記された数字を指した。
村の蓄えは多くない。農作業が忙しい季節に働き手を工事へ回せば、今度は畑を耕す人が足りなくなる。外から人夫を雇うにも、支払えるお金には限りがある。
「街道も橋も市場も、一度に整えるのは難しいと思うんです。完成するまでの間、村の人たちはどうやって暮らしていくのでしょうか」
……あ。
私の指先が、地図の上で止まった。
ゲームなら建設費を払って待てばいい。けれど実際には、その間も誰かが畑を耕し、家族を養わなければならない。
予算の欄は見ていた。だが、暮らす人間の時間までは、考えていなかった。
「まずは橋の修繕だけに絞って、農作業が落ち着く時期に工事をするのはどうでしょう。道が使いやすくなれば、少しずつ取引も増やせるかもしれません。倉庫や市場は、その成果を見てからでも……」
カレアは言い終えると、はっとした顔をした。
「す、すみません! アディ様の案に、口を挟んでしまって……!」
「……」
周囲の机でも、数人の生徒がこちらを見ている。
大貴族の令嬢で、しかも王子の婚約者。その私に、男爵家の娘が異論を唱えたのだから、空気が張りつめるのも無理はない。
カレアの肩が、ほんの少し縮こまった。
さて。
ここで旧アデルミリアなら、身分を持ち出して怒鳴りつけるところだろう。
でも、私が目指しているのは、そういう面倒な生き方じゃない。
ふと、頭に浮かんだのは、徳川家康のことだった。
天正十二年、小牧・長久手の戦い。家康は長久手で秀吉方の部隊を破り、戦術的な勝利を収めた。けれど、それで意地を張り続けたわけではない。和議を経て情勢を見極め、天正十四年には秀吉に臣従している。
もちろん、そこには婚姻を含めた駆け引きも、力関係もあった。単純に「負けを認めた美談」ではない。
それでも、勝ち戦の記憶にしがみつかず、先のために立場を変えたことは確かだ。
ならば、私がここで守るべきものは何?
令嬢としての面子? それとも、よりよい計画と、大切な同盟相手?
答えは決まっている。
「カレアさん」
「は、はいっ」
「おっしゃるとおりですわ。私の考えが足りませんでした」
私は椅子から立ち上がり、カレアに向かって頭を下げた。
「教えてくださって、ありがとうございます。ぜひ、あなたの案を詳しく聞かせてくださいまし」
かたん、と、どこかで椅子が鳴った。
周りの生徒が、そろって目を丸くしている。
……何だろう。周りの生徒たちが、珍獣でも見つけたような目でこちらを見ている。
「ア、アディ様! どうか顔を上げてください!」
「まあ。よい意見をいただいたのですから、お礼を申し上げただけですわ」
「ですが、私のような者に……」
「『私のような者』ではありません。私が頼りにしている、カレアさんでしょう?」
カレアは一度だけ口を開き、何も言えずに閉じた。
やがて、ほっとしたような、泣き出しそうな、柔らかな笑顔になる。
「……はい。ありがとうございます、アディ様」
その笑顔を見て、私も嬉しくなった。
そうそう。これですわ。敵を作るより、味方と知恵を出し合う方が、ずっと楽しい。
そこからの作業は早かった。
最初に橋を修繕し、農閑期に合わせて少しずつ道を整える。収穫物の運搬が改善したら、取引量を確かめたうえで倉庫の整備を検討する。私の描いた大きな道筋に、カレアが一歩ずつ進めるための順序をつけてくれた。
「これなら、村の人たちの暮らしを急に圧迫せずに済みそうですね」
「ええ。しかも、将来市場を作る道も残せますわ!」
二人で顔を見合わせ、思わず笑った。
共同作戦、大成功である。
*
数日後、講評会の日が来た。
提出した計画は教員から高い評価を受け、私たちは代表として発表することになった。
会場には同級生のほか、上級生の姿もある。なんでも、領地経営に関心のある生徒なら見学できるらしい。
そして、その中には当然のように金髪の第一王子がいた。
(レオヴェイン殿下! これはカレアの活躍を見ていただく絶好の機会ですわ!)
私は発表役をカレアにお願いした。
最初こそ緊張していた彼女だったが、資料を広げると声に落ち着きが戻る。
「まず、村の人々が今の農業を続けられることを優先しました。そのうえで、橋の修繕から始め、段階的に輸送の負担を減らしていきます」
教員から費用について尋ねられると、カレアは資料に記した数字を示して説明した。
難しい質問にも、慌てない。
いやあ、さすが首席。見ていて気持ちがいい。
「その計画なら、交易が増えたあとにも対応できるのかな?」
質問をしたのはレオヴェイン殿下だった。
カレアの肩がわずかに跳ねる。
「はい。取引が増えた段階で共同倉庫を整備し、必要に応じて市場を開くことも想定しております」
「なるほど。最初から全部を作るのではなく、土地の様子を見ながら進めるんだね」
「はい。アディ様が、将来の発展まで見据えた案を考えてくださったので」
あら、私の名前が出た。
すると殿下の視線がこちらへ向く。
「アデルミリア。ずいぶんよい計画にまとまったね」
「ありがとうございます。カレアさんのおかげですわ」
「二人で考えたと聞いたよ。互いの長所が生きていると思う」
殿下は満足そうに頷き、再びカレアへ質問を続けた。
よしよし。いい流れ! カレアちゃん、ここで王子に有能さをアピールするのよ!
私は心の中で、見えない応援旗をぶんぶん振った。
どうか私の方など気にせず、二人で存分にお話しくださいまし!
講評会が終わる頃には、カレアもすっかり緊張が解けていた。
「アディ様、私、あんなに大勢の前で話したのは初めてです」
「とても立派でしたわ! 殿下の質問にも、きちんと答えていらしたもの」
「……アディ様が私に任せてくださったからです」
「カレアさんに説明していただくのが、一番わかりやすいと思っただけですわよ」
「それが、嬉しかったんです」
カレアは両手で資料を抱え、まっすぐ私を見つめた。
「アディ様は、ご自分と違う意見にも、ちゃんと耳を傾けてくださいます。身分を理由に押さえつけたりなさいません。私……そんな方にお会いできて、本当によかったです」
うっ。
そんな顔でまっすぐ褒められたら、こちらが照れてしまう。
「大げさですわ。あれは私の見落としでしたもの」
「だからこそ、尊敬しています!」
まぶしい。
この子、笑顔がまぶしすぎる。
ゲームなら今頃、好感度アップの効果音が鳴っているかもしれない。残念ながら音は聞こえないけれど、私の心の中では盛大にファンファーレが鳴っていた。
*
その日の夕方。
屋敷に戻った私を、執事のオルデリクがいつものように迎えた。
整えられた黒髪に片眼鏡。隙のない礼儀作法は、今日も見事である。
「お嬢様。学園での講評会が、たいそう好評だったと伺いました」
「ええ! カレアさんと一緒に考えた計画が、評価されましたの」
「それは何よりでございます。ただ……少々、気になるお話も耳にいたしまして」
オルデリクは声を落とした。
「男爵家のご令嬢に、お嬢様が頭をお下げになったとか。立場をお考えになりますと、いささか軽率ではございませんか」
ああ、その話か。
どうやら学園で、そんなことまで噂になっているらしい。
「私の方に考え足らずなところがありましたの。それを教えていただいたのですから、お礼くらい申し上げますわ」
「しかし、お嬢様はリューヴェルン家のご令嬢。ご自身のお考えを、あまり容易にお改めになるのは……」
「間違った考えを抱えたまま進む方が、よほど恥ずかしいことですわよ?」
オルデリクの片眼鏡が、窓からの光を受けてきらりと光った。
「……さようでございますか」
「ええ。おかげでよい計画になりましたもの。次もカレアさんと組めたら嬉しいですわ!」
彼は深々と一礼した。
いつもどおり丁寧だ。けれど、退出する前の顔は、ほんの少しだけ困っていたようにも見えた。
私は机に資料を広げ、今日の計画をもう一度眺めた。
最初に私が描いた図は、派手で景気がよかった。でも、そこにカレアの意見が加わったことで、ずっと実現できそうなものになっている。
(さすが家康。頭を下げるのも、立派な生存戦略ですわね!)
それにしても。
人の意見を聞いてお礼を言っただけで、あんなに驚かれるなんて。
(……元のアデルミリアさん、いったい普段はどれだけ偉そうにしていたのよ?)
答えを想像するだけで、私はちょっとだけ頭が痛くなった。




