第6話 勇者は、聖剣を差し出した。その芯は、竜の牙だった
翌朝、宿の中庭に、ガレスが立っていた。
一睡もしていない顔で、両手に鈍い鉄の剣を捧げ持っている。
「頼みがある。いや、返しに来た」
「返す?」
「昨夜、魔導院の記録室に忍び込んだ。聖剣の台帳の素材欄に、こう書いてあった」
ガレスの声が、掠れた。
「『竜牙、一本』」
窓の陰で、ミラが口元を押さえた。
「ずっと、台帳を読まなかったんだ。読んだら、これが俺の剣じゃなくなるから」
ガレスは、ヴェルディアの前に膝をついた。
勇者が、竜に頭を下げている。
「三年間、他人の牙で勇者を名乗った。返す。それが、俺にできる最初のことだ」
ヴェルディアは、腕を組んだまま動かなかった。
「リオ。読んで」
「ああ」
【鑑定】
名称:聖剣エクスルーナ
真の名:ヴェルディアの左牙
状態:休眠。供給源の途絶により沈黙。主の帰還を待っている
「死んでない。ただ、待ってる」
「そう」
ヴェルディアは、ガレスを見下ろした。
「これを渡したら、あなたは本当に何も持たなくなるわよ」
「弟の分のパンを食った夜から、俺は何も持ってない」
ガレスは、顔を上げなかった。
「持ってるふりを、やめるだけだ」
ヴェルディアの唇が、わずかに動いた。
「……少し、見直したわ。ほんの少しよ」
*
俺は、ガレスの手を取って読んだ。
【鑑定】
名称:ガレス
状態:名縛り(進行率41%)
追記:「偽りの勇者」は三つの借り物でできている。聖剣/偽造された功績/叙勲の称号
「三つ、ある」
「……三つ?」
「お前が捨てるのは、全部だ。今日は、その一つ目だな」
ガレスは、ぐっと唇を結んだ。
俺は、剣に向き直った。
「ヴェルディアの左牙。おかえり」
鉄の刀身が、ぴしりと割れた。
錆の下から、白銀の牙が現れる。長さは、俺の腕ほどもあった。
ヴェルディアが掴んだ瞬間、中庭に風が起きた。銀の髪が逆巻き、石畳に細い亀裂が走る。
「……戻った」
自分の口の奥を指でなぞり、ヴェルディアはにやりと笑った。
「ずっと、ここが欠けていたのよ。気づかないふりをしていたけれど」
「宿を壊すなよ」
「善処するわ」
ガレスの右手の紋様が、すっと薄れた。
【鑑定】
名称:ガレス
状態:名縛り(41%→33%)
追記:一つ目の借り物を返却。残り二つ
「……軽い」
ガレスが、自分の手を見つめて呟いた。
「何も持ってないのに、軽いんだ」
ミラが、そっと水の入った杯を差し出した。
「お水を。……剣、重かったでしょう」
「……ああ。ずっと、重かった」
階段の上から、セレスティアが見下ろしていた。扇を持たない手を、胸の前で握りしめている。
「二つ目は、私が知っているわ」
全員が、振り返った。
「偽造された功績の原本。報告書を書き換えたのは、私よ」
その声は、震えていたが、逃げてはいなかった。
*
その時だった。
牙に触れたままだった俺の指先が、熱くなった。
「リオ?」
視界が、白く弾けた。
*
冬の夜だった。
痩せた村の、藁葺きの家の中。幼い子どもが、床に寝かされている。
枕元に、白衣の男が立っていた。若い頃のロドリックだった。
「眠っている間に済ませる。痛みはない」
「兄さん」
栗色の髪の女が、戸口に立っていた。
母だった。顔は覚えていないのに、すぐに分かった。
「その子に、触らないで」
「王の命令だ。ヴァンの血の子は、名を封じて城に」
「兄さん。昔、この子を守ると、約束してくれたでしょう」
ロドリックの手が、止まった。
「……封じるのは、半分だけだ」
男の声が、割れた。
「王は、それで満足する。だが、代わりに、お前が眠れ。城の地下で。そうすれば、あの方の目は、この子から逸れる」
母は、少しだけ笑った。
「分かったわ」
母は、俺の額に指を当てた。
「あなたは今日から、リオ。それは盾の名前。いつか、本当の名前を呼べる日まで」
窓の外に、痩せた少年が立っていた。
パンの欠片を握った、幼いガレスだった。
少年は、母の腕に抱かれた俺を、じっと見つめて、そして、何も言わずに走り去った。
*
気づくと、俺は石畳に膝をついていた。
「リオ、大丈夫?」
ヴェルディアの手が、肩を掴んでいる。
【鑑定】
名称:リオ
真の名:████████
状態:名縛り(解除率31%→40%)
追記:防護残量 60%
「九パーセント、上がった。その分、盾が削れた」
「何を、見たの」
「十五年前の、冬だ」
俺は、ガレスを見た。
「あの冬、お前の村で、俺の名は封じられた。そして、母さんは、城の地下に眠った」
「……俺の、村?」
「窓の外に、パンを持った子どもがいた」
ガレスの顔が、凍りついた。
「俺と同じ冬に、同じ場所に、いたんだ。お前は」
ガレスは、長いこと黙っていた。
やがて、絞り出すように言った。
「……三年前、お前を仲間にしろと、魔導院の紹介状が来た。村の名簿の写しと一緒に」
「誰の署名だった」
「ロドリックだ」
空気が、冷えた。
「最初の一言は、本心だった。『お前の目が必要だ』と。でも、お前の名前を俺に教えたのは、あの男だった」
*
部屋に戻ると、ヴェルディアが、羊皮紙を睨んでいた。
「まだ持っていたの」
「もう一度、読みたくなった」
偽装契約の文字の奥。母の筆跡の、さらに下に、薄く、もう一行あった。
男の、角ばった文字だった。
『署名はするな。期限の前夜、東の古井戸の底で待つ。——兄』
【鑑定】
名称:名の返還状・隠し文
状態:偽りなし
筆者:ロドリック
筆者の真の名:――
追記:筆者本人が、自らの名を封じている。意図は、読み取れない
「……偽りがない。でも、意図が読めない」
「罠か、救いか」
ヴェルディアが、牙を指先で転がした。
「読んで、疑って、それから信じなさい。まだ、信じる材料が足りないわ」
「期限の前夜は、今夜だ」
「行くの?」
「行く」
羊皮紙の端に、伯父の名前の黒い染みがあった。
俺と同じ色をしていた。
あの男もまた、誰かに名を奪われた側なのだとしたら。
俺は、敵と味方の、どちらの名前を、読もうとしているのだろう。




