第9話 奪った鐘は、仲間の声で鳴った
夕刻、宿を囲む石畳に、鎧の音が満ちた。
窓から覗くと、王家の兵が三十人。先頭に、黒い法衣の痩せた男が立っている。銀縁の眼鏡。手には、人の頭ほどの鐘。
「ヴォルクよ」
セレスティアが、低く言った。
「第三書記官。私に、功績の削除を命じた男」
【鑑定】
名称:名呼びの鐘
真の名:王の声の中継器
状態:呼ぶ声を増幅し、対象の防護を削る
追記:誰の声でも増幅する。内容は問わない
「誰の声でも……」
その一行を、頭に刻んだ。
*
「リオ殿。署名の期限です」
ヴォルクが、恭しく一礼した。
「ロドリック院長は、ご病気でお休みです。代わりに私が、陛下の名代として」
「病気?」
「ええ。ずいぶんと、長く」
口元が、薄く歪んだ。王は、院長を疑っている。そう気づいた。
「署名はしない」
「では、実力行使で」
鐘が、持ち上がる。
一度目の音は、骨に響いた。
解除率31%/防護残量69%
『……ヴァ……ァ……』
粘ついた声が、頭の奥を這い上がる。膝が、ぐらりと揺れた。
「下がってろ」
ガレスが、俺の前に出た。腰には、昼に市場で買った安物の鉄剣。
「俺が、盾だ」
「剣は抜けるのか」
「抜いたら折れる気がする。だから、抜かない」
「それは盾じゃなくて、壁だ」
「壁でいい。三年分の無茶が、溜まってる」
二度目の鐘。
解除率38%/防護残量62%
視界の端が、黒く滲んだ。
その時、セレスティアが杖を掲げた。
「……おはよう、リオ」
眠そうな、いつもの声。杖の先から、細い炎が走った。炎は、鐘の吊り紐だけを正確に焼き切った。
鐘が石畳に落ちて、がらん、と間抜けな音を立てた。
「狙った通りに、できたわ。自分の魔力で」
「見事だ」
「……うるさいわね。次は、もっと大きいのを出すわ」
*
転がった鐘を、ガレスが抱え上げた。
「ミラ!」
「はい。……少しだけ、うるさくします」
ミラが、鐘に顔を寄せた。
「リオさーん!」
鐘が、ぶわんと震えた。聖女の澄んだ声が、石畳いっぱいに、倍の大きさで響き渡る。
解除率35%/防護残量65%
「王の声を運ぶ道具を、私たちが奪ったのね」
ヴェルディアが、にやりと笑った。
「リオ!」バルトが叫ぶ。
「リオ!」ガレスが吠える。
「……リオ」セレスティアが続く。
最後に、ヴェルディアが、ふんと鼻を鳴らして、鐘に口を寄せた。
「リオ。千年ぶりに、鐘を鳴らしてあげるわ」
五人の声が、一つの音になった。
解除率19%/防護残量81%
頭の奥で、粘ついた声が、ぷつりと途切れた。
静かだった。兵たちが、固まっていた。
*
「さて」
俺は、ヴォルクを見た。
【鑑定】
名称:ヴォルク
真の名:ヴォルク・ハーン
状態:名縛り(自ら署名)
追記:兵士家族向け医薬支給金を横領。三年で金貨四百枚
「な、何を」
「兵士の皆さん。軍は、入隊した者の家族に薬を出すと約束した。その金を、この男が抜いていた」
バルトの肩が、びくりと揺れた。
「……娘の薬が、届かなかったのは」
「でたらめだ! 証拠は」
「あるわ」
セレスティアが、巻物を掲げた。
「あなたの承認印よ。功績削除の命令書」
ミラが、帳簿の写しを、胸の前で開いてみせた。
槍の穂先が、一本、また一本と、地面を向いた。
「ひ、引け! 引けえ!」
ヴェルディアが、牙の鞘を、とん、と地面に突いた。石畳に亀裂が走り、ヴォルクの爪先で止まる。
「次は、『ちょっと』じゃ済まないわよ」
ヴォルクは、転がるように逃げ出した。鐘は、置いたまま。兵たちが、気まずそうに後を追った。
バルトが、最後に残った若い兵の肩を叩いた。
「今度、ゆっくり話そう。名前から」
それから、俺に向き直る。拳が、震えていた。
「リオ。娘の薬は」
「娘さんを、私に診せてください」
ミラが、一歩前に出た。
「聖女の仕事は、そのためにあります。……遅くなって、ごめんなさい」
バルトは、顔を覆って、その場に膝をついた。
*
静かになった中庭に、杖の音がした。
ロデリクが、一人で入ってきた。白衣の袖に、血が滲んでいる。
「……ご無事で」
「軟禁されていてね。名のない者は命じられないが、閉じ込めることはできる。窓から出てきた」
「怪我を」
「老体には、上等な運動だった」
ロデリクは、俺を見た。
「昨夜、夢の中で、君の歌を聞いた。二節目を、伝えに来た」
ヴァン家の子守唄は、三節ある。
老人が目を閉じ、息を吸った。低く、かすれた声で、旋律が流れる。
俺の知っている旋律の、続きだった。喉の奥で、勝手に声が重なる。二つの声が、夜気の中で溶け合った。
【鑑定】
名称:リオ
真の名:████アル█
状態:解除率19%/防護残量81%(変動なし)
追記:歌は、盾とは別の鍵。三節目で、名は全て読める
「『ア』と『ル』……あと、三節目」
「エルナしか、知らない」
ロデリクは、静かに目を開けた。その顔が、ふっと強張った。
「……待て。今、歌ったのは、まずかった」
「え?」
頭の奥で、粘ついた声が戻ってきた。
さっきまでと違う。笑っている。
『聞こえたぞ。エルナの歌。そうか、あれが、鍵か』
解除率20%/防護残量80%
膝が落ちる。ヴェルディアが、腕を掴んで支えた。
その声に重なって、細い少年の声がした。
『ごめん。僕の中の歌に、王が気づいた』
「レオン」
『叔母さんを、夜明けに起こす気だ。名の後半を、吐かせるために。叙勲式は、夜明けに繰り上げられる』
声が、震えた。
『でも、あの人を無理に起こせば、叔母さんの命が、持たない』
窓の外で、王都の鐘が鳴った。
夜明けまで、あと十時間あまり。
ガレスの三つ目の借り物も、母の救出も、もう、猶予がなかった。




