第2話「悪役令嬢、同盟を結ぶ」
王立学園の正門が見えてきた。
高い石壁の向こうに、尖塔をいくつも備えた白亜の校舎がそびえている。よく手入れされた並木道を馬車が進むたび、胸の奥がむずむずした。
ついに来た。『薔薇と麦穂のレガリア』、通称『薔薇麦』の学園編だ!
「お嬢様、まもなく到着いたします」
「ええ。ありがとう」
向かいに座る侍女に微笑みながら、私は膝の上で拳をぎゅっと握った。
私は元OLの歴女ゲーマー。今は十五歳の悪役令嬢アデルミリア・リューヴェルンで、原作どおりなら処刑される運命にある。
だからこそ、徳川家康を手本に「生存第一」。無用な敵を作らず、味方を増やして未来を変えるのだ。
その第一歩が、今日である。
ゲームの学園編では、三年間で政治や経済、軍事、領地経営の基礎を学び、卒業後の任地で生かす。授業も人脈も、後半戦への仕込みだ。
……普通のプレイヤーなら、合間に攻略対象との恋を育むのだけれど。
(恋愛イベントは極力回避。ここは内政スキルを伸ばして、卒業後に備えるのですわ!)
心の中で作戦を確認する。
しかし、それ以前に越えなければならない難所があった。
カレア・ノルヴィエとの初対面。
彼女こそ原作主人公。貧しい男爵家の娘ながら奨学金を勝ち取り、入学試験で首席に輝く才女だ。
そして私は、次席。
原作のアデルミリアは、自分が男爵家の令嬢に負けたことが許せず、入学早々カレアを責め立てる。その小さな悪意が、後の破滅へ続く第一歩になってしまう。
だが、今の私にとっては違う。
(首席を取るような子と仲よくなれる機会を、どうして自分から潰すのよ!)
馬車が止まる。私は背筋を伸ばし、華やかな笑顔を作った。
さあ、家康流の初陣だ。戦う相手は、私自身の悪役令嬢フラグである。
*
入学式の会場は、広々とした講堂だった。
天井から吊るされた旗には王家と学園の紋章。磨き上げられた床には春の日差しが差し込み、整列する新入生たちの緊張した顔を照らしている。
私は指定された席に腰を下ろし、壇上へ目を向けた。
学園長の挨拶のあと、入学試験の成績優秀者が発表される。
「首席、カレア・ノルヴィエ」
小さなどよめきが広がった。
前に進み出たのは、まっすぐな栗色の髪を揺らす少女だった。青い瞳を持つその顔には緊張が浮かんでいるが、背筋はきちんと伸びている。
(本物だ……! 本物のカレアちゃん!)
思わず身を乗り出しかけ、慌てて姿勢を正す。
画面の中で何度も見た主人公が、今は数歩先で息をしている。イベントの立ち絵ではわからなかった、指先の小さな震えまで見えるではないか。
次席として私の名が呼ばれたときには、すでに頭の半分がカレアのことでいっぱいだった。
もちろん礼は完璧にした。大貴族の令嬢として、ここで躓くわけにはいかない。
問題は式のあとだ。
講堂を出た私は、談笑する新入生の間にカレアを見つけた。周囲から祝福を受けているものの、本人は少し居心地が悪そうにしている。
ここだ。原作なら嫌味を言うところ。ならば私は、正反対の一手を打つ。
「カレア・ノルヴィエさん!」
声をかけると、彼女の肩がぴくりと跳ねた。
「は、はい。……リューヴェルン様?」
「入学試験、首席おめでとうございます! 本当に素晴らしいですわ!」
「……え?」
カレアは目を丸くした。
しまった。少し勢いが強すぎたか。
「難しい試験でしたもの。あの成績を収めるまで、きっと大変な努力をなさったのでしょう?」
「そ、それは……。ありがとうございます。でも、私などが次席のリューヴェルン様に褒めていただけるなんて……」
「次席でも十分立派な成績ですわ。それに、首席が誰であろうと、努力が認められたことは喜ばしいでしょう?」
言ってから、我ながらいいことを言ったと思った。
少なくとも、成績で負けた相手に難癖をつけるよりは百倍いい。
けれど、カレアの表情はまだ硬い。貴族の序列を考えれば当然だ。上級貴族の令嬢に突然近づかれて、素直に安心できるはずがない。
(ここで「友達になりましょう!」と畳みかけるのは逆効果かも)
私は一歩だけ距離を空け、声の調子を落とした。
「突然お声がけしてごめんなさい。どうしても、お祝いを伝えたかったのです」
カレアは私の顔を見上げ、それから小さく首を横に振った。
「いいえ。嬉しいです。……ただ、少し驚いてしまって」
「ふふ。私も緊張しておりますの。これから三年間、知らないことをたくさん学ぶのでしょう?」
「はい。私も、学べることがとても楽しみです」
初めて、彼女の声から強張りが消えた。
*
話題を授業へ向けると、カレアは少しずつ言葉を増やしてくれた。
特に領地経営の話になると、青い瞳がぱっと輝く。
「父の領地は、決して豊かではありません。ですが、父は領民の方々の暮らしを何より大切にしています。私は、そのやり方を変えずに、もっと皆が安心して暮らせる土地にしたいんです」
「まあ……!」
「そのためには、私自身が勉強しなければなりません。奨学金をいただいたからには、なおさらです」
私は心の中で拍手喝采した。
そう、それ! それが原作主人公のカレア・ノルヴィエ!
カレアの父親は民思いの領主だ。けれど、ただ優しいだけでは領地が豊かになるとは限らない。だから娘が知識を身につけ、父の優しさを支えようとしている。
好きだ。こういう子、大好きだ。
(絶対に敵に回しちゃいけない。いや、それ以前に、普通に仲よくなりたい!)
そこで、ふと思い出したのは織田信長と徳川家康の関係だった。
桶狭間の戦いの頃、まだ松平元康と名乗っていた家康は今川方にいた。織田方との争いも続いたが、その後は信長と和解し、同盟を結ぶ。
戦国の世では、昨日までの敵が明日の味方になることもある。大切なのは、相手の力を認め、互いに利益のある関係を築くこと。
(私とカレアも、原作では敵同士。でも今回は違いますわ!)
頭の中に、壮麗な軍配と『同盟締結』の文字が浮かんだ。
「カレアさん!」
「は、はいっ」
「私たち、ぜひ……!」
危ない。勢いに任せて「同盟を結びましょう!」と言うところだった。
相手は戦国大名ではなく、入学式を終えたばかりの十五歳の女の子だ。
私が見習いたいのは、情勢を見極め、相手と利害を調整する慎重さだ。勝手に作戦を押しつけるのでは、原作アデルミリアとたいして変わらない。
私は慌てず、言葉を選び直した。
「……これから、勉強のことを相談し合えるような仲になれたら嬉しいですわ。もちろん、あなたがよければ、ですけれど」
カレアは瞬きをしたあと、ゆっくりと微笑んだ。
「はい。私も、ぜひ。リューヴェルン様は次席ですし、きっと教えていただくことばかりですが……」
「そんなことありませんわ。私だって、あなたから学びたいことがたくさんありますもの」
私は思い切って、もう一つお願いした。
「それから、その呼び方。堅苦しいですわ。よろしければ、アディと呼んでくださいまし」
「アディ……ですか?」
「ええ!」
カレアは少し考え、きゅっと両手を握った。
「では……アディ様。これから、よろしくお願いいたします」
「……様も、取ってくださってもよくってよ?」
「そ、それは、さすがに……!」
困りきった顔で首を振るカレアに、私は笑ってしまった。
まあいい。呼び方が変わっただけでも大進歩だ。
こうして、最初の一歩は踏み出せた。相手の返事を待つことも、立派な生存戦略なのである。
*
「アデルミリア」
背後から穏やかな声がした。
振り返った私は、思わず息をのむ。
金色の髪に翡翠色の瞳。姿勢のよい、すらりとした少年がこちらへ歩いてくる。
(レオヴェイン殿下――!)
私の婚約者で、一学年上の先輩。そして『薔薇麦』のメイン攻略対象、レオヴェイン・アルシェンハルト第一王子だ。
ゲームの立ち絵どおり、というか実物の破壊力がすごい。だが見とれている場合ではない。
「ごきげんよう、レオヴェイン殿下」
「ごきげんよう。入学おめでとう。二人とも、見事な成績だったそうだね」
私は淑女らしく一礼する。隣ではカレアも慌てて頭を下げた。
「お、お言葉をいただき、光栄です」
「首席のノルヴィエ嬢だね。君の優秀な成績については、先生方からも聞いているよ」
「ありがとうございます、殿下」
よし、会話が始まった!
私の頭の中で、見えないイベント画面が開く。
(そうそう! お二人、そうやってお互いを知っていけばよいのですわ!)
私は半歩横へずれ、二人の間を遮らないようにした。
「カレアさんは、領民のために学びたいのだそうです。きっと、よい領主になられますわ!」
「そうなのかい?」
「はい。まだ勉強不足ですが、できることを増やしたいと思っています」
「立派な志だ。王国には、そういう人が必要だよ」
カレアは頬を染めて頭を下げた。
(いいですわ……! 実に王道の出会いイベントですわ……!)
私は胸の内で、何度目かの拍手を送った。
ところが、レオヴェイン殿下はふいにこちらへ視線を移した。
「それにしても、アデルミリア。君がノルヴィエ嬢とこんなに楽しそうに話しているとは思わなかったよ」
「まあ。私たち、これから仲よくできそうですの」
「君は以前、成績では誰にも負けたくないと言っていたからね」
ぎくり。
旧アデルミリア、余計なことを言ってくれている!
しかしここで取り繕っても仕方ない。私は笑顔を崩さずに答えた。
「私が次席であったことと、カレアさんの努力を認めることは別の話ですわ。それに、学ぶべき相手がいるのは幸運なことですもの」
その答えを聞いたレオヴェイン殿下は、わずかに目を見開いた。
やがて、心から嬉しそうに微笑む。
「……そうか。君がそんなふうに考えていたとはね。少し驚いたよ」
「ふふ。これからは、行動でお見せいたしますわ!」
「それは楽しみだ」
なぜか、先ほどよりも殿下の声が柔らかい。
まあ、いいか。王子に警戒されるよりは、ずっとましだ。
しばらくして殿下が次の予定へ向かうと、私はようやく息をついた。
カレアと顔を見合わせる。彼女は少しはにかんで、もう一度言った。
「アディ様。お声がけいただいて、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。これからよろしくお願いいたしますわね!」
今日は上出来だ。
原作最大の敵対イベントは回避。首席のカレアと知り合い、レオヴェイン殿下との間にも揉め事なし。
(ふふふ。織田・徳川同盟ならぬ、アディ・カレア同盟、無事成立ですわ!)
処刑回避への道が、一つ開けた気がした。




