第1話「悪役令嬢、天下を目指さない」
私の人生を一言で表すなら、仕事をして、帰って、ゲームをする。それに尽きる。
職場の机には戦国武将の小さなアクリルスタンド。休憩時間には新作ゲームの攻略情報を眺め、週末には徹夜でやり込み。そんな私を、同僚たちは呆れ半分、面白がり半分で見守ってくれていた。
「またゲーム? よく飽きないね」
「飽きるなんてとんでもない。まだ全実績解除してないから!」
恋人はいない。給料の行き先は生活費と推し活とゲーム代。寂しいかと聞かれれば、もちろん首を横に振る。毎日やることが山ほどあるのだ。
戦国時代に惹かれたきっかけは、昔遊んだ、戦国武将が無双するゲームだった。中でも私の最推しは前田慶次。あの自由奔放さ、豪快さ、何より人生を楽しみ尽くしている感じがたまらない。
とはいえ、歴史シミュレーションゲームで私が好んで選ぶのは、華々しい強国ではなく弱小勢力だ。兵も金も足りず、隣国には強敵がずらり。そんな状態から外交と内政を積み重ね、じわじわ生き残るのが楽しくて仕方ない。
恋愛シミュレーションでも同じ。攻略対象を一人落として終わり、なんてもったいない。全ルートを回収し、隠しイベントを探し、わざと難しい条件を課してもう一周する。
要するに私は、筋金入りの面倒くさいゲーマーだった。
そんなある日の夜。
帰宅して夕食を済ませ、いつものようにゲーム機の電源を入れようとしたところ、何の反応もなかった。
「……あれ?」
電源コードを確認。差し直す。もう一度押す。沈黙。
昨日まで元気に動いていたのに。よりにもよって、今夜はやり込みの続きをする予定だったのに。
「頼む、お願い。まだ回収してないイベントがあるんだってば」
祈っても動かない。
私はしばらく考えた末、ゲーム機の上にそっと手を掲げた。
「こういうときは、昭和のテレビ方式……!」
斜め四十五度からの手刀。もちろん本気ではない。精密機器相手に何をやっているんだ、と自分でも思う。
ところが。
ぱっと画面が明るくなった。
「えっ、直った!?」
喜んだのも束の間、映し出されたのは見覚えのない紋章と、文字とも模様ともつかない光の列だった。
「……こんな起動画面、あったっけ?」
顔を近づけた瞬間、光が画面からあふれ出した。
白い。まぶしい。目を閉じてもなお、まぶしい。
悲鳴を上げる暇もなく、私の意識はそこで途切れた。
*
最初に見えたのは、知らない天井だった。
いや、正確には天井と呼んでいいのか迷うほど豪華なものだった。白い漆喰に蔦模様の金細工が這い、中央には大ぶりのシャンデリア。寝台には薄絹の天蓋が幾重にも垂れている。
床には足が沈みそうな厚い絨毯。壁には金縁の絵画が並び、彫刻だらけの家具が所狭しと置かれていた。宝石をあしらった化粧台には香水瓶がずらり。衣装箪笥は一つでは足りないらしく、奥の壁を三つも占領している。
贅沢を一部屋に詰め込んで、なお余った財力を振りかけたような趣味である。窓の向こうには、きれいに刈り込まれた庭園まで広がっていた。
「……ホテル?」
自分の声が妙に高い。
上体を起こすと、肩から銀色の髪がさらさらとこぼれ落ちた。
私の髪は黒だったはずだ。昨日、美容院の予約を忘れたと嘆いたばかりなのだから、間違いない。
慌てて寝台から降り、壁際の大きな鏡をのぞき込む。
そこにいたのは、銀髪をゆるく波打たせた、とびきり美しい少女だった。顔の脇には細い縦巻きの髪。少し気の強そうな目元に、見るからに高価な寝間着。
「……うそでしょ」
見たことがある。
いや、見たことがあるどころではない。私はこの顔を何十時間も見てきた。
机の上に置かれた封書を手に取る。差出人には王立学園、宛名には――。
『アデルミリア・リューヴェルン令嬢』
「アデルミリア……!」
思わず鏡に向き直った。
『薔薇と麦穂のレガリア』。通称『薔薇麦』。恋愛と領地経営を組み合わせた、私の大好きな乙女ゲームだ。三年間の学園生活で人脈を作り、卒業後の三年間で領地を発展させ、最後に恋と仕事の成果を問われる。
そしてアデルミリアは、そのゲームに登場する悪役令嬢だ。
「え、待って。えええっ!? 私、ゲームの中にいる!?」
普通なら恐怖に震えるところかもしれない。
でも私は、鏡の前でくるりと一回転した。
「すごい! ドレスじゃなくて寝間着でも、もうお嬢様の気品がすごい! 銀髪! 縦ロール! 実物だ!」
どうやら年齢は十五歳。王立学園への入学を目前に控えた時期らしい。
それならまだ、ゲーム本編が始まる前だ。
そこまで考えて、私はぴたりと動きを止めた。
「……アデルミリア?」
王子の婚約者。大貴族の令嬢。学園でも領地でも高い能力を見せる、優秀な人物。
ただし性格は最悪。
第一王子レオヴェイン・アルシェンハルトとの結婚に執着し、原作主人公のカレア・ノルヴィエを目の敵にする。嫌がらせを繰り返し、協力者を失い、それでも自分が正しいと信じて突き進む。
その結末は、処刑。
「……処刑」
口に出してみた。もう一度、鏡を見る。
美しい少女が、こちらを見つめ返している。
「いやいやいや! 笑えない! 待って、せっかく異世界に来たのに、いきなり首が飛ぶ予定なの!?」
首筋を押さえる指が冷たい。鏡の中の少女は、さっきまでの浮かれ顔が嘘のように青ざめていた。
華やかな学園生活も、王子との恋も、最後に待っている断罪の場面も覚えている。あの結末を、今度は自分の身で味わう? 冗談じゃない。
逃げる? でも、王子の許嫁が姿を消して無事に済むとは思えない。そもそも、この世界の地理すら知らない。
私は寝台の端に腰を下ろし、膝の上で拳を握った。落ち着け。怖いからといって、手当たり次第に動くのが一番危ない。
今は、学園入学前。
カレアに対する嫌がらせも、まだ始まっていない。少なくとも、これからの私が同じことをしなければ、ゲームどおりの結末にはならないはずだ。
「……つまり、破滅確定の悪役令嬢で、原作主人公と敵対せずに生存を目指す、と」
不利な初期条件。取り返しのつかない未来。なのに、知識だけはある。
胸の奥が、妙な具合に高鳴ってきた。
「これ、最高難度の縛りプレイじゃない?」
恐怖より先に攻略欲が湧くのは、我ながらどうかと思う。
でも、どうせここで生きるしかないなら、やることは一つだ。
絶対に、破滅ルートを折ってみせる。
*
私は机の前に座り、紙を広げた。
幸い、文字は読める。ペンもある。となれば作戦会議だ。参加者は私一人だけれど。
「まず、目標は生き残ること。王妃になることじゃない。ここ大事ですわ」
おっと。
今の「ですわ」、なかなか自然だったのでは?
「ふふふ。悪役令嬢に転生したからには、お嬢様言葉も楽しまなくては損ですわね!」
私はさっそく気分を切り替えた。こういうロールプレイは大好物だ。
では、何を手本にするか。
まず浮かんだのは、最推しの前田慶次。
権力におもねらず、豪快に笑って、好きなように生きる。
最高だ。
私も名馬松風に乗って風を切りたい。気に食わない相手に啖呵を切ってみたい。
「……でも、慶次みたいに自由に振る舞ったら、速攻で処刑されそうですわね」
何しろ私は、原作で周囲を敵に回して破滅する令嬢である。目立つ行動も強引な行動も危険すぎる。
ここは推しへの愛と、実際の攻略方針を分けるべきだ。
必要なのは派手な勝利ではない。最後まで生き残るための知恵。
そこで脳裏に浮かんだのが、徳川家康だった。
幼い頃には人質として過ごし、決して恵まれた条件から出発したわけではない。織田信長と同盟を結び、戦いでは苦杯もなめ、それでも情勢を読み、決断を重ねて最後には天下を取った。
家康だって、何もかも思いどおりに運んだわけではない。三方ヶ原では大敗を喫している。大事なのは、失敗したあとも生き延びて、次の手を打ち続けたことだ。
「そうですわ。勝つことよりも、まず負けて終わらないこと」
紙の真ん中に、大きく書く。
『生存第一』
その下に、さらに三つ。
『感情で動かない』
『敵を増やさず、味方を作る』
『先を見据えて備える』
うん。悪役令嬢に最も欠けていたものが、見事に並んだ。
では、具体的な最初の一手は?
もちろん、カレア・ノルヴィエである。
原作の彼女は貧しい男爵家の娘でありながら、入学試験を首席で突破した努力家だ。しかも優しく、芯が強い。アデルミリアの嫌がらせを乗り越え、最後には多くの人から信頼を得る。
そんな子を敵に回すなんて、戦略的にも人道的にも最悪だ。
「むしろ友達になりたいですわ!」
そして可能なら、レオヴェイン殿下との恋を応援する。
婚約者の自分がそれを言うのは、確かにおかしな話だ。しかし原作では二人が結ばれる展開だってあるのだから、私が意地を張る必要はない。
もちろん、王家との婚約を勝手に解消できるわけではない。そこは焦らず、時機を見て、穏便に。下手な一手で立場を悪くしては、せっかく家康を手本にする意味がない。
「焦らない、怒らない、敵を作らない。鳴かぬなら鳴くまで待とう、ですわ!」
ちなみに、その句は後世の人が家康の性格を表したもので、本人が詠んだわけではない。
歴女として、そこは間違えられない。
私はペンを置き、鏡の中の少女に向かって胸を張った。
「決めましたわ! 私は徳川家康を目指します!」
天下統一? いえいえ、そんな大それたことは望まない。
まずは学園で味方を増やし、いつか領地を任されたら、平和に豊かに暮らせる場所を作る。
目指すのは、処刑台ではなく大往生だ。
*
控えめなノックの音がした。
「お嬢様。お目覚めでしょうか」
「ええ、どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、端正な執事服に身を包んだ中年の男性だった。黒髪はきっちり撫でつけられ、片眼鏡の奥の目は穏やかに細められている。
知らない顔だ。おそらく、この家の執事だろう。原作ゲームの人物紹介には、「アデルミリアには執事がいる」と一行だけ書かれていたのを思い出す。
けれど、それ以上の情報はなかった。顔も名前も知らない相手に、知っているふりをするのは危険だ。
「本日は王立学園へのご入学に向けて、お支度の確認をお願いしたく存じます」
「わかりましたわ」
差し出された支度一覧の末尾に、「担当執事 オルデリク・レヴァントス」と署名があった。なるほど、オルデリク。ゲームでは名前さえわからなかった人物だ。今は余計なことを言わず、様子を見よう。
オルデリクは丁寧に頭を下げると、机に広げた私の紙へちらりと目を向けた。
慌てて裏返す。
さすがに『生存第一』と大書した作戦表を見られたら、説明に困る。
「お嬢様も、いよいよ学園にお進みになりますな。殿下の婚約者として、いつにも増して品格あるお振る舞いが求められましょう」
「そうですわね」
「学園にはさまざまなお立場の方がお集まりになります。お嬢様にふさわしくないお付き合いは、慎重に見極められるのがよろしいかと」
おや。
それはつまり、身分が低い相手とは距離を置け、ということだろうか。
原作アデルミリアなら、きっと大いに賛同したに違いない。
けれど、今の私は違う。
「もちろん、慎重にいたしますわ。身分にかかわらず、誰に対しても礼節を守るつもりですもの」
「……礼節、でございますか」
「ええ。殿下のお立場を考えても、私が無用な揉め事を起こすわけにはまいりませんでしょう? よい方々とは親しくして、学ぶべきところは学びたいですわ」
オルデリクは、ほんの一瞬だけ目を瞬かせた。
すぐに、いつもどおりの柔らかな笑みを浮かべる。
「……誠に、ご立派なお考えでございます」
「でしょう?」
私は嬉しくなって、つい胸を張った。
よし。第一歩は上々だ。礼儀正しい返答で、余計な敵を一人も作らなかった。
オルデリクが退出すると、私は裏返した紙をもう一度表にした。
そこに並ぶ作戦は、驚くほど地味だ。
けれど、地味で結構。自由奔放に生きて伝説になるのは、推しの慶次に任せよう。
私はこの世界で、長く、しぶとく、生きてやる。
「目指すは天下統一……ではなく、平穏無事な大往生! 徳川家康のように、生き残ってみせますわ!」
鏡の中で、悪役令嬢がにっこり笑った。
その笑顔が、この先どれほど多くの人の予定を狂わせることになるのか。
このときの私は、まだ知る由もなかった。




